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SPITZ JAMBOREE TOUR '23-'24 “HIMITSU STUDIO”

音にも「生(なま)」と「そうではないもの」の2種類があって、生音を聴く機会を得られるのは、世知辛い暮らしをする中でとっても贅沢なことだ。

もうスピッツのライブに行くのは5、6回目になる。スピッツのライブはひとりで参加してもちっとも居心地が悪くない。毎回、ライブがはじまる瞬間は心がうわっとなって、ここにいる何百もの人々全員がひとつのおんなじ音楽が好きなんだと思って感激する。

今回のチケットの席順はやや後ろ気味で、でもAブロックのかたまりの一番右端の一番最後尾だったので、つまりは右隣にも後ろにも人はおらず通路だったので空間を広く使えて当たりの席だった。肝心の左隣の人はというと、完璧に切り揃えられたボブのさらさらへアに、フェミニンな大きな花柄で肩に穴が開いたひざ丈のフレアワンピースを着た40代前半の女性だった。持ち物はフリルがついていたり、水彩画タッチで描かれた柄だったり、こてこてのガーリーテイストでなぜか大荷物だった。そして一緒に来ていると思しき左隣の女性と双子コーデをしていて、終始そわそわしていた。なぜここまで詳細に印象に残っているかというと、これからライブに参加するというより本命の彼とデートに出かけるような格好だったからだ。周りはもちろんライブ限定のTシャツにジーパンだったり、カジュアルな服装の人間しかいない。だから珍しいなぁと思って、だけどジロジロ見ると失礼なのでなるべく目玉だけを動かして観察をした。

いざライブが始まる。ついに始まったと心臓がドキドキワクワクして、会場のみんなもなんだか張り詰めた感じになって、嬉しいのになぜか目に涙が溢れてくる。周りにも涙をこそこそと拭っている人がいる。イヤホンやスピーカーで聴いていたのとは全く別のもの。ドラムの音は体が揺らされるくらいに響いて、ギターは会場の空気の隅々まで鳴り渡って、ベースは生きているかのように自由に大胆に動き回って、声はイヤホン越しだと一直線だったのに実は繊細に震えていてまろやかで大きな音なのにふわふわしている!この4つの音はそれぞれから放たれているのに、見えない空気上で合体する!

何度この事実を経験してもいつも感動する。贅沢だと思う。最初は少し恥ずかしくて手を上に挙げたり、リズムに乗ったりするのにためらいがあるけど、すぐにそんなことどうでもよくなって音楽に身を委ねる。すると視界の左側が何やら騒がしいのに気づく。ちらっとみるとあの肩に穴があいている花柄ワンピースの女性がすごい速さで激しくジャンプしている。とっさに見てはいけないと思った。運よく、ステージとその女性は反対方向だったので、ステージにだけ一点集中した。疲れるので前の人の椅子の背もたれに手を置いているとガンッガンッガンッガンと前に押し出される感覚がある。左をパッと見るとあの肩出し花柄ワンピースの女性が前の人の椅子にぶつかりながらノリノリでジャンプしていた。私はその激しさに驚愕してちょっと萎えて、でもいい加減控えてもらおうと思ってじろっと左を見て相手を牽制した。とにかく、この贅沢な時間を邪魔しないでくれと願って、気にしないよう心掛けた。曲調も穏やかなものになるとさすがにジャンプはしないでいてくれて助かった。(怖くてあんま見てないけどたぶんそう。)それからやっとライブに集中できるようになった。

今回のライブはファンクラブ限定ではなく誰でも参加できるライブだったので、草野さんのMCは段違いに腰が低いものだった。でももう10年以上ファンをやっているからわかってきたが、これはわざとに腰を低くやってみせているのだ。「はじめてライブに来たよって方は手を挙げてくださいー」とたずねるとざっと4割くらい手が挙がったので驚いた。今回のライブのセトリは、映画の主題歌でヒットして大衆的要素が増えたことに反発しているのか、ドラマやCMに起用されたメジャーな曲の合間にバリバリロックなニッチな曲を入れ込み、ギャップを見せつけるような形だった。私はバリバリロックなニッチな曲派なのでそれに安心した。ただアップテンポの曲が続くと、隣の肩穴花柄ワンピースの女性がジャンプを続けるのが苦しいのではないかと思って不安になった。王道「チェリー」のあとに「スーパーノヴァ」をぶっこんで来た時には「やってくれたぜ!!」と思い、仰いだ。曲が終わった後、斜め前にいた40代くらいの夫婦が「はじめて聴いた!」と顔を見合わせていて、私は「ざまあみろ!!」と思った。「スーパーノヴァ」のことが大好きなので、嬉しくて最高の気分になった。

