見出し画像

お祝いの半返しや内祝いって本当に必要?/【#書く習慣】自分があまり賛成できない常識【DAY19】

日本の美徳の精神は素晴らしいとは思うけど、現代の日本においてそれは必要?と思うことは多々ある。

私は「謙遜」も嫌いなんだけれど、それ以上にお祝いのお返しや内祝いの文化がマジで嫌い。大人だからやるけどね、でも、いざ自分が相手のお祝いをしようと思うときってお返し求めないから、みんなもそうじゃないの?という気持ち。


そもそも内祝いとは?

内祝いは本来、「身内のお祝い」という意味。自分の家でおめでたいことがあったときに、親戚や近所の人などお世話になった人に贈り物をして、その喜びを分かち合うというもの。「我が家でめっちゃいいことあったので、一緒に喜んでくれや」っていう押しつけがましい文化の一つ。(言い方)

そんな内祝いの意味合いが、最近では周囲からいただいたお祝いに対しての「お返し」という意味合いで内祝いを贈るようになっている。

まぁ、現代の日本で近所の人から「うちの息子が結婚したので、これ、内祝い」といってなんかの品をもってきたら「あ、これはお祝いをしろよってことだな、心底面倒くさいな」と思うよね。

え、内祝いっていう文化はマジでいらないな…


お祝いのお返しの意味わかんなさ

そもそもなんだけど、お祝いで何か品を送ったりとかご祝儀包んだりとかって、身内もしくは仲の良い人、お世話になっている人にしかしたくなくないですか?私はどうでもいい相手にお祝いしません。仲の良い人にだけお祝いをする。心からの祝福をする。

「こりゃめでてぇ!!祝いじゃ!!宴じゃ!!」って気分になれない人に対してお祝いしたところで、何のためになるんです?(お世話になっている人は別)

そんな相手に対して「お祝いしてやったんだから、お返し待ってるわ!」ってならないでしょ、普通に。「お返しはいらないよ、その代わりまた遊んでね」とかそういう感じじゃないんですか?私だけ?

こういう常識は結婚をしたときにめちゃくちゃ調べて、ちゃんと対応はしているんですけど、そのたびに「あ~面倒くせぇ~」って言いながら嫌々やってる。

仲の良い人同士だったら、お互いの祝い事で祝い合うでしょ。お返し不要でしょ。違うか?お祝いにお返し求める人って一定数いるけれど、どういうお気持ちでお祝いしてくれているんですかね?
付き合いの深さにもよるし、心の底では誰が何をどう思っているかわからないので、一応「常識として」お返しはしますけど。するけどさぁ!!

今後自分の出産を控えているのだけど、産後のきっつい状態でお返しすることなんて到底不可能だと考えているので、先にけん制をしていこうと思っている。「お返しできませんので、そのつもりで祝ってくれる人のみお祝いください」って言う。自分で言うのもなんだけど、これを発言しても許される人間であることが分かっているので、やる。流石に対身内と友人のみだけどね。


上司、目上の人、遠い親戚には必要

まぁ、でも、社会人をやっていると、自分が想定していなかったところから「お祝い」をいただいたりするわけで。そういう方々からいただいたものにはきちんと「お返し」することは重要だとは思う。日本に生きる社会人としてね。

自分がうまくこの世を生き抜くためにも、ある程度の「常識」は必要なわけで。ある程度の媚びも必要なわけで。上司や目上の人からかわいがってもらうのはとても生きやすいので、そこはうまくやっていった方が得でしょう。

「媚びへつらえ」って言ってるわけじゃないの。自分のためにもうまくやりなさいよってこと。いやだね~おばさんになると説教臭くなって。でもやっぱりそこらへんの線引きは必要。臨機応変に対応していくことが大切。結局それが自分のためになるからね。


常識のない人はふるいにかけて落としていくスタイル

大人になるとある程度の常識は必要だなと思う一件があった。
自分の結婚式の時の話である。

私は24歳で結婚して、その時に知り合いのレストランを貸し切りにして、本当に仲の良い人たちだけを読んでこじんまりとしたパーティーをした。その3年後、SNSの結婚式無料キャンペーンに当選し、本当の結婚式を執り行うことができた。

その時すでに27歳。同級生たちはそれなりに社会経験も積んで、学生の頃とは違い大人になっているであろう年齢。だと私は思っていた。

今回の結婚式は招待状を送る前に「二度目になって申し訳ないけど、もう一度ちゃんとした結婚式をやるつもりでいる。招待状を送ってもいいか?」と全員に一言伝え、「OK」と了承してくれた友人にのみ招待状を送った。

ただ一人Aちゃんだけは一向に招待状のお返事が来なかった。
こちらも料理の手配等あるため、「参列するかどうか、教えてほしい」と何度も催促して、1週間前に「行く」と連絡が来た。この時点で不信感はあったのだけど、「まぁ、Aちゃんだしな」と思っていた。

式当日。Aちゃんはアイボリーの肩出しワンピースに、セットしていないロングヘアー、つま先のあいたパンプス(もはやミュール)で来ていた。
いや、もうなんかこっちが恥ずかしくてしょうがなかった。「常識どこに置いてきたん?普通結婚式参列する時くらいTPOわきまえるよね?」っていうなんとも言えない気持ちだった。

でも、私は「まぁ、Aちゃんだしな…」と思うようにして、とりあえず当日は流した。ていうか、それについて触れる時間もなかったし、式当日に波風立ててもしょうがないな、と思った。

式が終わり、後日、ご祝儀の集計をしていた時に、Aちゃんからのご祝儀の金額にびっくりした。「1万円」しか包まれていなかった。

いや、金額が問題なのではない。まず、結婚式に参列するかどうかってところから始まり、式当日の服装や振る舞い、そしてご祝儀の金額。全部ひっくるめてもうAちゃんとは関わりたくないな、と思ってしまった。

正直言うと1万円じゃ一人分の食事代にすらならない。引き出物の分もある。以前のパーティーにも参加してくれている子たちには少しグレードを上げた引き出物を用意していたのだ。

1万円が問題なんじゃない。お金がないのなら事前に一言言ってくれればよかったのだ。実際、諸事情あってご祝儀包めないから欠席にしようかと思う、と事前に相談してくれた友人にはご祝儀はいらないから参列してほしいとお願いした。タダ飯食べて、タダ酒飲んで、楽しんでくれればいいよ、と。

結局Aちゃんとはその挙式以降、連絡を取ることを辞めてしまった。付き合う人間の質は自分で選んでいかなきゃと思うくらいには、私は良くも悪くも大人になってしまったのだ。

こういうこともあるから、最低限の常識は身に着けておいたほうがいい。その常識を踏まえた上で、必要不要のラインを決めて、人を選んで必要に応じて常識的な行動を心がけるべきなんだ。

賛成できない常識でも、知ってるのと知らないのとでは全然違うし、その常識で行動するもしないも相手によってシチュエーションによって、きちんとやっていかいないとだめなのよね。


今日はなんだか説教臭い話になっちゃったな。いかにも「私は常識人です」みたいになっちゃって恥ずかしい。だから、ここで終わりにするね。

おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?