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地域社会の正しい壊し方

コロナ禍を起因として、社会情勢が働き方を変えようとしています。その中でも重要キーワードのひとつとなるのが地方移住です。

テレワークの比率が上がることで中心街から生活圏を変え、静かな田舎地域で暮らしていく姿を想像している人も多いのではないでしょうか。

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そうなると田舎にいくと消防団や地域の役員や寄合など、地域独自の社会性をネックに考える人も多い。

ですが、実際はこの地域独自の社会性は、人口減少時代や役割の効率化によって少しずつ変化していっています。

この地域社会の変化を、田舎で開催される夏祭りを例に書いてみます。

昔、、、と言っても2,30年ほど前は夏場になるとそこかしこから祭囃子が太鼓などの音とともに聞こえてきて、空き地で地域のお祭りが開催されている光景が普通にありました。

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それが今ではあまり見られなくなりましたが、それもやむを得ない状況があります。

そもそもなぜあの各地域の夏祭りが成り立っていたのでしょうか?

◆なぜ地方の夏祭りが成り立っていたか

結論:地方では、お祭りをすることで回る経済があったからです。

「そりゃあ、あれだけ人が集まれば、儲ける人もいますよね」

「的屋とか、ほぼ利益だしかなり儲かりそう。」

ということを言いたいのではなく、もっと小さな個人社会経済の集合体だったからこそ成り立っていたと言えるのです。

私の地元では、小学生が歩いて行けるところに豆腐屋、牛乳店、おもちゃ屋、だがし屋、自転車屋、パン屋、文房具屋、家電屋、本屋、八百屋、肉店、和菓子店、クリーニング店など、個別の業態が数多く、同じ業種の中でも何店舗もありました。

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子供が歩いていけるところに駄菓子屋さんだけで何店舗もあったのです。

それが今は同じ徒歩圏内で考えると、ほとんどが潰れてしまい、幼少期にお世話になったお店はほぼ全てありません。

全ての用件は近くのスーパー1店舗で成り立つようになり、もっと安くて種類豊富に欲しいと思えば、車で大きなスーパーに行けば全てが揃います。

以前のように肉屋、八百屋、豆腐屋へと巡っていたお買い物習慣が完全にシフトしているのが現代です。

そういったお買い物をするための商店街があったからこそ、地域の祭りを開催することで、お店同士、地域の常連さん同士が準備で盛り上がり、お互いの顔を合わせるたびに

「〇〇さん、また買いに行くよー!」

「最近どう?息子さんが来年中学生だっけ?うちに来てくれたら顔馴染みだから〇〇安くしておくよ」

というお互いを知っているからこそのコミュニケーションがあり、そのコミュニケーションがお互いの関係性が地元の経済を形成していたのです。

そんな人が何人も何十人もいた。

地域社会とはそういう経済の集合体だったのです。

だから、誰もがお祭りを開催し、率先して動くことに抵抗がなかった。

開催している人たちは楽しんで主催していたし、積極的にお祭りを開催することで自分たちのお店の経済が回るという理由でも後押しがあった。

◆なぜ成り立たなくなったのか

それでは、なぜ成り立たなくなったのか?

この2,30年に起きた主な変化は

・お買い物の基礎は大型店に移行し、地域商店が軒並み無くなった。
・住む場所と働く場所が分断され、地方は働く場所ではなくなった(住む場所)
・そもそも人口減少している。

この3点です。

まとめると夏祭りを運営していた人たちが地域の商店ではなくなった

たったこれだけの変化ですが、地域の夏祭りを存続していくには非常に大きな変化が起きたのです。

その結果、夏祭りを今でも運営する環境は

・家業は無くなり、夏祭り運営側のメリットが「楽しい」というモチベーションだけに頼らざるを得なくなった。
・住んでいるだけの人にとって、近所迷惑になる環境ができてしまった。

経済的合理性の名の下に集約された社会は、ただ人口が減少したという理由以外でも、今までと同じ形を残すことが難しいのです。

地域の夏祭りはたったひとつの事例に過ぎません。PTAという組織、消防団という仕組みもその延長だったと言えると思います。

消防団では、地元の繋がりができ、そこで地元の商売、工事や施工を請け負うサイクルが生まれていたが、中心街で働いている人たちが消防団の活動をすることは時間的制約、場所の制約が大きいだけでなく、本来の業務と繋がらないために環境を作るのが非常に難しいのです。

農家の人が余った野菜を配るから、漁師の人が余った魚を配る。それがあるから、いつもお世話になっているからお肉屋さんは肉を安く売る。というように

「じゃあ自分はこれをするよ」

と、お互いの得意分野で積極的に相手の空いている部分をうめあえる。

今の地方社会は経済的な合理性が出来上がったことによって
「地元の人は活動をお願いします。その分を金銭的に補助します」
いう仕組みになりつつあるのです。

日本に限った話ではありませんが、経済的に合理的な社会はシンプルに四角く切り分け、線引きし、ルール化されています。

機械化と自動化によってものすごく効率化されたはずなのに、気づくと効率を失っている。

昔の日本には今の日本にはないエコシステムがあったと言えるのです。

◆「地方(テレワーク)で生きる。」ということ

さて、当初の話題に戻します。

このコロナ禍で多くの人たちが地方移住を検討している今、そこを見直す価値が今一度きています。

地方移住を検討する人たちにとってわからない故に怖いのが、地域社会への溶け込み方です。

昔の小さな商店がお互いに関わりがあったことで成り立っていた社会環境のイメージのままに

「〇〇歳以下の男子はこれに所属する。〇〇歳以下の女子はこれの協力をする。」

というルールを継承したのでは、依頼された側は必ずパンクして今までと同じサービスが継続できなくなり、依頼した側も苦しくなるのは間違いないでしょう。

これは地方の魅力を増して移住の人を増やせば解決すると思われがちですが、そもそも、そんな地方の複雑なルールがあるところに地方移住したいという人は集まりません。

新しいエコシステムを形成し直すことが大事になってきています。

このルールを考え、当てはめるというのが、これからの地方創生の本当の答えになるのだと思います。


◆どうすれば成り立つのか。

「地域のためだから」という意義や、「決まりだから」という既存のルールで行動をさせることは正直難しい。

かと言って、実行する人たちが過度に利益を独占的に集めるような仕組みでは、いずれ綻びが出て継続はしない。

本当のエコシステムを組み直す必要があるのです。

成功事例はもはや「地域による」というのが一番の正解なのでしょう。

例えば直島

アートの島として若者が年間数多く訪れるようになってから多くの人が移り住み始め、それによって地元の人も観光客向けへと商売をし始めていった例

例えば飛騨高山

映画「君の名は」で注目を集め、観光地として何度も訪れる魅力が認められ、移住したい街として人気を集めていった例

例えば円頓寺商店街

これまでの文化を残しながらも日本のサブカルチャーや若者の文化を柔軟に取り込んだ例

上記2つは観光資源を正しく捉え動いた結果ですが、こういった成功事例はどの自治体にもあてはまるものではなく、千差万別であるのだと思います。

観光も大事な手ですが、本質的に大切にすべきなのは人を集めるばかりが地方創生の形ではないということです。

その地に住む住人たちが楽しみ、無理のない社会。今という状況をフラットに考えて自分たちの地域の特徴を整理し、何が重荷となり、何をすると効果的なのかを選び続けることが大事です。

この辺りの効果的な事例や思考の仕方は頭の中にはあるのですが、まだ言語化は出来ていない所です。
時間があれば書いてみようと思います。

これからみんなが移住したいと思うような面白い地域が増えていくといいですね。

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