その直後の草野さんのMCで「えー、今の曲は「スーパーノヴァ」という曲でだいぶ昔のもので忘れかけてたんですが、ひさしぶりにやってみました。」あいまいでうろ覚えだが結構「スーパーノヴァ」のことを卑下する感じでそう言った。私はこれはちょっと嘘だとわかってにやにやしてしまった。なぜなら草野さんはラジオで「イカしたギターリフで漫遊記」の回で「スーパーノヴァ」を選曲していてリフが気に入ってると言っていた。つまりほんとは「スーパーノヴァ」は気に入ってる曲でライブに初めて来るような人にも聴かせたかったのに、なんだか照れ隠しでこんな言い方をしたのだ。それが私にはウケた、いいぞもっとやれと思った。


今回も素晴らしい音楽を生で聴かせてもらえて(しかもMCではゆずの栄光の架け橋と藤井風のきらりを歌った...!)、素晴らしい時間だった。ライブが終わり、「ありがとうございましたー!」と言ってメンバー全員がステージ上からはけて私も一息つこうと椅子に座ろうとしたら、なんと椅子がない。びっくりして後ろを振り返ると、私と隣の女性の椅子だけが後ろの通路の真ん中にポツンとある。きっと隣の肩穴花柄ワンピースの女性の激しいジャンプによって後ろに吹き飛ばされたんだ!と気づき、やれやれと思って自分の椅子だけを戻した。私は贅沢ないい時間を邪魔されて憤慨した。その女性はハンカチで汗だくになった額を拭い、化粧直しするのに忙しそうだった。この距離じゃ、こんな人まみれの中じゃ、あちら様から見られる可能性なんてないのに!ひとまず座り、アンコールの手拍子が始まる。アンコール制度の必要性について考えながら、でもまた戻ってきてほしいので協調性をもって手拍子をする。すると、通路を挟んだ斜め前の席の女性がその手拍子の中をそそくさと抜け出し帰っていく。気の毒にと思いつつ延々と手拍子をする。しばらくすると細身でスポーツ刈りのラッシャー板前みたいなおじさんが爽快に駆け足で横切ったかと思うとさっき抜けた女性の席についた。え?と思うと同時に強烈なおじさんセレクトのコロンの香りが会場いっぱいに広がる。お父さんが60代の頃に「男の匂いケアは30才から!」と書かれたAXEのボディースプレーを使っていたことを思い出す。アンコールの手拍子は続く。私は今すぐにでもスタッフを呼んであの強烈コロンのおじさんをこの会場から放り出してほしかったが、実はこのアリーナ席のチケットはおじさんのもので、娘であるさっきまでいた女性の席は後ろのはずれの席で、優しい父であるおじさんは娘にいい席を譲っていて、でもちょっと惜しいからアンコールの時だけその席返して、という話になったのかなとか思って、そしたらおじさんはいいおじさんだなと思ってそう考えているうちに手拍子が拍手に変わり、スピッツのメンバーが「ありがとうございますー」といって別の服に着替えた状態でステージに戻ってきた。アンコールってお色直し的なわけ?などと思い、アンコールの必要性について詳しい人に教わりたいと思った。アンコールでしがちな雰囲気の曲を聴いて、これがアンコールでしがちだとわかるくらい自分も慣れたもんだと思って嬉しくなった。アップテンポだけどちょっと切ない雰囲気を醸し出す曲。でもずっとあのおじさんのコロンの嫌な匂いが鼻をかすめているし、椅子の件で左側はもう見ちゃいけないものだと自分で自分に妙な圧をかけてしまったし、居心地は悪かった。ストレスフリーの偉大さを知り、今までのライブで前後左右、その周辺の席だった人達にありがとうと伝えたくなった。

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