2024.05.28

そこまで親しくない人に「よくなんのYoutube観る?」と聞かれ、正直に街録チャンネルと答えてしまったあとの気まずさ。

ビビッドなカラーで過激な単語が羅列しているその画はきっと見る人に衝撃を与える。

わたしはたまに街録chを観る。なぜ「たまに」なのかというと、取り上げられている人に興味がある場合だけ観るから。
波瀾万丈だったり壮絶な体験をした人の話を聞くと、勉強になる。わたしは感謝している、ここまで生きてきた実体験を語ってくれるから。そこにあるのは「ありのまま」だ。人生で起きたいいこと、わるいこと、それに対してした努力や考えの転換、それらはもちろん困難がなかったら立ち向かわずに済んだ出来事だけど、ここまで生き延びた工夫(ボキャブラリー不足でぴったりくる言葉が思いつかない)だ。大多数の人々が経験したことのないことを経験した、少数の人間の語りからは現実世界の酷さとそんな世界で生きる術がわかる。正解なんてない。間違いなんてこともそんなにないけど絶対に間違いだと言い切れることはある。理不尽で為す術ないことは多々ある。一昨日、途中で自ら死を選択する人とそうでない人の違いを考えさせられる場面があった。


殺人事件を起こした母親をもつ息子の話。4人兄弟のうち、長女は自殺している。自殺は、死であり、つまり終わりということ。ただ終わるのだ。すべてが終わる。でもそれは主人公である本人にとってすべてが終わるだけで、とりまいている世界は、そのまま続く。その本人が自殺したという不在の状況で、続く。取り残された家族がかわいそうじゃないか!とか迷惑がかかる!とかそういう誰かの主観の感情は置いといて、とにかく続く。そうすると、「終わった」というよりも「放棄した」という表現の方が的確だと思う。別の視点から見れば、自殺ではなく精神的な病により病死したという表現が正しい場合もあるが。「母親が殺人事件を起こした」という同じ状況下にある兄弟4人であっても、一番多感な年齢であったそれも長子である長女は、ダメージを大きく受けたであろうし、人それぞれ考え方や痛み・辛みの尺度は違うし、同じ境遇であってもしかも血が繋がっていても、共感して助け合うことが可能なわけではないのだ。それは、なんて酷な世界なんだろうと思う。そしてそんな酷な世界で私は分かち合える人間を探しているのだ。

私は街録chに出ている人達ほど特異な経験はしていないが、それでも身近にいる人達に話せない、そして理解されない経験をした。それによっていろんなことに支障をきたした。今も悲しい。
新しい友達との何気ない会話でも恋人探しの場でも、のほほんと生きている人とは、不意に分かち合えない瞬間が生まれて胸が苦しくなる。そして昔は些細なことでぼろぼろと号泣した挙げ句泣き叫んで喚いていたのが、12年経った最近はつーっと頬に涙が慣れる程度にまで収まった。昨日はひさしぶりに(この前付き合ってた人と別れた以来)そこからさらにだらだらと泣いて、とぼとぼ歩きになって、いつもの30倍くらい遅い速度でしか家に帰れなかった。
生きるってそんなことの繰り返しでマジでマジで無理なんだけど、それでも背が高くて顔がタイプの男の子が可愛いって言って抱き締めてくれたら嬉しい。ひさしぶりに欲しいと思う洋服に出会い、クリーム色に青い花柄のパラシュートパンツ(しかも2WAY)を買えたら嬉しい。ギター弾いてるちょっとロン毛の男の子がトゲピーの最終進化した姿の画像を送ってくれたら嬉しい。ふわふわの三毛猫がちっちゃい身体で私を追い回してくれるから嬉しい。7年くらい疎遠だった妹から連絡がきたら嬉しい。

街録chを観ると参考になる。いろんな人生があって生い立ちからハイライトから現在、そして未来に臨む姿勢まで。2ch創設者のひろゆきが、三谷さんだからこそ(いい意味でずけずけと)質問できて、成り立っているんですよねwwみたいなこと言ってて、とても共感した。三谷さんは「あっそうなんですか?ありがとうございます」といった調子だった。街録chを観て、時々壮絶すぎてひどく落ち込んでしまうこともあるけど、語り出る出演者が存在する以上、有意義なYoutubeチャンネルだと思う。

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