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上垣渉さん - 言語を集める人


言語学者のみちのり

私は言語学の研究者です。もともと子供の頃から言語に興味をもっていたのですが、そのきっかけともいうべき体験は今でもはっきり覚えています。

1年間だけ両親の仕事の都合でアメリカで暮らしていた時期があります。当時5〜6歳だった私は、3ヶ月ぐらいの短期間で急速に英語を覚え、電話で友達と喋れるくらいになっていたのに、日本に帰国したらすぐに忘れてしまったのです。幼いながらに言語を失った経験がショッキングで「なんで日本語は自由に扱えるのに、英語はすぐ忘れてしまったんだろう」と考えました。英語でも日本語でも、それを話せることは母語話者にとってはごく自然なことですが、自分にとってその二つは全く違いました。それが不思議で、言語学という分野があることは知らない頃から、言葉に関わる何かをしていきたいという気持ちをずっともっていました。

そして今、意味論・語用論の研究をしています。この分野では、主に2つのアプローチが近年注目されています。

まず一つは「現代言語学の父」とも呼ばれるNoam Chomskyノーム・チョムスキーが20世紀後半に確立した「普遍文法(Universal Grammar)」というものです。人間の言語を、心理学でいう「認知科学」の枠組みのなかで考えようという試みです。異なる言語間にも通じる原則があり、コンピューターでも読み取れるような普遍的な記述におとしこむことが可能であるとする理論です。

もう一つ、こちらが私の専門でもありますが、前述のチョムスキー流の言語学に「文化的進化 (Cultural evolution)に関わる理論を組み合わせて人間の言語を理解しようとする取り組みです。「人間の言語において、何が普遍的で何にバリエーションがあるか。普遍的なものがあるとしたらどのように説明できるか」の答えを見つけることを目指します。チョムスキー流の普遍文法による説明以外は、おそらく、文化・認知・心理といった分野で説明されることになるでしょう。だから、この解明により「人間のマインドがどのようになりたっているのか」という認知科学の問いの答えにも近づくことができるはずです。また、人間がその言語を使った文章からどのような推論をするかを明らかにするものなので、自然言語処理やバイリンガリズムの研究にも応用できます。

ここに至るまで、世界中をいろいろまわってきました。まず、東京大学の教養学部、超域文化研究科 言語情報科学修士課で修士号までとってから、アメリカのマサチューセッツ工科大学(以下MIT)に留学しまして、5年かけて言語学の博士号を取得しました。

言語学・哲学科が所在するMITスタータセンター

最初の2年間は全員共通のコースワークでたくさん勉強します。3年目からはそれぞれに専門分野を定め、論文を2本パスしてから博士論文に取り掛かります。学問的に非常に充実した時間でした。1学年10人弱、5年で約50人のコホートとは互いに支え合う密な関係を築くことができ、先生方も非常に厳しくかつサポーティブで、アカデミックな意味でたくさんの刺激を受けた時間でした。

それからフランスでポスドク*を1年経験した後、オランダのライデン大学で3年間講師として教壇に立ちました。それからスコットランドのエディンバラ大学にきて4年目になります。

エディンバラ大学の言語学科は、世界最大であるとも言われています。MITの学部はチョムスキー博士が作り上げた「生成文法(Generative Linguistics)」に特化している一方、こちらはより幅広い言語学の専門家が集まり、相互の交流を通じて視野を広げていく環境があります。

最初は講師のポジションに応募して来たので学生への講義と自分の研究とを行っていました。しかし、2022年1月からは4年間のフェローシップ**(UKRI Future Leaders Fellow)を獲得し、准教授(Reader)に昇進しました。今は自分のラボをもち、2人のポスドクと何人かの大学院生も雇って独自の研究に注力しています。

*ポスドク:博士号取得後に任期制の職に就いている研究員
**フェローシップ:予算をもって独自の研究に注力する研究者

言語の普遍性を探る研究

私が今進めている研究はフィールドワークで複数の言語のサンプルをたくさんの人から収集したうえで、データ分析や実験を行う地道なプロジェクトです。目指しているのは、人間の言語に固有の説明があるとしたらどういうものかの解明です。

扱う言語は24言語。世界には約8,000の言語あるといわれているなかでほんの一部にすぎませんが、できるだけ幅広い ランゲージ・ファミリー(Language Family)***を選んでいます。英語はすでに膨大な研究があるので研究対象の24言語には入れていませんが、各言語のネイティブ・コンサルタントとコミュニケーションをする際のコンタクト・ランゲージとして使います。

***Language Family=共通の起源をもち、類似した文法や語彙を共有する言語集団。例えばインド・ヨーロッパ言語ファミリーには英語、スペイン語、ヒンディー語などが含まれる。

今はちょうどサンプルを集め終わって、これから面白い分析を色々していくというフェーズに入っていくところです。私の研究では、言語によって「複雑さ」をどこに置くかの違いに注目していきます。

