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アラサーは青天霹靂を想像しすぎる

数日前、友人からとあるショッキングなニュースを報告された。
友人は気丈に振る舞いながらも、「まさに青天霹靂」と呟いた。

なぜ、どうして。
その時の状況を頭に思い浮かべて、
当事者ではないくせに、出来事の追体験をしはじめる。

感じたであろう感情や、ストレスをありありと想像できてしまうのは、共感力の高さゆえだろうか。

いや、これまで生まれた感情のかけらを引っ張り出しているのかもしれない。

はたまた、アラサーたちの怨念の集合体に無意識下でシンクロナイズしているのだろうか......。

もちろん当事者が本当にそう感じているとは限らないけれども、
痛みや辛さを想像しすぎて吐き気さえした。
干からびた餅のように、今にも乾ききってひび割れそうだ。
(ちなみに今日は鏡開きの日だ)

これは一定数のアラサーに与えられた試練なのかもしれない。
その背後にあるアラサーたちの怨念の集合体が、「おいで、おいで」と闇の中から手招きをしている。

余談だが、昔バーで飲んでいて、隣に座っていた年上アラサーの愚痴を聞いていたら、ヒートアップしてもの凄い形相でキレられたことがある。今思うと、その人も怨念に引きずり込まれかけていたのかもしれない。自分もそうなるのが恐くて、あまりバーに行かなくなった。

しかし、諸先輩方の中には怨念の手から逃れ、挫けても立ち上がり、軽やかに生きている人たちもいる。つまり、アラサーたちのレジリエンスの集合体もあるはずなのだ。

ならば私は後者へのシンクロを選ぶ。

傷を舐め合いながら深みにハマるよりも、
ゲラゲラと笑いあいながら、共に這い上がっていきたいのである。


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