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演劇(自分)って全員舞台に上がらな劇(自分)にならんことない?とはたと気づく

大きな勘違いをしていたことに今朝、はたと気づいたので記録する。

私ってどんな人?と、自身を形容するような言葉を探すとき、なんとなく「一言で言うと」みたいな感じで例えば、「くそ真面目」とかそんなふうに、とにかくひとつの人格で表現していたし、実際、人前ではそれでしかない。

しかし人間、そんな簡単な生き物なわけがない。

「くそ真面目」ももちろん私。でもそれだけじゃない。

本当のところは、「怖がり」「乱暴者」「神経質」「だだくさ」「お人よし」「ふざけがち」「ひねくれ者」「素直」「薄情」などなど、たくさんの自分が矛盾も含んで同時に存在している。

だのに、「私ってどんな人舞台」に上げるのは「くそ真面目」だけで、別に誰も一言でまとめろなどと言っていないのに常に「くそ真面目」を代表にしてその人だけで演じて見せている。

いわば「私ってどんな人舞台は本来大勢のキャストがいるにもかかわらず、なぜ配役Aが一人芝居をやっている」状態なのではないか!?ということを思ったのである。

その他のキャストは、当然不満である。
本来自分が出る場面も、なぜかAが。
大人数の場面でも、落語のようにAが。
とにかくAが、Aが。

本当は嫌なのに。
本当は怖いのに。
心細いのに。助けてほしいのに。

くそ真面目が、私たちの場面を横取りしていく。

出番を取られて、輝くはずだったそれらの感情は不満です。

そういうことなんだよ。

私は、いつもくそ真面目によって他のみんなの出番を奪っていて、いるのに出番を奪われた感情は不満を覚えるし、奪っている方もひとり忙しくて疲れ切ってしまうしで。

そんな劇おもろいか??

しんどいわ、しんどいて。
やっとる方も見とる方もしんどい。


全員でやるんだよ、みんながみんな自分の出番で輝く、それが集まって劇なんよ。
それが集まって自分なんよ。

ワカメだろうと牛のうんこだろうと関係ないのよ。醜い感情も舞台に必須なの!!

だからいいんだよ、
出していいんだよ。
出さなきゃ劇にならんだよ。

他のキャストさん、表舞台に上げてこうぜ。

みんなでやるんだなぁ。
ずっと勘違いしとったわ。

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