感想文「TRIGGER / 雨宮天」

声優・雨宮天さんのEPシングル『雨宮天作品集1-導火線-』より、今回はリード曲「TRIGGER」を聴いて今見えてるコトについて。

『私はライブでは曲ごとの世界観を可視化したいんですよ。』
『それぞれの曲を可視化するようなステージにしたい。』

雨宮天「PARADOX」インタビュー|ポップに突き抜けた新境地の10thシングル - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

と、自身のライブパフォーマンスについて語っている雨宮さん。
「それならば」と、雨宮さんの可視化が届けれられる前に自分の心を震わせたものを言語化しておきたいなと思うのです。

MV(short.ver)


楽曲フルはこちら


「この曲は歌謡というテーマを広く捉えたときに、ジャジーな曲があってもいいんじゃないかという視点でEPの中に入っています。イメージしたのはボカロジャズみたいな感じで、普段歌謡曲を聴かない人にも受け入れられるような曲というところで作りました。(中略)私の中のボカロジャズは毒っぽい要素があるイメージだったので、それも入れつつ、ジャズのもっている大人っぽさとか気品も生かしたかったので、歌詞の中に私が趣味で行っているフレンチで学んだ用語も入っています。フレンチに行っている経験が生きました(笑)。」

「声優グランプリ 2023年3月号 12頁」

「カクテルグラス」に「今日のデザート」、「アペリティフ」に「スペシャリテ」。
引用したインタビュー記事にもあるように雨宮さんがここ数年とてもハマっているフレンチから着想を得たのかなと窺い知ることができますよね。

昨年末の「てくてく天ちゃん」の公開録音にて、先行でMVを観せてもらった際には「退廃的でかっこいい曲だなあ」という印象があったんですが、まさかフレンチ曲だとは思わないですよね。

歌詞全体の情景的にも「フレンチ」インスパイアの様相を窺えるのだけれど、それにしたって「フレンチ」からこの退廃的で妖しい世界観を醸成できるのは凄いなあと。


イントロは哀愁を伴って静かに立ち上がり、退廃的な印象を受けるんだけれど、そこから堰を切ったように真逆の煌びやかな音楽が雪崩れ込んでくるのが刺激的で。

受け取った曲の印象は「退屈で疲弊的な日常からの解放」かな。
そこからさらに毒気を抜いていくと『疲れ切った自分へのご褒美フレンチ』になるの、落差凄い。

フレンチは「食事を楽しむこと」が美徳とされるし、アペリティフ(食前酒)を用いて、例えば仕事モードからプライベートモードなど、楽しむ気持ちへの切り替え的な役割を持たせるくらい特別視されている瞬間な訳で。
その題材もしっかり曲に生かされているんだろうなと思えていて。

イントロ冒頭で鳴っていた退廃的な夜の方が、きっとこの曲の主人公にとっての「現実(にちじょう)」なんだろうな。
でも、ジャズ(毒)が鳴り響くこの夜は、現実では味わえない「刺激的で特別な夜」ということなのかな。


カウンターを滑っていく
愛と憎悪のカクテルグラス
指先の赤いスペード
今日のデザートを選んで

ああ濡れた
瞳の奥光る
抵抗(ナイフ)の切先
もっともっと 掻き乱してよ

本楽曲 1A冒頭

1Aのこの部分。
赤いスペード」なところがすごく好きで。

「スペード」は人を傷つける剣や槍のシンボル。

人を傷つけることのできる手先もまた「スペード」のメタファーたり得ると思っていて、赤いネイルを施した女性の手先を「赤いスペード」と見立てているのかも。

もしくは、「赤いネイル」じゃなくて「赤い血」なのかな。
そっちの方が好きだな。

イントラの退廃的な夜にあるのは、歯を食い縛り拳を握って耐えるひとりの姿。

「握手」や「ハイタッチ」、いろんな人とあたたかく交わしてきた掌だけれど、そんな日々を思い出せない程、いや思い出として掌にその「あたたかさ」が残っているからこそ、強く握られた拳には長い爪が傷をつけるように喰い込み指先を赤く染めていく。

