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「正しさ」で身(己)を守りたい一心なのだけれど、ちょっと待て、大丈夫かもしれんぞ?

人から責められたくない、非難されたくない、突っ込まれたくない、否定されたくない。だからなるべく、それらの材料となるであろう自分の非を可能な限りゼロに近づけたい。

そういう気持ちが自分にはある。

「正しい」側に自分が身を置くことで自分が傷つくことから身を守る。
正しい側にいるから、何かがあったとしても最終的に守られるのはこちら側なんだ、世間はこちらの味方なんだという保険。

しかし一方で「うるせぇばかやろう!俺の知ったことか!」とか面倒だから行かないやらないとか、自分のわがままや怠惰や責任放棄とか、極めて人間らしい?本心がありありのあり。が、これらはツッコミどころ万歳だ!いかんいかん、非を相手に見せてはいけない!と、保険のためそれらを抑えて努めて「正しい」言動に終始している日々。

つまらんよなぁ。

しかし、そうまでして恐れる他人からの攻撃、による傷つきが耐えられない、んやろなぁ。


憎まれる、がっかりされる、この2つが自分には特にキツくて、がっつり長年にわたってこべりついてしまっている。しかも長年のわりにそれでいていつでもフレッシュな状態。
そのキッチン汚れが自己を脅かして保険をいくつもかけてしまっている状態だ。

その保険、重複していますよ!見直しを!と頭ではわかっているのだけれど、事故った時お金その分たくさん貰えるんですよね!?じゃあ(このままで)いいですぅ〜っていう気持ちの方が優ってしまうのだ…。

と、ここまで書いて冷静にもう一度考えてみる。

「他人からの傷つきに耐えられないんやろなぁ」

ほんとかな?

正しくは「他人からの傷つきに耐えられないって信じてるんやな」

じゃないなしら。

前は耐えられなかったかもしれないけど、今か未来、耐えられてる可能性もある。

耐えられるかもしれん、意外と大丈夫なのかもわからん、ということはだよ?正しさで身を守るつまらん保険も、

本当に必要ですか?あなた(自分)。

…いま一度見直しを。

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