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僕のやさしさは知識が支えてる

やさしさ。よく聞くコトバであります。そして僕自身もよく言われてきたコトバでもあるのです。

「よく聞くコトバなの??」 
そうですね、なんというか、使いやすいコトバのひとつではあると思うんですね。使いやすいってことは、まぁ、「当たり障りのないコトバ」とも言えるかもしれません。

主に対人関係で使われますし、使ってしまいがち。と書くとなんだかわるいコトバの意味のようですが、そうではなく、意味的には「表情とか対人態度から受ける印象が穏やかで好ましい感じ」ですとか、「思いやりや心づかいが十分にある感じ」でしょう。

まぁ、世のみんなさんはやさしいのが好きなんでしょうね。好きだから、相手にも言ってしまうし、使ってしまうところもあるのでしょう。半面?「やさしい」ってコトバに頼りすぎる傾向も感じています。

僕を含めてもっと「やさしさ」というコトバを使わずに「やさしさ」を伝える練習もしてもいいと思う。人間って慣れる動物ですから、溢れすぎているコトバを使いすぎると「伝わる熱量」のようなものも少なくなるのではないか??という仮説を立ててみました。

やさしいってコトバくらい自由に言わせてやれよ!とも思うのですがねぇ、もっと表現豊かに生きたいし、生きるなら豊かな語彙力でコミュニケーションしたいじゃないですか。

「よく言われてきたコトバなの??」
まぁ、そうですね。うかいといえばやさしい、とまではいきませんが、僕によくあてはまるコトバではあると自分でも思います。「やさしさ」って「気が弱い」と表裏一体といいますか、ガンガングイグイオラオラとは違う方向にいるというか。

これは昨日今日の話ではないです。小さい時から、やさしかった(気が弱かった)、はずです。憶えている限りでは。「三つ子の魂百まで」にもあるように生活環境もあったのでしょう。親と祖父母ときょうだいの影響、十二分に受けてきましたし。家族がすべての時代が僕にもあったし、のちの人格形成に大きく関わっていると思います。

もちろん荒れていた時期もひねくれていた頃もあったわけですが、また戻ってきたかな、たぶん。

やさしさだけで飯が食えるとは思いません。でも生きていく上での「芯」にはなるのではないでしょうかね。大切にもしたいし。

そして、相手のことを思い続けていたい。想い至ってもみたい。まぁ、やさしさって、人の痛みがわかるかどうかってことでもあると思うんですよ。やさしさは想像力かもしれないな、という仮説を立ててみました。

想像力は使えば使うほど増えますしね、人生をおもしろくする要素のひとつでもあるし、まぁ、飯の種にもなりますわな。あ。いろんな側面から解釈ができるというのも、知識が下支えしているやさしさだと思います。

では、また。

【本日の仮説】

①溢れすぎているコトバを使いすぎると「伝わる熱量」のようなものも少なくなるのではないか??

②やさしさとは想像力なのではないか??

あ、そうそう、さいごに、僕のこのお盆休みのデータでも記しておきますか。

「お盆休み6日間のデータまとめ」

ジム通い回数:0回
体重増減:+3.4kg
バイク走行距離:100kmくらい
読んだ本:7冊くらい
猿が出た回数:1回
母親をマクドナルドのドライブスルーに連れて行った回数:1回

飲んだお酒の量:2杯
吸ったタバコの本数:200本くらい
怒った回数:0回
睡眠時間:40時間くらい
笑った回数:憶えてない
思い出の数:プライスレス?

ええ連休でした。
さあて、2023年と人生の後半戦はがんばります!

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