そうして出来上がった「赤いスペード」。
そういうバックボーンがあると甘くて美味しい。

手は人間にとって道具を扱う器官。
「手は外部の脳である」とカントが言っているように、人間は意思を持って巧みに手先で道具を扱う。

抵抗(ナイフ)の切先
もっともっと 掻き乱してよ
(…)
好奇心のトリガー引いて
始めましょ
(…)
王道(すじがき)にトリガー引いて

1B〜2サビ頭

退屈で疲弊的な現実にトリガーを引き、狂騒を始める起点を想起させる歌詞たち。

「引いて」は「ナイフを引く」動作と掛けられていると思っていて。 
そのナイフを扱うのは「赤」で彩られた手先。

聖母マリアは必ず赤い衣服で描かれる。
『赤色』は血、生命を産む母の色。
人の内に流れ人を動かす色、情動の色。

話を戻るけれど、「赤いスペード」はきっと人差し指なんだろうな。

今日のデザートを選択するのも、
ナイフの切先を押し当て狙いを定めるのも、
自身の指先ひとつ。
自分(ひと)に刺し当て赤く染まった人差し指。

情動に駆られ、意思を持って「トリガーを引く」のも赤く染まった自身の人差し指。

毒にあてられ自身の指先ひとつで自ら狂騒へと身を投じていく人の様子が可視化されているよう。

都合主義(いかさま)で作られた
期待泡立たせるアペリティフ
舌先の黒いジョーカー
「ここのスペシャリテは何?」

ゆらりゆらり揺れる
揺籠からティックタック
瞼閉じる瞬間(とき)まで
もっともっと 活きてみたいでしょ?

2A~2B歌詞

2A~2Bメロにかけてはアペリティフを嗜むシーンかな。

天才、マーベラス、ブラボーなワードセンスだ。
「都合主義」を「いかさま」と読ませるの、最高に諧謔的。

でも、自分の子供に「都合主義」と書いて「いかさま」と名付けるのはイヤだな。もっとこう、王道な名前がいいな。

この歌詞に蛇足ながら助詞を施すと、

『都合主義(いかさま)で作られた期待を泡立たせるアペリティフ』

となる。
※アペリティフ:食前酒

泡立たせる、泡沫(うたかた)。

この曲の冒頭に差し込まれたカウントは「1・2・3・4」だったけれど、1212年に著名な鴨長明が方丈記にこう記している。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし

[訳] (川の)流れの滞っている所に浮かぶ水のあわは、一方では消え、同時に一方ではできて、そのまま(川の面に)長くとどまっている例はない。

『方丈記』鴨長明(1212年)

方丈記的な読み方をする。
(この先、一生使うことのないフレーズ)

『都合主義』とは 言動や主張に一貫性がなく、その時々の当人の"御都合"に流されて行動する様のこと。

きっとこの人は、自分なりに芯をもって真面目に頑張っている人で、いろんな人たちの御都合"に振り回されて、毎日を消費しているんだろうなと思えてきて。

日々生きていると、誰かの都合の中で動いたり、誰かにとって都合の良い自分を求められ、その期待に応えることを求められることは多々ある。
そんな中でこの人は「誰かの自分への理想より自分の自分への理想を叶えたい」タイプの人でだろうなあと思っていて。

その姿は全然「悪」だとか社会に適さないとかではなくて。

「誰かの求める自分を演じ期待に応えること」と「自分の在りたい自分を高めていくこと」の、『自己実現』スタンスの違いなだけなんだろうなと思う。

でも、自分が思う自分ではない姿がその場限りでは正解であったりするし、正解でなくても近道だったりする。

まあ、生きづらいよなあ。
歌唱もどこかうんざりとした声色のように感じられて。

都合主義(いかさま)で作られた
期待泡立たせるアペリティフ

誰かの都合主義の中で作られた自分への期待はうたかた、まやかし。
アペリティフのグラスに浮かんでは消えていく炭酸の泡のように、長くとどまっている例はない。

舌先の黒いジョーカー

そんなアペリティフを、冷ややかな、意地の悪い微笑みを口元に浮かべながら口に含んでいる様子が感じられて。
「自分ではない誰かが求める自分」に対しての諧謔的なカウンター表現になっていて、この毒感たまらないなあと思うのです。

