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わからないものに囲まれたときに、わからないままにそれらとどう向き合うか

わたしたちが生きるうえでたいせつなことは、わからないものに囲まれたときに、わからないままにそれらとどう向き合うかということであろう。それに、人間にあっては、近いもの(たとえばじぶんの感情、性、家族)、大事なこと(たとえば政治)ほど、見えにくいものだ。

鷲田清一『想像のレッスン』ちくま文庫、2019年、24頁。

暮らしのなかで注意深く退けていかなければならないことが2つあります。

1つはハッタリを言うこと。

1つは知ったかぶりをすること。

当たり前の基本的なルールのように聞こえそうですが、実際のところ、知らないうちにハッタリを言ったり、知ったかぶりをしてしまうことはよくあります。なので、自戒を込めてという話でもあります。

思えば、知っていることと、知っていそうだけど実際にはあまりよく知らないことを腑分けしたうえでなければ、真の知への探求は始まらないと喝破したのは、ソクラテスそのひとです。

対話相手の、そのうわべにしか過ぎないハッタリや知ったかぶり……それを哲学では臆見(ドクサ)と呼びますが……を明らかしてしまうプラトンの対話篇を参照すれば論拠に暇がないという話よね。

意識していても、ハッタリを言うことや知ったかぶりをしてしまうことに知らずしらずのうちに落ち込んでしまうのが世の常ですが、なるべく避けたいのも事実ですよね。

慎重に退ける秘訣があるとすれば、冒頭で紹介した鷲田清一先生の言葉ではないでしょうか。

すなわち、「わからないものに囲まれたときに、わからないままにそれらとどう向き合うかということであろう」ということ。

そして当たり前のことほど「見えにくい」という自覚も必要不可欠です。


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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。