酒の粕のようにただひとり歩め

 ふぉっふぉっふぉっ。モーリス・ルブランならぬ老人モーリッツじゃよ。魂のルフランが……お迎えが聞こえるぅ!逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ!突然60歳程度若返ってあなたの大事な時間を駄文で盗んでゆくことに定評のあるわしじゃ。バルタン星人?知らない子ですね。吊ろう。人が老いると書いて、じんろう……。

 われながら、ぺダンチックあげるよにもほどがある。伏線は張れば張るほどハレ晴レユカイなわけじゃないぞい。ん?ハレ晴レユカイってなにか知らんけど、予測変換が時間外労働しておるようじゃ。ふわああ、寝てもいい?

 次の朝、老人モーリッツが無残な姿で発見された。

 さて、菊地だったりchoriだったり明史だったりするわたしです。前の記事を書いてから、スーパーに行って焼酎やら日本酒やらで上腕二頭筋や僧帽筋を鍛えてきた。安西先生……肥りたいです(意味がわからないひとは前の記事を読もうね☆)。

 ん?7月6日朝に「しばらく酒を休みます」みたいなことをツイートしていなかったかって?たぶん、近視と乱視に老眼が、おい、なにをするやめろ!という二人羽織はともかく、わたしの近所のライフはよくできています。なんせ、「古都」がある。トンネルを抜けるとそこは佐々木酒造ではなかったけど東一条の踊り子のように舞いながらレジへと向かった。佐々木さん(弟)元気かなあ。それはさておき。「わたしたちの世代の意地を見せたいとおもいます」と河原町をスキップしてこけて前歯を折ったのがchori。


 閑話休題(それはさておき)。

 今年に入ってからのいつぞやか、父親に「酒をのんで書いた文章は所詮酒粕だからね」と、わかるようなわからないようなアドバイスをいただいた。おそらくご存じない方もおられるとおもうのでエクスキューズすると、わが父は副業とはいえ商業作家(それが狂っている。副業で商業出版:とは)として随筆をメインに(一部短編小説も)15冊は出している。そこに関してはいろいろ語るも涙、というか、愚息は共著ふくめても5冊だ。唯一えばれるのは、こちとら新人賞とはいえ、賞を獲っているんだよおとっつぁん!……ひとつだけですね。いやだもう茶柱になりたい。へそで茶を若宗匠したいけれど、これはリアルな話、従弟の幼少期からのあだ名は「でんじろう」だ。いろいろと情報過多でなーんにも着地しないところは反省しています。

 閑話休題(二度目ー!)。ドイツ村か。ラーメンズか。そもそもさっきから題がない。題 or die。題の大冒険的にはバランを想像していただきたい。話を出町柳くらいに、始点に戻しますね。そう、酒をのんで書いた文章は酒粕、のくだりである。これは非常にわかるのだ。それを言ったご当人が20代で肝硬変になったり、わたしくらいの年齢でも階段を落ちたり(これに関しては完璧に表芸、いやちがうな、裏芸にしておこう)、あまり書きすぎると消される気がするし、人生はリライトできないのでお口にチャックベリー。にしても、だからこそ、数々の暗渠を超えてそういう思想や概念に行き着くのだろうなとおもう。ある意味では、いわゆる文豪、文士の時代を近い過去ないし進行形で感じていたからこそのものかもしれない(父は谷川徹三先生の膝の上で遊んだり、長じてからもいろんな作家に可愛がられていた。余談だけれど、わたしは谷川俊太郎さん、賢作さん、お孫さんたちとそれぞれ共演したりのんだりしたので谷川家4代とのつながりとなる。えっへん。エッセン・ウント・トリンケンって阿川弘之閣下ならおっしゃるだろうなあ)。

 さて、つまり、父のその伝では、わたしの22年間の詩人歴というのはたいがいが酒粕である(さすがに22年間のんでいるわけではない)。詩も、随筆も、キャッチコピーだったり、とりあえずことばと名の付くもののなかを生きているし、その9割9分は酒をのんで書いたものだ。why japanese poet!?10日の土曜日に生れたのでチェンソーとは縁がないが、千宗~みたいなものが土壌である。というのはただの愚息ギャグなのじゃふぉっふぉっふぉっ。いま気づいたけど仙叟さまもいてござる。気分はもう戦争。1000の瞳ぃ。

 しかしわたしは言いたい。わたし、というのは、この場合、choriである。明史とか菊地はちょっとどうでもいい。それは選んでないもので、強制ガチャであって、あんまり言うとお里が知れるのでここらへんでゲルトを吊ってお茶を濁しておこうとおもうけれど、北区出身の岸田繫ふうに言うならば、「石、転がっとったらええやん」であり、そこは世代と志向性と地場の問題かなあとおもう。あれっ、ふつうだ。ふつうなことを言ってしまった。

 それでも、これがわたしなのだ。わたし、というのは、choriだ。繰り返すけれどもchoriだ。将棋的に表現するならわたしはわたし、あなたはあなた。こちとら、酔っぱらいながら、それでもって20年くらいやってきたんでえ!父のことを副業(それは事実なので)作家と書いたけれども、こと短い随筆において、あんなに技術の高いひとは寡聞にして知らない。正直なところ、ファンではないけど、ものすごいなと10代のころからずっとおもっているのが、いまもぼくを走らせている。作風というか、将棋なら居飛車本格派とゴキゲン中飛車みたいなちがいがあって(そうたとえると居飛車や振り飛車に失礼かもしれない)、でも、位取りと端攻めにこだわるわたしと、ゆれる柳に風韻を見出し、梅雨時のアスファルトからシャム猫のように足許へまとわりつく熱気を描ける父は、遠いようで、ことばがことばでなかった世界で、すこし似ている。ねきにおるねや(京都方言)。


 酒の粕のようにただひとり歩む、と着地しようと綴りはじめた本稿、結局のところ父を褒めて終わってしまった。ひとりでいるようでひとりでない。角を矯めて犀を殺さないようにぼくは「古都」をのみますね。投げられた賽は丁か半か、兆より千だ。



 

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