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島根の柳宗理展を訪れて。

行かねばいかねばと思っていた島根県立美術館で行われている柳宗理展。

コロナウイルスの影響で会期が短くなるんじゃないかと焦りながら、金曜の夜に思い立って宿泊先を探しながら、すぐに松江へと向かいました。

住んでいるところから約4時間ほどかかるので少し腰が重いと感じながらも、以前神奈川であったカイフランクと展示を見なかったことをずっと後悔していたので、行きたいと思った展示には時間とお金をかけてでも、行った方がいいとわかってたのでそれでも向かう。

到着した日はすでに夕方で近辺のセレクトショップや町の本屋などに訪れて、初めて会った地域の人とフナのお刺身を食べさせてもらったり、地元の人のバーに連れて行ってもらったりと、なんか映画のような不思議な出会いがありました。

松江が持っている雰囲気なのでしょうか、京都とも違う金沢とも違う、絶妙に人が少ないけど、ちゃんと人が住んでて、みんな気持ちに余裕がある感じがして(出会った人は)、すごく特別や時間を過ごさせてもらいました。

2日目の朝、レンタサイクルをして美術館まで一走り。 湖から流れる川沿いの道を自転車で漕ぎながら向かいます。

宍道湖の横にある島根県立美術館はとても美しくて、有機的な屋根やガラスに反射する湖がとても印象的でゆっくりとした朝を迎えていました。


開館前でしたが美術館周辺を散歩するの夫婦や、犬の散歩の方や、ランナーなどもいらっしゃって、比較的開放的な美術館のような気がしていました。(そもそもどこまでが美術館の敷地なのかわからないくらいひろい)

朝一だからかあまり人はおらず、いても年配の方が見にきている感じ。

荷物をロッカーに入れて(手ぶらで見たいタイプ)チケットを買って柳宗理展を鑑賞。

中は撮影禁止で写真などはありませんが、展示自体は製品だけでなく、多くの模型や写真を展示していて、見やすかった印象。

展示スケールが大きすぎると最後観る側がだれることがあるのですが柳宗理さんの歴史から、どのような背景があったのかをとてもいいスケールで展示していました。

柳宗理さんの父、柳宗悦さんがこの島根の地で民藝運動が盛んに行われていたこと、日本の工業化が進み街に景観を損ねる無骨すぎる製品や歩道橋が多くなってきて柳宗理さんがそのデザインを務めたこと、柳宗理さんのスタッフの方が曲線を求める柳さんに大変苦労したことなど、様々な角度から柳宗理さんを知る展示として構成されていました。

柳宗理さんのデザインをこれまでずっと見て使ってきて改めて思うのが、なんかめっちゃ好きじゃないんだけど嫌いな点はない、と言った感覚でしょうか、、

ただそのどっちつかずの感覚の中で断言できることは、その使う道具が自分の道具になっているという感覚がすごく強いこと、です。

相棒というか、身体の延長というか、使い続けるごとに確かに自分の生活に溶け込んで自分の道具となっている感覚があることに気づいたのです。

全ての道具がそうあるべきではもちろんなくて、特別な日にはゴージャスなカトラリーや、玄関に置くずっと慎ましく美しい花瓶、お客さんがきたら使うティーセット、アウトドアではガシガシ使える調理器具とか、要所要所で道具として大事なポイントは変わってくるのですが

柳宗理さんのデザインはほんと何もない日々の中でずっとそばにいてくれる道具だなぁと、この展示を観終えて一番感じたことでした。


日々デザイナーとして生きて、自分のデザインするのもが最適解であるのか?といつも思うのです。モノを生み出すものの宿命としてその道具の先をデザインできたら、デザイナー冥利に尽きるんだろうなぁとかなんとなく思ってました。

今日はそんな島根県立美術館、柳宗理さんの展示を見た話。

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