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こんな記事もあってもいいはず。

文章を書いては保存して、仕上げることなくそのままに…。というのを、ここ最近ずっと繰り返している。書き溜めた、記事にもなりきれなかった文章たちは、下書き一覧のなかに埋もれてゆく。きっと、取り出してまた書き進めることはないだろうな、と自分のことながら思う。

文章を書きたい、日々の中で感じたこと、ハッとしたことを書き残したい、と思うのにできない。発信、というよりも自分がただただ書きたいように、書きたいだけなのに。

「書き出しはもっと一工夫加えて、読みたくなるようなものにしなきゃ」「これじゃ伝わらないかも、もっと具体的にしないと」「この文章で一番伝えたいことは?」頭の中に響くいろんな声たち。わたしはまだまだ、よく見せよう、とか、上手にしなきゃ、と知らず知らずのうち思い込んでいるらしい。文章を書くときはこれが基本!という、一般的な”こうあるべき”にもきっととらわれている。

誰かに頼まれて書くわけでも、強制されているわけでもないのに。

この文章だってそうで、いまここまで書いたところで完全に手が止まってしまった。なぜかって、「ここから文章をどう閉じていくのがいいのか?」と悩み始めてしまったから。またもや、”文章は最後にきちんとまとめて終わるべき”と、誰に言われたわけでもない”こうあるべき”論に勝手に自ら振り回されている。もっというと「伝えたいことを整理してから文章は書くものなのに、その手順をすっ飛ばしたからどう書き終えていいのかわからないのだ!」と、どこかで読んだ本の言葉がわたしに追い討ちをかけてくる。ひー。

文章を書くって、なんだってこんなに難しくてエネルギーがいることなのだろう。ただのひとりごとでしかないのに、ひとりごとを言う何倍も、何十倍も、何百倍も、疲れてしまう。続けていると、慣れるものなのだろうか。もっと軽やかに書き進められるようになるものなのだろうか。なれるなら、そうなりたいけれど、きっとまだまだ道のりは遠いのだろうなあ。

でも小さな一歩目として。どこへ向かうかわからないままに書き始めたこの記事も、いいよね。えいやっで公開しちゃおう。こんな記事もあってもいいのよ、とこれからの自分への激励も込めて。

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