京都一人で一年住む第四話〜御堂関白記見に行った!編〜
京都文化博物館で陽明文庫の名宝という展示会がやってるらしく、フォロワーさん方が御堂関白記が見れた!と呟かれていたため、半信半疑で行ってきました
左府「都に移り住んだのならまずわしに会うてみよ」
と言われた気がしたので(演出)行ってきます。
〜京都文化博物館へ行こう〜
あまりお金を使いたくないので40分くらい頑張って歩いて行ってきました。帰りは雨だとの予報だったので折り畳み傘も持って。
上の⬆博物館の写真を撮るのにモゾモゾ入口で動いてて、カップルの方々にあっ!すみません!てなってしまった笑(カップルも写真撮りたそうだったので申し訳ない)
中に入ると大塚国際美術館で使われている大塚オーミ陶業さんの展示コーナーがあったり、最初はどこ行けば左府の日記見れるの?て感じで建物の構造が分かりませんでしたが、奥に進むとチケット購入のカウンターが!
この展示見たいんですけど……とスマホで画像を見せると、スタッフさんがこのチケットになりますね、と親切に案内してくれたので助かった。一般は500円で見れました。
〜左府の日記を見よう〜
展示は2階だったんですが、3つも企画展がされていて見ていて飽きずとても楽しかったです☺️
はじめは京の街を平安時代から各時代ずつに絵巻の映像が流していくのがあったり、古文書を色々集めた企画展があったり。
私はその中で橋本和泉守書状、という古文書が気に入りました。内容はうっすら……としか覚えてないんですが、書状を交わしてる人とどうやら家族ぐるみの付き合いで、”この前皆で対面(?)してくれてありがとう!お礼に大根あげるね!”とか…
あと”○○の行事に行く時弁当持ってきます?貴方が持ってくなら私も同じ所から弁当用意して行きたいのですが”とか(うろ覚え内容)
行事のすり合わせとか家族ぐるみの付き合いとかがまるでとしゆき(俊賢と行成のケミ名)だなぁ
と感じて江戸時代のとしゆきこんなかんじなんだろうな……ていうゆるホームコメディドラマが繰り広げられたのだった
次に「池大雅〜あるコレクターの視点〜」という企画展に出会いました。
今回左府を見に来たつもりだったので、全然この画家さんはノーマークだったのですが、、
正直左府の次に感動した
この企画展、あるコレクターの視点とある通り、池大雅オタクによるオタクの執念で集めてきたオタクのための展示会
と言っても過言ではありません
そのオタクの名は佐々木米行氏、というらしいのです。
オタクという言い方は確かに俗っぽいかもしれませんが、まさしく”オタク”でした。
だって池大雅氏の屏風の横に
て書いてあるんですもん。これはもう神絵師というか自分の大好きな作家の絵を目の前にしたオタクの心の叫び……という他ありますまい
佐々木さんはほんとにほんとに池先生の作品が大好きみたいで、池先生が三歳の時に書いた「金山」という書までコレクションしていて、いやもうオタクの鑑ってこういう人のことを言うのか……!!!
って自分のオタクとしての心構えを再認識させられました。
俊賢の書は残ってるワケ無いし、行成みたいに秀でて字が上手いから作品が残ってるワケでも何でもない人だけど(短歌すら無い)、私は彼の生きた証を漫画や絵に描き残して、もしいつか私が俊賢のオタクを放任したとしてもまた好きになってくれる誰かのために描いていくんだ!!
という心構えが私の創作意欲です笑
それで出来上がったのがこの俊賢の同人誌⬇
もう僕は今現状俊賢を一緒にギャーギャー言ってくれる同志は自分しかいないな……と思ってるので(大河効果で一人二人いやしないかなぁ)10年先を見据えて本を作っときました。まぁこの本作りは漫画描きなら1回は本作っとかないと仕事来ないぞ、というどっかで聞いた訓戒とタイムカプセルも兼ねています。
いつかどこかでこの本に出逢う人がいたらいいな……☺️
〜ついに左府、あらわる〜
やっと左府にめぐり逢えた……!!!!
「陽明文庫の名宝」展
初っ端から御堂関白記がーーーーーーーー
えっコレ本物なん……???
というのが最初の感想でした……
正直言って直筆の現実味がありませんでした。
だってガラス1枚隔てた向こう側に、千年前推しが(左府も推しなんで)机の上で広げて書いてた日記が目の前にあるんですよ
世界記憶遺産なんですよ……???
しょっしょれを僕なんかの下賎の民に見せびらかして……い、いいなんて……ひっ…
畏れ多い
普通に考えてめっちゃ畏れ多い
でも子孫の方が見てくださいなって言ってくださって展示してるんですもんね…しっかり目に焼き付けとこう
たしかその横に左府の人生のアレコレ?だったか何だったかが紹介してあって、それを読んでたら隣にある御堂関白記が段々あっこれ本物だったんだ……
て実感がやっと湧いてきて
ジワジワと涙が出てきました(泣かないけどな)
それで左府の人生の苦難があれやこれや思い出されて、あぁ、あんなに苦労して病んだり喜んだり大変な人だったのに、今では傲慢な人だとか色々誤解される事が多いけど、こうして子孫の人が大事に左府の字を守ってきたんだねぇ……
と、感動しました。私は左府が可愛いと思ってる人なので、日記にバァァァって行間つめっつめに書いたと思いきや、んー今日も昨日も別に何も無かったなぁの行間スカスカの小学生の夏休みの日記みたいな感じが可愛くて可愛い
敦成親王誕生の時の日記だったみたいです。
このスカスカの行間は気持ちに余裕があるから……?(それとも忙しくて書く暇なかったとか?)
本筋は左府の子孫、麒麟がくるでおなじみ近衛前久、さきさまの息子近衛信尹さんの企画展でした。
戦国を生きたすっごい方なんですね……
書状か日記に突然、伊達政宗が訪ねてきた(的な内容)とか出てきて戦国超ビッグネームが過ぎるだろ!!
と思ったり、
朝鮮出兵の際は二度も自分で朝鮮行こうとしたり(従者が逃げて追手を遣わしたのにその追手も帰って来なかったっていうやつ笑った)
秀吉に疎まれて薩摩に流罪になった時は「こんなボロ屋マジ狭すぎる、持ってきた物も置けねぇよクソが。
しかも村人は皆疲れた顔をして死にそうな顔してるしよぉ。あー早く帰りてぇ」(うろ覚え超意訳)
ていうのが凄く面白かった。
やっぱり配流先ってボロ屋なんだろうか?
さきさまもフッ軽クレイジー公家だったが、息子さんも結構クレイジー人生歩んでらっしゃった。
戦国公家のクレイジーライフドラマとか、出来たりしませんかね??
帰りに鳥獣戯画グッズを買いました(金使いやがった)
宣伝?すると従来鳥獣戯画を書いたとされてきた鳥羽僧正覚猷は俊賢の孫です。
私は孫グッズと密かに呼んで、鳥獣戯画グッズを買っちゃいます。
はぁー…
楽しかったです博物館!
せっかく教養を深めるために引っ越してきたので、もっと色んな所行きたいです。
色んなことを教えてくれてありがとう
残っててくれてありがとう
(余談)帰りは清涼殿に雷が落ちたあの事件の如きゲリラ豪雨がたちまち巻き起こり、スカートの裾がビショ濡れになりました笑
この前から凄い雷落ちてるんですよねぇ…京都って意外と落雷被害のレベル高い?
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