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朱元璋④

至正12年(1352年)、郭子興の軍団が占拠している城を訪ねた朱元璋であったがなぜか門番に縄で締め上げられて、高圧的に尋問されてしまった。

この頃の朱元璋はボロボロの衣服にやせこけた体で、また朱元璋自身の顔がものすごい悪人面であったことから門番に元軍のスパイと怪しまれてしまったのだ。

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↑ 悪人面な顔の朱元璋

知らせを受けておくから郭子興が出てくると、朱元璋は彼に今までの自分の生い立ちをありのままに語った。郭子興は逆にその凶悪な顔つきを気に入り、朱元璋が自分の軍団に入ることを許した。こうして朱元璋は危うく一命をとりとめたのである。

ここから朱元璋は郭子興軍団の中でメキメキと頭角を現した。戦で先頭に立って突撃して、何度も武功を上げたことで十人の部下を持つ隊長に出世した。

またその有能さに目を付けたのが郭子興の夫人である小帳夫人であった。彼女はたびたび郭子興に朱元璋の有能さを語った。彼女はまた自分の養女の一人である馬氏を朱元璋の妻にしたのである。これが後の馬皇后である。

これで朱元璋と郭子興は義理の親子になったわけであるが、次第に郭子興は有能な朱元璋に嫉妬するようになった。朱元璋が手柄を立てれば立てるほど郭子興は疑心暗鬼になり朱元璋に対して冷たく当たるようになった。しかし朱元璋は郭子興がどれほど冷遇しようと彼に対する態度は終始一貫変わることはなかった。

また郭子興と朱元璋のこの時期の関係を取り持ったのは妻である馬氏の努力が大きい。彼女は朱元璋の部下が戦利品を持ってくると必ず郭子興の妻に貢物として差し出していた。また日ごろから自分の食べる量を減らし戦場の夫をひもじい思いをさせないように気を配っていた。

またある時、郭子興の怒りをかった朱元璋が食事も出されず牢屋に幽閉されてしまった。この時彼女は焼き立ての餅を自分の服に隠して朱元璋のところに持っていた。おかげで朱元璋は飢えをしのぐことが出来たが、彼女の胸は真っ赤にやけどしてしまった。彼女は我が身を犠牲にしてでも夫のことを第一に考えた。馬氏とはこのような女性であった。

このように妻の活躍もあって順調に力をつけてきた朱元璋は、次第に地主などの既得権益層から地域の秩序の維持者として期待されるようになった。このような中で朱元璋の軍団は大きくなっていき、当初の盗賊集団のようなものから大きく成長していった。

ある日、そんな朱元璋のもとに李善長という人物が訪ねてきた。彼は若い頃から学問を好み、その地方では賢者として名が通っていた。朱元璋は訪ねてきた彼に対し以下のように尋ねた。

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「今天下は大いに乱れ各地で戦闘が行われているが、いつになったら天下は平定されるのか」

李善長は答えた。

「今から1600年前、秦朝の世の中が乱れたとき、漢の高祖である劉邦は天命を受け農民から身を起こし漢400年の礎を築きました。彼は大きな度量で人材を抜擢し、殺人を好まなかったため五年にして帝業を成し遂げることが出来ました。今日、元朝の世は大いに乱れ天下は崩壊寸前です。高祖劉邦のやり方を手本とすれば、難なく天下は平定できるでしょう。」

この言葉が気に入った朱元璋は彼を幹部として採用した。こうして集団の規模も大きくなり優秀な人材を獲得していった朱元璋は大きく飛躍しつつあった。

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