「ここのスペシャリテは何?」のバックコーラス、なんかくぐもった悪魔じみた声が重ねられてるのかな。
なんだかより世界観をダークにさせる演出。

ゆらりゆらり揺れる
揺籠からティックタック
瞼閉じる瞬間(とき)まで
もっともっと 活きてみたいでしょ?

2B歌詞

ここのアペリティフを舌先で転がし味わうかのような、雨宮さんの蠱惑的な歌唱が堪らないっすよね…。
曲全体的に耳に残るメロディーでよく口遊んでいるんですが、特にこのBメロのメロディーラインが揺籠みたいに心地良くて好き。


1サビ2サビ共に、狂騒へ醒め堕ちていくフレーズを蠱惑的に歌われていて、こちらまで誘われてしまいそうで。

「リスクと薬は表裏」(1サビ)
「本心(ハート)に耳を当てれば」(2サビ)

ここの「り」「ば」の音階、直前の音との音階差に意外性があって大好き。
歩いているなか唐突に足場が失せていて「え?」という堕ちていく感じの、そういう浮遊感に似た感覚というか。

あまりテクニカルなことはわからなくて、どうやればこの声の嵌め方になるのか3歳の僕にはわからないんだけれど、こだわりを感じられてとても良きですね。

王道(すじがき)にトリガー引いて
終わらない刺激的ショータイム
本心(ハート)に耳を当てれば
赤裸々な欲望(ラララ)
刹那を貪る狂宴

2サビ歌詞

「すじがき」、「ハート」、「ラララ」
「王道」、「本心」、「欲望」と漢字から伝わる表情があって面白い。

この節の当て字みんな琴線なんだけれど、特に「ラララ」っていう、一般的には楽しげな歌唱を想起させるフレーズが「欲望」の表情しているのは世界観をより引き締めている気がするのです。

でも、欲望のような姿かたちをしているものが、実は、さみしさのかたまりだったみたいな解釈なんだよな。
さみしさゆえの狂宴。


辛酸 涙 苦汁 すべて
甘み増させる 彩(スパイス)
向かう先はみなひとつなら
もっともっともっともっと
味わい尽くしたいの

Dメロ歌詞

このDメロ、好きなんだよな。
「スパイス」に「彩」っていう漢字をあててるの、とても素敵だなあって思っていて。
ただの味わい深さ的な添え物じゃなくて、見映え的にも添え物なんだって。だったら無様に泥だらけでありのままに転げちゃうね。

Dメロに開き直らないとやってられない、つらいことも人生の彩りだというような、悪役なりのポジティブさみたいなものを込めました。落ち込んでいる時の支えになるのって、意外とマンガの悪役だったりしますから

「声優アニメディア 2023年3月号」

わかるなあ。
悪役、「自分の日常」とは相容れない、到底受け入れてはいけないものがちだけれど、案外そういった悪役たちの考え方や生き方っていうのが眩しくカッコよかったりするんだよな。
眩しくて見えないから、眩しくて見据えられないから、悪役は時に「自分の日常」とは相容れない、到底受け入れてはいけないものだと畏れられるのかもしれない。

でも、こんなこと(Dメロ)を言える
フリクリのハル子さんが「ときにはまずいラーメン食ってみたりするのも人生の豊かさってやつ?」ってセリフを残している。

貪欲な意思と何者にも支配されないハル子さんは悪役じゃないけれど、その超超超破天荒な言動で主人公の日常を引っ掻き回しぶっ壊す存在として、「日常における悪役」的な存在だと思うんだけれど。

