見出し画像

ええ、思い出で生きてます。

寝起きにふと思いついたことばをタイトルにして書き始めてみよう。
着地点は不明です。

僕は記憶力が同級生180万人くらいいる中でも上位に位置しているはずなんですよ。うぬぼれでもなんでもなくて、純粋な自己評価です。学校の勉強はしてこなかったほうなので、漢字とか算数についての記憶力はぜんぜんダメなんですが。。

まぁ、なんというのでしょう、いわば見てきた景色の映像記憶。それらの記銘力と保持するちからと再生機能に長けているとでもいうのでしょうか。古い友人と話していても「ようそんなこと憶えてんなぁ…」とあきれられることさえあります。憶えてる自慢しているつもりはないのですが、思い出の共有って、おもしろいじゃないですか。だからついつい、というのもありますね。

以前の仕事とも言っていいパチンコの専門サイト上でも「どこに何が書いてあるか」を脳内検索して見つけてくる能力はメンバーの中でもナンバーワンでした。記憶力を売るというか、アーカイブ・ライブラリアンという職業を勧められたこともありました。

うーん、だから何って話になりかねないので転換いたしますと、まぁ、思い出したことを経験にして糧にして、僕はあしたも生きて暮らして仕事していくんだろうなぁと。それが幸か不幸かはよくわからないのですれども、そういう性質で生まれたんやから、有効利用というかね、プラスにとらえていくのがよいのではないかと思うのです。

アイデアを出すのひとつ取ったって、思い出すものだとも考えます。脳内にあるものを「あーでもない、こうでもない」と組み合わせる作業。それって、自分の中にないものは出せないじゃないですか。脳内ストックってことばは的外れかもですが、蓄積が多ければ多いほど有効に働くのではないか。

仕事っぽいことだけじゃなくて、思い出って連鎖するとも考えていて、あることを思い出したら、その時の情景、雰囲気、ムード、色、リズムまで思い出しますよね。糸井さんの本のタイトルにもありましたが、思い出したら、思い出になった。なんてことは、それこそ芋づる式に出てきます。記憶再生されたことを記銘するとまた強記憶になったりとか。

それらって、見方しだいでは自分の中の宇宙と可能性は、無限大のような気がしてきませんか。一見刺激のある情報があふれまくっている現代社会。まぁ、スマホとかインターネットとかのアンチテーゼメッセージにもなるかもしれません。ならないか。まぁいいや。

忘れることもよい精神状態で居続けるためには大切です。
でも忘れられないことは、よい解釈をして引き出しにでも仕舞っておくことはもっと大切。

あのひとと一緒になんの映画を観たかだなんて忘れてしまっても、
その時のあのひとのその手のぬくもりが忘れられない。

僕にとって思い出は、人生そのものなのかもしれません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?