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あんたさみしいんだね。な?

そ、そんなことないですよ!
と言い張ってきたような気がする。ここ何十年も。
あ。独り言選手権をようやく卒業しましたうかいです。

そうやねんなぁ、さみしさってなんかマイナスのイメージを持って
たのかなぁ。
その自分がさみしいのかぁ、って思うことを認められない、認めたくなかったのかもしれませんね。

強がり。皮一枚のプライド。無理をして。ええかっこしい。
かっこつけ。(「かっこつけ」と「かっこいい」は違いますよね)
目をそらす。まぎらわす。他に意識を向ける。
テレビを観る。音楽をかける。本を読む。お酒を飲む。誰かと接したくなる。
呼吸が浅くなる。ドキドキする。独りじゃいられない。
働く。働く。。働く。。

どうでしょう、さみしい自分を認めたくなかったってだけで、
ぼくはこんなにも外に何かを求めていたのかもしれません。

わかりますよ、スポーツやファッションのように外から学ぶことって多いですから。
でも、今思うのは、さみしさとの付き合いって、
内側のやわらかい部分を見つめることが基本なんじゃないですかね。
心の声を聴いてあげるって表現にもなりましょうか。

ぼくは、さみしがり屋だ。しかも現在進行形だとも思う。
そこをまず認めてしまいましょう。この際。これからも。


「会いたい人に会えない。さみしい。さみしい。。さみしい。。。もう寝るーー!」

ではなくて、

「会いたい人に会えない。さみしい。あ、ぼくは今さみしい気持ちなんだな。ほうほう、なるほどなぁ、ということは・・・」

という思考の流れを試してみよう。

どう生きる?ってなったとき、書いて生きたいのなら、
ただ書くだけでは足りなくて、感じて思って考えたいですよね。
ここまできたら、内からつくろう。
こたえは自分の中にあると信じて。

さみしいわけじゃないんです。
メチャクチャさみしいんです!
そんな超のつくさみしがり屋のぼくにしか書けないものはいっぱいあるはず。
だから毎日、たゆまず、机の前に座り、内に意識を向けてものを思う時間を持とう。

さみしさを紛らわしたところで、
本質というか芯の部分はさみしいまんまだったじゃないですか。
向き合うことで、もっとさみしくなる?それも人生じゃないですか。

ぼくのどこがどうさみしいのかを見つける毎日でもあろう。
そして、紙にペンで書き残そう。
それをこのnoteに記事として書いてみよう。
書き残すことに意義のあることって、
書き残してみないとわからないはずだから。

その書いたことが、もし、
だれかの気分をちょっとだけでもよくしたりとか、
そんなことができたのならば、ぼくはたぶん、もっと書きたくなるだろう。あ。好影響の好循環って、こういうことから始まるのかもしれないですね。

書くことも、やっぱり人なんだ。

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