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貧すれば鈍する、みたいな話:実験もあるよ!

おつかれさまですういなつです。
ちょっと今回はだいぶとりとめがない話をつらつらと書くと思いますが、お時間がある方はよかったらお付き合い下さい。


そういえば。

以前こちらの記事で飲んでいる薬のお話をしました。

実はあれから、ストラテラの服用を2錠に減らしました。
というのも、やはりあの記事のタイトル通り“自分の輪郭がぼやけてきている気がする”に代表されるようなぼんやり感というか、必要な頭の働きまで止められているような感覚に陥ってしまいまして。わたしの要望で減らしていただいて、今なんとかなっている感じです。

薬を服用する前の頭の回転を1.5とするならば、3錠飲んでいた時は0.2くらいまで抑えてしまって、やりたいことすら浮かばない意欲が湧かないところまでいってしまっていたのが、現在は0.5~0.8くらいの感じでゆるーくゆるーく動いていて、楽しいことへの興味ややりたいことへの意欲みたいなものが戻ってきている、というようなイメージ。

結局、自分が納得してないと動けない

これは近況報告でちらっと書いた、郵便局の求人に応募したときのわたしの気持ちというか、考えなんですけど。
就労移行に行くことを決めきれないのに求人にはサラッと応募したのって、なんだかやっぱりどうしても人に頼ることに抵抗があるのか、それともまた別の理由があるのかと考えていた中で、“自己責任”と“納得”の話なのかなとひとつの仮説に近い結論を出しました。

これは見出しの通り、就労移行支援の説明を聞きに行ったり自力で調べた中で、これなら、という自分の中で確証(あるいは期待や希望)が得られなかったというのがあるのだろうな、と。というのも、発達障害だと判明したのは昨年10月ですが、判明するまでのおおよそ社会人として10年間生きてきた中であれやこれや自力で工夫してこなしてきてしまった経験が大きいのかなと思います。
なんというか、これは両親からあんまりにも言い続けられてきた事なのである種の呪いなのかもしれないんですが、基本的に何をするにも“自己責任”というワードがわたしの思考には付きまとっていまして。
まあ当然、支援を受けても上手くいかないって自己責任だとも思うんですけど、支援員の相性とか、そもそも支援所が合っているのかどうか、みたいな、自己責任とは離れたところに上手くいかなかった要因があるのが嫌だと感じているみたいです。わたしの場合。なんだかこれは自罰的思考というか、これもある意味で認知の歪みなんだろうなと薄々思ってはいます。

そして、結局はお金。

シンプルに……お金が無いことが大問題ですね。支援を受けている間はお金を稼げないと分かっているので、その期間が長くなってしまう可能性に自分自身が耐えられない。
父と同居しているので寝る場所と食事にはまず困らないけれど、好きなものがたくさんあってやりたいこともあるわたしには、多少無理をしてでも収入があることの方が重要である、という結論です。
だって認知の歪みに気づいていて、それをなんとかするにはカウンセリングなどの手段が挙げられると思うんですけど、通っているメンクリだってカウンセリングは自費で5,500円必要ですし。そもそも病院にかかるのだってまずお金が無いとかかれない。自立支援医療は申請書の控えで対応していただけて既に受けているのでメンクリへの通院費やお薬は何とかなっていますが、その他の体調にまつわる心配事にはお金がかかるわけです。そして病院への交通費も。(わたしの場合は電車移動が必要な距離にメンクリや信頼してかかっている婦人科があります)
となると、ストレートに言って「悠長に就労移行支援を受けている場合ではない」んですよね……この辺なんとかならないのかなあ。

遊び呆けて暮らしたいなんて贅沢やわがままを言ってるつもりはないです。
とりあえず定期的に病院に通いながら上手いこと社会復帰を目指し、別のところで体調不良があればきちんとその対処をしたい、っていうだけなんですけど、結局何をするにもまずお金、お金、お金……その事を考えるだけで正直ストレスしかない。

そんなわけで、クレクレという名の実験です。
一番最後に最近行ってみていいな〜!と思った、紅茶にまつわるとあるお店の話を書くので、課金してやってもいいなと思った方はしてみてください。
課金していただいた分は素直にわたしの生活費および活動費になります。1週間か1ヶ月か様子見て、結果報告をきちんと後日させていただきますので、そちらも含めて見届けていただければ、と。

よろしいですか? よろしいですね?
課金、お待ちしております。


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