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猫を被る必要はない。

タイトルの通りの猫を被る必要はないということを
今日は書いていきたいと思います。

ここでいう猫を被るというのは、私にとって文章での猫被りです。

私は、元々空想や妄想をするのが好きなタイプで
思春期時代には自分の頭の中でたくさんの物語が溢れていました。


時には、恋愛の世界へ
ある時は、ファンタジーの世界へ
実在する漫画の主人公たちと冒険をしてみたり

そんな、物語が頭の中で繰り広げて楽しんでいました。

空想を文章に起こす難しさ

何度か同じ空想を繰り返していくうちに文章にしたくなって、
ノートとシャーペンを構え書き始めていました。

自分が空想しているものなのでセリフとかには困らなかったけれども
情景を表すことが難しい
頭の中では見えている景色が、文章になると消えてしまう
そんな壁にぶつかりました。

それでも、色々な話を書いてみて
時には電子世界に投げ込んでみたりもして
「おもしろかったです!」と言われることで
私の空想世界を共感してもらえたことに喜びを感じていました。

月日と共に消えていく空想世界

学生のうちは時間があったので空想する時間も
それを文章に起こす時間もありました。

けれど、どんどんと月日が過ぎると共に
現実世界が見えてくるという悲しい大人に近づいていくうちに
あんなに広がっていた空想世界が消失していったのです。

考えたくても自分の中で物語の設定が出てこない
頭の中に情景が見えない、セリフがでてこない

私の中の空想世界は完全に消失し
書く文章も好きなように書くわけでもなく

少しでも多く読まれたい

承認欲求をみたすために文章で猫を被り始めました。

文章を読み直して、偽った物語に自分自身が納得するはずもなく
持っていたシャーペンがキーボードに変わったあとも書いていた物語を
私は書くことをやめました。

猫を被る必要がないと気付いた時

noteには猫を被る文章を書いていた時に登録をしていましたが
納得できるものがないのでずっと放置をしていました。

自分の環境が変わり、なんとなくパソコンをつけて
noteを久しぶりに開いてみようと思ったときに
「あ、これを書こう」と久しぶりに筆が進みました。
(使ってるのは筆でなくキーボードですが)

書きたいことを書いて、納得して投稿した日
寝ようと横になったときに

「もう、猫を被る必要はないんだ」

それに気づいたら、書きたいことを書くという楽しみを
少しずつ取り戻しつつあります。

猫を被ることになった理由は以前勤めていた仕事の影響だったので
縛られるものがなくなり、文章の自由を取り戻したのかもしれません。

空想世界を書くかはわかりませんが、
ふと感じたこと、思ったことを書いていけたら
また、楽しい世界が観れるようになるかもしれないです。

猫被りをやめた日は
私が自由を取り戻した日

#コラム #エッセイ


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