11/14 26サイのリアル

とんでもなく飽き性。
興味を持った五秒後には飽きてしまう。
同じ場所で同じことを繰り返せないから、半年に一度は住所と仕事が変わって、マイナンバーカードは住所欄がすぐに埋まり、せっせと更新する羽目になった。
だからいろんなものを少しづつ好きで居られる人が羨ましい。一つのことにのめり込んで博士みたいになる人も素敵だけど、キッカケの引き出しは多くありたいと願う。
これまで続けられたことを思い返すと「喫煙」のみだった。

そんな私もある作家のシリーズものだけは、ずっと好きでいられる。
櫛木理宇の『ホーンテッド・キャンパス』
舞台は新潟。大学生の主人公は「視える」体質にも関わらず、ホラーが大の苦手ときた。
しかし長年の想い人であるヒロインがまさかの「オカルト研究会」に所属している為、主人公は泣く泣く入部を決意し、オカ研のメンバー達と色んな怪奇現象を解決していく、というのが大体のストーリー。
出会いは10年以上も前になる。いつものように紀伊國屋書店内を練り歩いていると、ライトノベルちっくな表紙の本作が置かれていた。
あまり得意ではないジャンルなのに、その時は手に取って数ページ読んだ。即座にレジに並んだのを覚えている。
久々に予感がした。
「この作品に、何かに没頭できる」そんな予感。
夢中を忘れた私にとって、櫛木理宇という作家との出会いは人生の劇薬といっても過言ではない。彼女の新作を買うために生きてこれた。

話を戻す。
新潟という雪国に馴染みのない私は最初こそ文面から受け取るイメージだけで楽しんでいたけれど、そのうち新潟へ足を運ぶようになった。
新潟大学がモデルになっていると踏んで、キャンパスに潜入し、彼らと共に食事ができたら良いなと妄想したりもした。
22歳の時、忘れもしない最悪最低の気分になった時には本を抱きしめて、泣きながら寝た。
愛が欠落した私にとって、何かを好きで居られることは希望であり、生きていていい理由になってくれた。
駅地下にある本屋で新作を買って、併設されたカフェで読んでいた時間は今も心を温かくしてくれる。
サイン本も買えた。
思い切ってTwitterでリプライを送ってみたら、お返事をいただけた時は、生きてて良かったと心底思った。

ここ数年はずっとガス欠状態が続いている。本を読む頻度そのものが減った。新刊は発売され続けて、買うのに読めないのが辛くて仕方なかった。

心の内を全て曝け出して受け止められたいと願う反面、そんな人はどこにもいないと決めつけてしまっている。
もし許されるとしたら、また本を読み進めることができるはずなのに。

くだらないと言われても、私は許されたい。
生きていていいと誰かに肯定されたい。誰かに、は決まっているのに、その人にだけはどうしたって言えない。生きてきたことで傷つけてしまうのなら、私の存在ごと記憶から消してあげたいと思う日も少なくない。傲慢だと言われるだろうけど、受け止めるには関係を深めすぎた気がする。

いつだって大声で叫んで、届くくらいがちょうどいいのに。
次、読み切れた瞬間が訪れたらどんな未来がそこにあるかな。

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