そのハル子さんの「ときにはまずいラーメン食ってみたりするのも人生の豊かさってやつ?」っていう振り切った開き直りと、TRIGGERのDメロ、ご本人曰くの「悪役なりのポジティブさ」は通ずるとこあるよなあって思っていて。
そう言って笑うことができるのは、なんだかカッコイイ大人のように思うんだよな。

ここの直前、2B終わりの「狂宴」の歌唱、フォールが絶妙に哀愁の残り香を漂わせているから、そこからの「辛酸 涙 苦汁 すべて〜」が物悲しく映えていて。

そこから流れる「もっともっともっともっと」の蠱惑的な歌唱。
傲慢ではなく、実に赤裸々な欲望で希求していく様子のように聴こえて、こちらの欲望も拐かされ狂宴に堕ちそうになってぐるぐるする。


ラスサビ、曲終盤。
冒頭で、受け取った曲全体の印象を「退屈で疲弊的な日常からの解放」と書いて、また「もしくは、そういう人を『こちら側の世界』へ拐かし墜とす悪役」的な曲のようにこの曲を捉えているんだけれど。

だけれど、その最終フェーズ、堕ちきっていく処。

王道(すじがき)にトリガー引いて
終わらない刺激的ショータイム
本心(ハート)に耳を当てれば
赤裸々な欲望(ラララ)
刹那を貪る狂宴

ラスサビ後半

本楽曲の最後の歌詞部分であるこの節と、この歌詞の後のアウトロに乗って「トゥダッダララ、ルールラララァー♪」と歌唱しているあのフェイク部分。
この繋がりに物語性を感じられて。

王道(すじがき)にトリガー引いた先の終わらない刺激的なショータイム。
本心(ハート)に耳を当てれば聞こえてくるのは、理性的な言葉ではなく、赤裸々な欲望(ラララ)。

その「ラララ」というメロディに身も心も委ね口遊みはじめたのが、あのアウトロの「トゥダッダララ、ルールラララァー♪」だなあと捉えていて。

アウトロの最後のあの部分はもう日常からの解放どころか、狂宴へ堕ちに堕ちていく様子が歌唱から感じられて、愉しげな誘惑にこちらも思わず身を委ねとうなるよね。

でもきっと、そうやって割り切って自ら退屈で侘しさを感じる所から離れて自分が思うままに生きていく、自分の心の愉悦を大切にして生きていくのも、なかなか取るのが難しい選択だけれど、魅力的なのかもしれない。

なんてことを、インタビューで雨宮さんが次のようにお話しされているのを読み曲への解像度をあげながら感じていたのでした。

常識なんかにとらわれずに、「もっと生きようよ、あんたの人生をさ!」というメッセージにしたかったんですよ。それって私の考え方とも重なるし、今の世の中は遠慮がちな人が多いと感じていて。もちろん調和を重んじるのはいいことではあるけれど、遠慮しすぎて自分の個性を殺してしまっている人もいると思うので、そういう人へ発破をかけるような曲になったらいいなという願いもちょっとあります。

雨宮天が全収録曲を自ら作詞作曲!歌謡曲への愛と情熱に満ちた「雨宮天作品集1 -導火線-」完成

イントロの退廃的な雰囲気に始まり、最後の狂騒に堕ちるまで、こんな感じで物語的に受け取っていて。
その中でアウトロ最後の一音、それが不協和音じゃなくて、なんだか「めでたしめでたし」と物語を締めるような音を奏でて、そこがすごくお気に入り。

この音があるからこそ、この曲が「物語」として成り得ているのかなと思うし、何よりこの「刺激的な夜」は一過性のトリップ、その夜限りの儚い瞬間だってことを感じさせてくれているなあと。


