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「箏で紡ぐ空の物語」



本日はお休みをとり、高校時代、箏の演奏でお世話になった先生の演奏会にお邪魔させてもらった。


音色が耳から神経を通って脳へ伝った瞬間、

あ、と思った。

反射的に涙が涙腺から溢れ出し、下瞼だけではもう持ちきれなくて、こぼれ落ちた。

ぽた

ぽた



花を見た。
風の中で、風に揺らされながら、自分の姿勢を保たんとする、揺れ動く花々を見た。
光を受け、反射する色とりどりの花。

その向こうに、白い雲が流れゆく、あおい、あおい空。
穏やかでいて、包み込まれるような心地がした。

空の色が淀みはじめ、灰色に変わったと思えば、たちまち嵐に見舞われた。

風が吹き荒み、もう花もなく、天も地もわからなくなってしまうくらいに、自分も消し飛ぶくらいに、渦の中をひたすらに歩いた。

歩いて歩いて、とにかく前へ歩いた。

ぽた
ぽた

ぽた

ぽた

いつの間にか渦は消え、嵐が過ぎ去って行く。どうやってここまで来たのか、知る由もない。

ぽた

ほっと一息ついた眼には、ひたすらにあおい空が映っていた。



近藤智子先生が作曲なされた「天の原」。

今日は、近藤先生と、吉川あいみさん、鈴木友理さんのお二方が演奏をなさった。

この素晴らしい楽曲と演奏を言葉で表現することは、あまりにも烏滸がましく、不足で、私の言葉なんかでは全く「天の原」を伝えられないのだが、どうにか、初めてその場で聴いたときの、私の心への響き方を書き出してみた。


かなり久しぶりに箏の音色を生で聴き、心が弦のように張り詰めていて、それを弾かれた瞬間、張り詰めていたことに気付かされた。

時に優しく、時に力強く、確かに私の心臓に届くひとつひとつの音。どうしてこんなにも心が引き寄せられ、洗われて行くのだろう。

箏が好きだなと、しみじみ思った。


記憶にある近藤先生がお手本を見せるため、近くで弾いてくれた時の手は、華奢で、しなやかで、それでいてとても力強く、すごく綺麗な手だった。琴線はその手によって弾かれ、震え、なびき、空気を伝って私の肉を伝って心臓に触れた。

その手から弾き出された音はその手に似ていた。


私は箏を通して、奏でる楽しさ、協奏する楽しさを教わった。

音楽は一人で楽しむものだと思っていた節があったが、協奏を通して、音の重なり合いの美しさはやはり他人との協力を経て得られるものだと実感した。

まず自分の音を、そして他人の音を、そして全体の音を。全体の音は空気を伝って融合し、DNAの螺旋構造のように人に繋がってゆく。そうか、音楽は自分に繋がっていたのだと。


音楽というのは、やはりひとつの「言語」なのだと感じた。

私たちは意識、気持ち、考え、愛を伝えるために、
言葉を選び、紡ぎ合わせ、口に出して届ける。

音符を選び、紡ぎ合わせ、奏で出して届ける。

私の表現に限界を感じるので、虫明亜呂無先生の文章を引用させてもらう。

音楽の描写がむつかしいのはこのためである。人間の感性によってきたるところが、音楽によって発見され、導かれてふたたび人間の感性として、人間にもどっていく。音楽が人間の存在と直結していけるのはこうした経過と秩序を音そのものの中に表現しているからである。

虫明亜呂無『むしろ幻想が明快なのである』



後ろの方に座った女性たちが休憩時間のとき、「聴くと自分もまた弾きたくなるわ」と話していて、これぞ音楽の力だと思った。


私もその力にすっかり癒されました。素敵な時間を、本当にありがとうございました。

久しぶりに先生と色んな方にお会いでき、昔話から今の生活について話せたのも嬉しい。


演奏された楽曲の中で「黎明」もかなり印象に残った。
今日の演奏を通して、瞼の裏にさまざまな空を見せてもらえた。



CD「空 〜美しき箏の調べ〜」

「天の原」、「黎明」合わせ、9曲収録されております。少しでも興味を持っていただけたのなら、ぜひ。


2023.11.25   星期六 晴れときどき曇り
(※本記事のタイトル「箏で紡ぐ空の物語」はCDの帯に書かれた一文です)

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