表現力の無いわたしに、ほんの少し希望の光が差した話。
南伊豆に来てから毎日、"ちゃんと"朝ごはんを食べる生活を送っているおかげか、何だか身体の調子がいいように感じます。日頃どんな食生活を送っているのか、とてもわたしの口からは言えませんが。
くろちゃんです
わたしはできれば、人に見せる文章は書きたくありません。
感想を求められても「面白い」「楽しい」「美味しい」「いいね」。まだ、言葉を覚えたての子どもみたいなことしか言えないわたしが、書く文章。表現力と語彙力の乏しさもいいところです。
そんな”できれば文章を書きたくない系女子"くろちゃんが、「文章をちゃんと書いてみたい」と思える学びがあったので、今日はそれについて書こうと思います。
L2インターンでのワークショップ「編集の学校」
「ローカル×ローカル(通称:L2)」インターンの一環として、「編集の学校」というものに参加しました。
「編集の学校」は、”いいインプット”を得るための聞く力についてと、”いいアウトプット”をつくるための書く力についての、「聞く編」「書く編」二部構成から成ります。
その中でも、「書く編」について。
"ひとに見せてもいい"と思える文章が書けない
自分には語彙力と表現力が恐ろしいほどに足りないとおもっています。そのため、”できれば文章は書きたくない”です。(ここでいう”文章”とは、人に読んでもらおうと意識的に書くものを指しています)
とはいっても、挑戦しようと思ったことは何度かあります。やっぱり憧れるんです。魅力的な文章を書く人に。
大学時代、ある先輩の書く文章に強く惹かれました。そのひとの内側から出てくる考えや感情、そして、見えている世界を、それはそれは丁寧な言葉で紡いでいる文章でした。言葉を繊細なものとして大切に扱っていることが、読み手にも伝わるほどです。人生ではじめて、文章に対して「魅力的だ」という感情を持ったことを今でも覚えています。
その先輩に感化され、書くことに挑戦しました。
見よう見まねで、使ったことも無いような言葉を並べてみたり、あえて難しそうな熟語に言い換えてみたり。例えば、「楽しい 言い換え 熟語」と検索して出てきた、「悦ばしい」という言葉を使ってみる、みたいなことです。
そうして文章を書いてみたときに生まれる満足感、長くは続きません。
「取り繕いまくった自分」に対する、恥ずかしさと惨めさが込み上げてきてたまらなくなるのです。耐えきれずSNSへアップした文章を非表示にしてみたり、削除してみたり。
「表現力は、勝手にはみ出してくるんですよ」
表現力は、"鍛えなければ身につかないもの"だと思っていたわたしにとって、ファシリテーター:イッテツさんが放ったこの言葉は、驚きでした。
「だれひとりとして同じ生き方をしていないわけなんだから」と。
同じ時間、同じ場所で、同じ経験をしても、そのひとが生まれながらに持っている感性、育ってきた環境、見てきたもの、経験してきたもの、によって、感じること、考えることは異なります。それを言語化することができれば自然と”自分の表現”がはみ出してくるということだとわたしは感じました。
自分の表現力を出す方法として、「エピソードをより具体的にすること」によって、自分の視点や感じ方が自然と文章にあらわれる、ということも学びました。
例えば、以下のようなことです。
「ひさしぶりに会う友達とご飯を一緒に食べて、とても楽しかった」
「小学生の頃からの親友であるももちゃんと、5年ぶりに食事をした。当時のプロフィール帳を互いに持ちよって見返したりと、思い出話に花が咲き、とても楽しい時間になった。」
どのくらいひさしぶりなのか?どんな友達なのか?どんな会話をしたのか?具体的に書くことで”わたしのフィルター"を通した文章として、より奥ゆきが出てくるように感じます。
▲このnoteを書くうえでも、エピソードを具体的にするべく、深掘り。字が引くほど汚いのは、ご愛嬌ということで。
自分の心に耳を傾ける
「聞く編」で学んだ”相手に興味を持って”聞く、問うてみる、ということ。これを自分に対してもやることにより、エピソードは具体化していくと、わたしは思います。
"ひとに見せてもいい文章"を書ける日が来ることはないだろう、と思っていました。
ですが、「編集の学校」を受講した今。「自分なりの表現で文章を書けそう」だと、少しですが、しっかりとした自信を持っている自分がいます。
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『ローカル×ローカル(通称:L2)』
▼HP
https://www.instagram.com/local2.minamiizu/
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