両親の墓はたてない

両親の墓はたてない

長くてもあと数年で父は死ぬだろうという予感がある。高齢だし、目に見えて身体が衰えてきている。別段、悲しくはない。むしろ父が死んでくれたらストレス要因が減り、家の中は快適さが増すだろうと期待しているくらいだ。

ここで宣言しておきたいが、僕は両親の墓をたてるつもりはない。理由は2つある。

・単純に墓をたてるだけのお金がなく、維持していく余裕もない。
・母と父、どちらにも恨みがある。

どちらかと言えば、2番めの理由が大きい。僕には父と母、どちらにも墓をたてるだけの愛情を持ち合わせていない。

子供の頃は父にいじめられた。実際の暴力は振るわなかったが、言葉で精神的に追い詰めてくる人だった。本人からすればからかっているだけのつもりなのだろうが、僕にとっては屈辱の連続だった。わざと僕の自己肯定感が育たないようにしているとしか思えなかった。

さすがに僕が成人してからは子供じみた侮蔑はしなくなったが、かわりに、歳を取るにつれてデリカシーのなさが増してきた。父は元来、酒飲みなのでデリカシーは低いほうなのだが、老齢とともに悪化していった。

うつ病になってからは、父のこうした性格が重くのしかかってくるようになった。父はまるで歩く騒音だった。声は脅迫するようにでかく、振る舞いは工事現場のようにうるさい。

父はまちがいなく僕のストレス源のひとつであり、家の中で安静にできない大きな理由だ。この父がいなくなってくれたら僕の負担は軽くなる。よって、死んだところで別に悲しくはない。人によっては非情だと思うかもしれないが、これが現実だ。

母は、父に比べたら多少はマシだが、やはり墓を作るほどの愛情は感じない。

父のように直接言葉でなじることは少ないものの、やたら他人の子供と比べて僕を卑下してきた。やはり母も僕の自己肯定感を育てるという意識がなかったのだろう。彼女の頭のなかにあるのは「自分の子供が他人の子供と比べて優れているかどうか」という一点だけだった。

最悪なのが、子供には厳しいくせに、いざ自分の落ち度を責められると絶対に謝らないことだった。言い逃れできないときには開き直ることさえあった。「私はこういう性格なのだから、お前があきらめろ」というふうに。

食事をタテにして僕を従わせることも度々あった。「言うことを聞かなければもうメシは作らない」=「餓死して死ね」と。ちなみに僕は母からお小遣いなど一切もらえなかった子供なので、食材を自分で買ってメシを作るということができない。母もそれをわかっているから、食事をタテに使ったのだ。

子供の頃は、母に悩みを相談することがあった。子供にとって親は一番身近で頼れる存在だからだ。僕にとって、それは母にだけ話したことであって、ほかの人と共有するつもりはなかった。しかし母は、僕の悩みをママ友同士の雑談のネタにしてぎゃははと笑うことがたびたびあった。僕が近くにいるのにもかかわらずだ。

僕が、そういうのはやめてくれと言っても母は聞かなかった。次第に僕は学び、母に悩みを相談することをやめた。というより、誰かに相談することをしなくなった。「誰かに自分の秘密を話したらバラされる」。これが母の態度から学んだ教訓だった。

さすがに僕がうつ病になってからは母の態度も軟化した。とはいえ、「自分にとって都合の悪いことは認めたがらない」性格は相変わらずで、僕の障害についても認めたがらないのか、まるで健常者を相手にしているかのように馬鹿にしてくることが何度かある。

一応、軽食用にパンを買ってきてくれたり、土日は食事を作ってくれたりもする。しかしそれは、僕のためというより、その程度はやらなければ他人から母として認められないからという、他人の目を気にしての行動のようだ。

ここまで悪口ばかり書いたが、父も母も、僕に対する愛情はあるのだと思う。だが彼らの愛情は、決定的になにかがずれている。僕自身を見ようとせず、自分たちが頭のなかで思い描いている空想の息子像を押しつけているようだ。

僕が精神病者になった原因の半分は、僕が生まれ持った性質にある。しかし、もう半分の原因は、まちがいなくこの両親だ。

まあ、世の中にはもっとひどい虐待を受けている子供もいるのだから、僕は全然マシなほうなのだろう。だが、それはそれとして、僕には、今まで自分が受けてきた仕打ちに対して、反抗する権利がある。

たとえ親戚筋がなにを言おうと、両親の墓はたてないつもりだ。障害のせいで墓の維持にも大きな負担がかかるのだから当然だ。もしどうしても両親に墓をたててやりたいというなら、そういう人たちだけでやってほしい。

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