「TRIGGER」、既存の「irodori」や「ロンリーナイト・ディスコティック」と一連の物語的に聴いても面白いなあと思っていて。


図解

「irodori」⇒「ロンリーナイト・ディスコティック」⇒「TRIGGER」の流れで並べられると、好きな世界観だなあって妄想していて。

「irodori」は図の中にインタビューでの雨宮さんの発言を書いているんだけれど、楽曲の解釈はそこを起点に持っていて。
MV中の「赤い衣装の子」が歌唱していくうちに、「白い衣装の子」の内に秘めた密やかな青(=「歌手になりたい」という意志)を思い出して青軸に戻っていく物語。

そう一旦捉えているんだけれど、そこからのIf、別の世界線を進みかけたのが2022年ライブ"SKY"でのセトリだったなと思っていて。

「irodori」について、作詞・作曲・編曲を手掛けた塩野海さんが以前こうお話をされていて。
(あれ、なんか「irodori」の記事になりつつあるな)

でも、"SKY"のジャズアレンジでは、原曲で塩野さんが言うところの"味方"であり続けたギターさえロックを止めてジャズを弾いていて。
そしてあのライブではDメロの歌唱がカットされていたんですよね。

「凍りついた湖の底から 悲しげにこっちを見ている“あなた”は誰?」という歌唱、赤い衣装の子に「歌手になりたい」という自分の意志を気づかせるような歌唱。

あのライブ、その次に歌唱されたのが「ロンリーナイト・ディスコティック」。

「irodori」楽曲単体になかった物語、白い衣装の子が「青」ではなく、「赤い衣装の自分」を受け入れたる意思を持った流れのように捉えていて。

(ただ、"SKY"の時はここから更に「ロンリーナイト・ディスコティック」の後半の衣装チェンジで意志を取り戻し「青」に転換していった受け取り方と曲の解釈をしたんだけれど)

今回の「TRIGGER」は、あのライブの「ロンリーナイト・ディスコティック」で青(白い衣装の子が密やかに抱いてた意志)を選ばなかった世界線。

そのまま赤い意思を意志に変えて、「この赤い衣装、ここがわたしのステージよ」と受け入れ、プロとして人々を魅了している世界線なのかなあって。

そういうところで「irodori 完全赤ルート」、
「irodori」⇒「ロンリーナイト・ディスコティック」⇒「TRIGGER」の流れ、好きなプレイリストだなあと思うているのです。

さらに言うなら、その「TRIGGER」の人がショーステージの先輩として、次の「irodori」の子を遠くから少し気にかけてたり、時に面倒見てたり、先輩としてステージ見せたりしながら、そのステージが次の「irodori」の子の選択の"トリガー"になったりしてるドラマが、観たい(遺言)


大幅に話が逸れてしまったけれど、雨宮さんご本人が歌謡曲にボカロジャズというテイストも意欲的に取り込みながら作詞作曲された本曲。

これまでの自作曲の比じゃないほど歌詞に多く当て字が使われていたりしてより言葉遊びがロジカルに面白くなっていたり。

「意欲作」というのかな、制作にあたり妥協なく色々な歌謡曲をインプットしたんだろうなあって感じられて、愛とこだわりの大きさを感じた一曲でした。

雨宮さんの歌唱も意欲的に「フォール」が多く使われている印象があって。
その技法がこの曲の官能的な表情付けに大きく影響しているのかなあなんて思うけれど、なんだろうなあ、こう、やっぱ表現力がヤバい。
赤軸の楽曲は雨宮さんの楽曲への表情付けをより多分に感じられたりして楽しいね。

雨宮天 1st EPシングル
「 雨宮天作品集1-導火線-」

他の楽曲たちはどんな味わいになっているのかな。
今から発売がめちゃ楽しみだ(´×`)

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雨宮天 1st EPシングル
「 雨宮天作品集1-導火線-」
3月22日発売

雨宮天 カバーアルバム
「COVERS -Sora Amamiya favorite songs-」
発売中

雨宮天  歌謡曲カバーライブイベント
「LAWSON presents 第四回 雨宮天 音楽で彩るリサイタル」
2023年 4月29日(祝・土) Zepp Nanba(大阪)
2023年 5月7日(日) Zepp DiverCity(東京)