2024.05.23

特筆することはないんだけど、最近いいことがたくさんある。
いいことがたくさんあるというか、悪いことがあまりないし、暗い考えが思い浮かばない。なんだか子供の頃の自分に似たような、あの辛いことがなかった時みたいな人格な気がする。わたしは本当はやっぱり人間が好きだ。ここ12年くらい閉ざしていたけど、好きだと思う人達には可愛いって思うポイントがたくさんあって、それに出くわす度に私は大笑いしている。私はずっと友達のことが大好きだった。ほとんどみんないなくなっちゃったけど。だからまた友達を作りたいなって思う、というか気付いたらまた少しずつ友達みたいな人ができてきた。きっと鬱みたいなジメジメした暗さが少し晴れて明るくなったんじゃないかな?だからみんな声を掛けてくれるのかも知れない。

そんなことを思うと嬉しい反面、今までの暗い過去が際立って、本当に可哀想だったなぁと思って切なくなる。特に高校卒業したての大学生活なんてもうボロボロだった。誰も頼りに出来る人がいなくてひとりぼっちで死にそうだった。今思えば死ぬ理由がきっちり揃っていたけど、死にたいとは思ってなかった。なぜなら、現状に気づけていなかったから。とにかく時間にただ流されようと必死で、息をするだけで精一杯だった。今、もし願いが叶うなら大学1年生に戻って、新入生歓迎会に参加するところからやり直したい。みんなのこと怖がって怯えて誰とも関係を持たないなんてもったいないことせずに、明るく楽しく「普通に」振る舞いたい。そして大学生らしく課題に一生懸命取り組んで、友達と遊んで、恋愛したいよ。


ここまで回復するのに12年かかって、これからもまだ戦い続けなければならないと思うと気が滅入る。たくさんの人と会って話をして距離が縮まる度に思う、私がした経験と過去はよくある話ではない。だからこの規模の悲しみと苦しみを理解してくれる人間は限られているってこと。それでまた悲しくなるね。でもとにかく今を生きる。ただそれだけのことなんだね。


小学6年生の時、国語の教科書に載っていた谷川俊太郎の「生きる」という詩を思い出す。とにかくシンプルだ。そして正しいと思う。


生きる
谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ



なんてこと言いながら、ふつうに悔しいだけのしょうもない人生を肯定なんてしてないからな。ぜんぜん許してないからな。

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