例えば、日本語では助詞「てにをは」を使って名詞と目的語を示すのに対して、英語では助詞のようなものはなくて語順で意味を示します。

世界のあらゆる言語の構造は、この2タイプのどちらか、あるいはその両方のミックスタイプの3つの種類にカテゴリわけすることができます。

そして日本語についていうと、その トピック・マーカー(Topic Marker)の使い方に複雑さがあるところが特徴です。助詞の「は」をどのように使うかと言うことは、実は会話の中で何をトピックとするかによって変わるため、単純に定義することができません。他の言語話者が日本語を学ぶ時に、もっとも混乱しがちなポイントなのです。

また、別のケースで言うと、名詞クラス(Noun Class)に複雑さを置く言語もあります。よく知られているところでは、フランス語には男性名詞と女性名詞という2つの名詞クラスがあり、ドイツ語には男性名詞・女性名詞・中性名詞の3つの名詞クラスがあります。しかし、ケニアで話されているキサラカ語という言語は、なんと、その名詞クラスが17種類もあるのです。言葉ごとにどれに当たるかが決まっていて、使い方に応じて働きが変わるというのが非常に複雑なのです。

<キサラカ語の17種類の名詞クラス>

例えば muntû û-mwe でしたらmuntûが「人」という意味のmu接頭辞を含むのクラス1の名詞で、これが例えば「一つの」という意味の数量詞mweと共起する場合、一致(agreement)が起きてmweに一致接頭辞û-が引っ付くという具合です。

今年はそれらの言語のサンプルの収集が一段落したので、いよいよこれから面白い分析のフェーズに入ります。集めたサンプルをもとに、定性的にも定量的にも分析を進め、人間が互いに意味を伝え合う時の言語を超えた普遍性とバリエーションの記述に挑戦していきます。

文化も自然もあるエジンバラ

スコットランドの首都エジンバラはいろいろな国から来た人が住んでいるコスモポリスで、人口は50万人ほどです。夏には音楽・本・コメディなど様々な分野の大規模なフェスティバルが開催され、世界中から観光客が集まって人口が2倍になると言われています。

8才の息子の現地校や習い事の送り迎えは夫婦で協力してやっています。土曜日の午前中の日本語補習校への送迎も隔週で私の役目です。補習校はもう一つのスコットランドの大都市・グラスゴーとの中間地点にあります。一学年が10人前後の規模ですが保護者同士日本語で通じ合える貴重なコミュニティです。ただ、朝早起きして30分以上かけて電車で送って行き、授業が終わるまで待機して家に帰り着く頃にはもうお昼の2時すぎ。冬季にはそれからすぐに日没で、土曜日は本当にそれだけで終わります。

日曜日には家族で出かけることが多いので、よく考えたら、仕事以外の時間はほぼ家族との時間です。でも、エジンバラには美術館や劇場などの文化的な施設もたくさんあり、豊かな自然も近く、治安も良く、生活環境としては申し分ないと感じています。

日本にもお世話になっている先生方がいますし、最近は日本の大学の博士論文の外部審査員なども引き受けていますから、私の日本人のアイデンティティがなくなることはありません。フランスのパンの美味しさや、オランダの福利厚生の手厚さなど、それぞれの国の良さを懐かしく思うこともあります。でも私は、言語学者としてはここエジンバラがホームになりつつあると感じています。

高台の上のエディンバラ城を望む街並み

コンフォートゾーンを出ること

今これまでの道のりを振り返って思うのは、博士課程で海外に出ることを選び、そこから言語学の専門家してのキャリアを追及するなかで、いろんな国に住む機会を得られたのは良かったなということです。

最初の一歩を踏み出した時、私の中にあったのは「外の世界をみてみたい」という単純な好奇心でした。でも、それぞれの場所の、いろいろなルールを学びながら暮らしてきて、結果として気がついたのは、外から見ると全く意味不明に思えるようなルールでも、その場所に行ってみると普遍的な人間性に根差した理由や、その土地ならではのしがらみがあるのだなということです。言語学の研究にも通じるのですが、特に「学ぶぞ!」と意識しなくても、経験そのものを通じてその場その場の空気感や求められる振る舞いがわかってくるのです。

どんな新しい場所に行っても、どんな見慣れないルールを目にしても、もちろん最初は戸惑いますが、やがて何が一般的なルールで何がローカル・ルールなのかがわかってくると知っていると、生きることの匙加減さじかげんがうまくなります。

別の言い方をすると、それは純粋なタフネスが身につくということです。コンフォート・ゾーンを出ることにはそれだけで価値があるのです。だから、若い方々には、ぜひ早くから世界に飛び出してみることをお勧めしたいと思います。


<参考ページ>
研究者としてのウェブサイト; http://www.wataruuegaki.com/