あんときのデジカメ 例年より一足早い讃岐の秋の訪れ with Nikon COOLPIX2500
(はじめに)日中はまだまだ酷い残暑が続きますが、夕方からは過ごしやすい季節になりました。青葉を見上げると秋の粧が始まっていました。今回は、2002年製のNikonの珍奇なスイバルカメラでスケッチしました。世界の多様さを理解するには秋がうってつけですね。フッサールの話もちょこっと(笑
讃岐の秋の訪れは一足早かった
日中は過酷な残暑が残っていますが、夕方から少し風が吹き始めると涼しく、深夜になると少し肌寒さを感じる季節になってきました。蝉の声も少なくなり、代わって秋の虫の合唱が大きくなってきました。今年は、秋の訪れが少し早いように感じます。
僕は、日の出日の入りの時間を毎日記録しているのですが、陽が没むのも早くなってきました。試みに今年の9月9日の日の出日の入りの時間を確認すると次のようになります。
日の出 5:42 日の入り 18:18
日の入りに合わせてだいたい同じような時間を今年の前半で探してみますと、3月24日が該当しました。
日の出 6:01 日の入り 18:18
ともに香川県善通寺市の記録ですが、だいたい半年前のことになります。最高気温が13度でしたので、気温はかなり異なりますが、時間の進み具合の「絶妙」さにちょっと驚いてしまいますよね。
あと1ヶ月もすれば、秋の到来ですが、まわりを見渡すと、もう自然は、衣替えをはじめていました。
「四季のうちでどの季節が好きですか?」という質問があります。僕は、その質問に対して、いったい、何でそんなことを聞くのだろうか?と、そう問うことの意味に疑問を持っている人間ですが、それでも
「秋ですかねえ」
と答えてしまいます。そういえば、四季で喩えれば、僕の人生ももう「秋」でした(汗
フッサールの視点で世界の数学化という観察の意味を考えてみる
さて……。日の出日の入りの時間を計測することで、自然を理解しようとする態度は、「自然の数学化」(フッサール)という言葉で理解できるのではないかと考えています。
ガリレイ的な自然の数学化によって、新たな数学の指導のもとに、自然自体が理念化されることになる。現代的に表現してみれば、自然自体が数学的多様体になるのである。
(出典)フッサール(細谷恒夫・木田元訳)『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中公文庫、1995年、49頁。
こうした「経験的なものを数学的な極限理念へ関係させようとするみずからの思考の手引として」用いる自然の数学化はいったい何を意味するのでしょうか。
すべてが数式の置き換えられ、特定の理念へと無限に収斂していく数学的自然科学の問題をフッサールは“「技術化」による意味の空洞化”と批判しています。
たしかに、AIやビッグデータという言葉が象徴するように、自然現象に限らず人間世界の減少においても数値化と予測、あるいは反復によって多様な世界に一定の筋道を見出すことは不可能ではありません。そして、そのことにも充全な意義があることも理解できます。
しかしその解析の反復によっては掬いきれない結果やそのアルゴリズムが実在するのも事実です。なぜなら、技術的操作に意味を与え、かつ規則に合った結果に真理性を与える根源的思考という人間の人間らしさが排除されているからです。数値からはじかれてしまうエラーは必然に出てきますよね。エラーというのはもちろん、いい意味ですが。
僕は、人間の思い込みや考え違いを修正するために、数学的あるいは技術的叡智は必要不可欠と考えます。しかし、それと同じように、人間不在の技術的叡智やイノベーションは絶対的なものでもないのが事実で、たえず人間によって鍛え直されることが必要不可欠です。だとすれば、さしあたり必要な手続きは、多様な世界を多様なままどのように理解していくのかということに尽き、そのためには、複数の筋道や手続きが必要ということになってくるのではないかと考えています。
その格好の材料が「秋」です。
およそ秋ほど多様な季節はありません。酷暑のひどい真夏日から今にも雪が降り出しそうな晩秋に至るまで、これほど多様な姿を毎日見せてくれる季節はありませんからね。
ニコンらしからぬ、しかしニコンらしい写りのする2002年の珍奇なカメラ
今回、秋の濫觴を訪ねて記録するのに使用したのは、2002年のNikon製の「インナースイバル」式のCOOLPIX2500というコンパクトデジタルカメラになります。スイバルというのは、カメラ本体がギミック的に回転するタイプのもので、インナーとの表記にあるように、カメラのレンズ部分がぐるっとまわり、撮影状態になるという珍奇なカメラになります。2007年から2年ほど仕事で使っていたのですが、久しぶりに充電池をいれてみました。
珍奇なフォルムのニコンらしからぬカメラですが、実は全てフルオートというのがニコンらしくありません。基本的プラグラムオートとシーンモードでの撮影となり、ISOの設定はできません。ただそれでもおそらく最高感度は200ぐらい?(多分)とひくいので、ノイジーな写真にはなりませんが、手ブレ補正もありませんので使用時はブレに注意する必要があります。
では、簡単にスペックを紹介します。撮像素子は211万画素の極小1/2.7型CCDですが、条件が揃えば非常にクリアーな写りをしますし、ボケも綺麗です。ここはさすがニコンですね。しかし極小+200万画素ですから、いわば動画を静止させて「写真」にしたような締まりのない、細部の潰れた写真が取れることも多く、ここに撮り手の腕が試されるというところでしょうか、
レンズは、35mmフィルムカメラ換算で37-111mmの3倍ズームで、F値は2.7-F4.8。手ぶれ補正などもちろんないので、開放f値がやや明るめなのは助かります。今更という「おもちゃ」のようなカメラですが、それでも400万画素クラスのトイデジや中途半端なエントリークラスのカメラよりはよく写りますね。
ということで以下作例です。
↑ これが動画を静止画的に切り取ったような「締りのない写真」です。
↑ 光学広角端37mmで撮影(A)。
↑ (A)を3倍ズーム、光学望遠端111mmで撮影。
↑ 2002年のエントリークラスのコンデジですが、きれいなボケです。
↑ これらを食べると絶対にヤバいことになりますね。
ということで撮影データ。Pオート撮影、ISOオート、シーンモードは「マクロ」のみ使用。露出補正なし、ホワイトバランスオート。画像は1600×1200で保存。撮影は9月6日~9月9日。撮影場所は香川県三豊市。
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。