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ときめき探しのすゝめ

小学生の頃、通学路には金木犀が植えてあって、秋になるとよくプリントを折って作った紙の箱に金木犀の花を摘んで帰っていた。もっとも、ただいい匂いがするから集めたかっただけで、家に持ち帰った金木犀がディフューザーとして有効利用されるとか、そんなことは無かった。集めた金木犀をどうしていたかを私は全く覚えていないから、きっと家の庭先で捨てたり、それどころか家に着く前には手放したりしていたのかもしれない。

その頃と比べると、ずいぶん合理的で効率的な世界に生きてしまっているな、と思う。限られた時間やお金、体力を何に使うかを選択する基準が、実利的なことかどうかに委ねられることが増えた。

例えば私は幼稚なものが好きで、ガチャガチャが大好きなのだが、いつからか買わないように自制するようになった。実用性のない可愛いだけのキーホルダーやフィギュアにお金を使うくらいなら、その分お金を貯めてもっと有益なことに使うべきだと考えたからだ。

有益なものか否かは本来人それぞれの価値観に依存するはずなのに、私が大好きなガチャガチャを有益なものだと判断できず手放したのは、SNSでバズっている格言や、吊り革につかまりながら見た語学学習の重要性を謳う広告、大きなポップが「読まなきゃ損」だと訴える自己啓発本。
そんなどこかで見たような言葉の数々に、知らず知らずのうちに洗脳されていたからだ。

自己投資、自己研鑽、成功者になる。
キャリアアップ、スキルアップ、人生の勝ち組。

これに直結するもの以外は、無駄なもの。意味が無いもの。半強制的に頭の中に流れ込んでくる言葉たちが、そう囁いてくる。

本当に、そうだろうか。
なんだかくたびれてしまった。

見えない誰かがしきりに言うことを実践した先に、何があるだろう。
英語が喋れるようになって、ビジネスが成功してお金持ちになって、脱毛してツルツルになって、ジムに行ってムキムキになった世界線の私は、金木犀の香りに心踊るだろうか。

途端にバカらしくなってしまって、私はガチャガチャを集めることにした。
メルカリで、今は売っていないガチャガチャのお菓子のキーホルダーを450円で買った。よく目にするチョコレートが指に乗るほど小さくなっているのに、パッケージが綿密に作られていて心臓が跳ねるのが分かった。可愛い。可愛すぎる。早速ペンケースにつけてみたら、目にする度にときめいた。
買って良かったと、心底思った。

キーホルダーなんて、つけなくったって筆箱は筆箱として十分に機能する。筆箱にキーホルダーを付けずに家を出たからといって、ひどく後悔することはないだろう。
確かにチョコレートのキーホルダーは、私の生活を合理化も効率化もしてくれない。
ツルツルでムキムキな人に、そんなもの無駄遣いだと揶揄されるかもしれない。

でも、確実に、私に必要なものだ。可愛いから、好きだから、必要なのだ。

いつの間にかたどり着いたゴウリテキでコウリツテキな世界で、私たちが失っていたもの。
紙の箱いっぱいの金木犀や、チョコレート菓子のキーホルダー。

歩いてきた道の中で落としてしまったものたちこそが、本当に私の人生に必要なものだったんじゃないだろうか。
無条件に胸をときめかせるということは、紛れもない”実利”だ。

みなさんも、失ったものを拾い集める旅に出てみませんか。歩いてきた道をもう一度辿って、落としたものを手に取って見てみると、案外どれも悪くはずです。



おまけ:メルカリで見つけたときめき達

最近はガチャガチャの他に、”平成を生きた文房具”を毎日のように漁っている。当時のようにデザイン過多な文房具は最近見かけないのでメルカリで探してみると、小学生の頃の自分の宝箱を開けているようでときめきが止まらない。

【無駄にチャームがついた鉛筆】

【書くスペースが極端に少ないメモ帳】

【なぜか分解できる消しゴム】

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