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傘を置いてきちゃった




助けを求められたので、助けた。

私はしがみつく女の手を払いのけ、襲いかかって来る人の手が届く前に、手に持っていた傘でその腹を突いた。その人は勢いよく水だまりに倒れる。
月が水だまりの中で激しく歪められる。

こういう時、トドメを刺さずに、安心しきった登場人物が後ろからやられるシチュエーションにはもう飽きた。

女は甲高い悲鳴を上げる。

私は見飽きたシチュエーションを避けるために、その人が起き上がる前に、もう一度勢いよく傘を刺した。そういえば「傘をさす」も「傘をsasu」だ。この際どうでもいいか。

うめき声が聞こえる。

歪んだ月の隣に、月より輝かしい罪深い明かりが目に入る。

躊躇なくそれを拾い上げ、馬乗りになり心臓を狙う。馬乗りにされた人の目からは驚きと恐怖と疑問が読み取れる。しかし固定されたシチュエーションには飽きたとさっきから言っているように、飽き飽きしているので、私はその感情に富んだ瞳を見つめながら月より激しい光を放つ罪を振り下ろす。

月が雲に隠れる。

女の声はもうしない。

振り返ると、女は私の下敷きになっている人間の数秒前と同じ顔をしている。無限ループとはなかなかホラーなものである。そして救った女にそんな顔をされるのはなかなか傷つくものである。

下敷きが痙攣する。

なんだか悲しくなってしまったので、立ち上がり、手に持ったそれを女のところまで歩いて行き、目の前に放り投げる。後は自分でどうにかやってくれ。
そんでそんな目で見ないでくれ、泣いてしまいそうなくらい悲しくなるだろ。心のない殺人鬼じゃあるまいし。

というか、こんなことをしている場合ではないのだ。はやく帰って原稿を進めなくては。終わる目処が全く立っていない。これでは怒られてしまう。そういえば今日の夕飯は何を食べようか。明日は気温が上がるらしいし、何を着ようか。

とぼとぼ帰路につく。濡れた地面をぼんやりと眺めていたら、そういえば傘をあそこに置いてきちゃったことを思い出す。

面倒なので、引き返さずに街灯が照らす道を前に向かって歩き続ける。私の人生でまた一本の傘が失われる。

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