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「治る、治す」というガワだけを求めてる限り漏れなく症状はアンコールするんでその「下心」、手放そう話

うつ病の診断が出た当初は、ストレス元から離れたら元に戻るんだと思っていたが、話はそんな単純なもんじゃなかったやー。

ストレス元がはっきりしていた頃は、辛いは辛い、うつ病になるくらいは確かに辛かったのだけれども、その対象が明確な分まだ?よかったわ…と、今になれば思う。その当時は辛くてたまらんかったけど。

仕事を辞めてしばらく経って、ストレス元のことも考えないで過ごせる日々を送れるようになってきた。

そんなある日、急に病気不安症になった。
数日後にパニック発作を起こした。
そこから、常に病的な不安と恐怖、強迫観念、息苦しさ、胸のつかえ、諸々以前にはなかった感覚が自分の輪郭に加わることになってしまった。

あれがいけないんじゃないか、ここが悪いんじゃないか、何かの病気じゃないかしら、死ぬんじゃないかしら!じゃないかしらー!
(不安障害はほぼ「じゃないかしらー!」である。深刻に妄想している病気。)

まじで温泉だったらええのにと思うくらいこんこんと湧き上がる不安と恐怖。四六時中湧いて沸いてかけ流しなのでもうどうにかなりそう、気が狂いそう!てかもう狂ってる怖いよ怖いんだー!!!

そういうのがこじれにこじれて、ついに元に戻って来れなくなって入院もした。


うつ病に加えて不安障害も加わってから、自分で色々本を読んだり治療に通ったりあれこれやってみた。あまりに辛いので何とか良くなりたい、治したい、前の状態に戻りたい一心である。

そしてあれこれ試して一時良くなって喜んだりもしたが、結局何度も敗れ去りやっぱり治らないんだと絶望。

「もう自分はだめだ、もう生きている限りこのままだ。辛い、辛すぎる。常に異常精神状態!何かトリガーあれば発作!身体は何食べても下痢!眠れねえ!TVもラジオも文字も読めねえ(何かのフレーズでトリガーになるから)!いつも脂汗!息が苦しい!頭回らねえ!人の話もわからねえ!返答できる余裕もねえ!気晴らし?そんなの関係ねえ!おらこんな村嫌だ!東京へ出るだ!(最後の2つはフィクションです)」

もう死ぬしか楽になれる道がない。
どれくらいのしんどさだったかというと、ダイエットしたいわけでもないのに1か月で10kg痩せられるくらいのしんどさ。

そんな状態だったけれど、なんとか持ち直すことができた今、ようよう考えてみると。

①明確なストレス元がなくなってから不安障害勃発したのって、ストレスが目の前から消えたんだけども自分はまだ警報サイレン鳴りっぱなし、サイレン鳴ってる!迎撃体制ヨシ!あれ?目標どこ?いないいない、ここかな?あそこかな?と、己の警報装置の故障に気づかず必死に対象物を探していたんだわと。

②そしてこっちは最近ようやく思えるようになったが、良くなりたい、治したい、前の自分に戻りたい!っていう当たり前っちゃ当たり前のその願望が、自分にとってそれはちょっと違ってたかもしれないなぁ、ということ。

あまりの辛さから良くなりたい気持ちも切実になるんだけど、うまくいかないとその分奈落の底だったし、また、あれすれば良くなるのでは、こうしてみたら、あれは良くないのでは、と、とにかく何か良い方法を探してやってみても、結局根本的な解決になったものは残念ながら自分は見つけられなかった。

ふと、自分がスポーツやっていた時のことを思い出した。

結果ってあくまでも結果なんだよねって。
結果出なかったら今までやってきたこと一切が何の意味もないってことないよねって。

なのになんで対不安障害においては、勝利至上主義になって、結果出なかったらからってほらやっぱ治んないんだって絶望するんだろう。その間のこと全く無意味にしてしまうんだろう。勝てなきゃ意味ないよになるんだろう(まあそれだけ切羽詰まってるからなんだけどもさ)。

不安障害、辛い。
うん、辛い。今もザワーっと来るとやっぱり同じように辛い。

でも故障警報装置がついとんだわね、私。
その故障をまず把握しよう。
ザワーとくるのは、その警報装置のためです。

そこはわかりました。
治りたいという気持ちはいけませんか?

いけないわけではないです。そりゃ不調はないに越したことないですもの。
でもね、良くなりたい、治りたいという気持ちがあなたの場合いつの間にか「下心」にすり替わってしまうのよ。

「したごころ!」

(一人二役脳内会話がフェードインしてますがお付き合いください)

そうよ、もう少しあなたにわかりやすく噛み砕くわ。ガワだけ整えても中身が変わらないとこの手の病気は恐らくずっと同じなのね、でもあなたは上手くいきましたという方法に飛びついているだけで、わたしからは「自分の中身は変えることなくテクニックでなんとかなりますように」という下心が透けて見えるのよ。

あ…あ…。

それしてる限り、症状は終わらずにきっとアンコールの雨霰なのじゃないかしら?

はい…でも、中身を変えるのは怖いです。なんかそれこそ今までの自分全否定というか意味なかったやんとか…怖いです。

ほらまた、勝利至上主義。
結果はあくまでも結果でしかないのよ。勝者もいれば敗者もいる。でもね、やってきた頑張り、思い出、それ自体に良いも悪いも優劣も、正しさも間違いもないの。
グッドルーザーという言葉もあるじゃない。胸を張っても良いとわたしは思うわ。

できるかなぁ…。

できるかどうかが大事じゃないの。できるかわからんけどやってみよっかな?でいいのよ。

そっか、またできるできないに拘ってしまった。

うふふ、まずは結果を求めないことからね。たぶん、そっちの方が楽じゃなんじゃないかしらとも思うわ。結果出さなきゃって、あなた気づいてないかもしれないけどえらいプレッシャーよ?それ。

確かに。でも、結果出なかった悔しさとか惨めさとかを味わう苦痛のこと思うとまだそっちのプレッシャーのがマシかも。

よっぽど刷り込まれているわねあなた…。
例えば現実あなた今、勝者と思っているの?

いいえ、どちらかといえば敗者です。

悔しい?惨め?恥ずかしい?

はい。

何故?

負けてるからです。

なぜ負けていることが不快なの?

自分は劣っていると人にも自分にも思われるのが嫌だから。

そっかぁ。あなためんどくさいわね。

よく言われます。

いいわ、そのへんのめんどくささはまた追々考えていくとして、今回はとりあえず下心は手放しておいてみてはいかが?よ。

そこはなんかわかった気がする、気合いとか要らないですっと手を離せそうです。

あ、それ良い感じ。

(次回も脳内会話かしら)

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