昭和は生産戦、令和は創造戦

『戦艦大和誕生』という本を読んだ。大和誕生にまつわる話を技術者の視点から書いたノンフィクションだ。上巻と下巻に分かれている。それを全部、読み切った。

下巻にて、太平洋戦争は技術戦であり、生産戦であったと総括されていた。資源の差でアメリカに負けていたのは当然のことながら、技術差による生産性においても日本は負けていた。この部分が特に印象に残った。

ここでいう生産性とは、量産性と言い換えてもいい。船にせよ戦闘機にせよ、日本にはそれらをアメリカより量産することはできなかったし、また、量産性が勝敗を決めるという発想もなかった。補給船の重要性や、海洋戦闘が飛行機による空爆主体に変わっていたことに気づけなかった。

戦艦大和は、敵船のアウトレンジからの砲撃で相手を圧倒するというコンセプトだったが、そのコンセプト自体が、すでに時代遅れだった。

一方、戦後の日本は生産性の重要さを理解し、大和建造の過程で確立した「ブロック工法」や徹底した工数管理を、トヨタ社などがアレンジして取り入れることで、質の高い製品を量産することに成功した。これが高度経済成長につながった。

翻って、現代はどうか?

デジタル技術の進化により、生産戦の時代は終わった。少なくともソフトウェアの世界ではそうだ。デジタル製品は、実物よりもコピーが簡単にできるからだ。

もちろん、GoogleやApple、Microsoftといった大手IT企業などでは、まだまだ技術競争が行われている。だがもう、一般はそうでもない。

一般ではむしろ、大手IT企業が開発した技術をいかに活用するかが重要になってきた。クラウドサービスなどは、その代表例だろう。

今後、コンピュータ(あえてAIとは書かない)による作業の自動化が進めば、その傾向はますます強まる。

そうなると、今はなににより勝敗が決するのか? それは最初の発想、アイデアである。

令和時代はすでに生産戦ではなく、アイデアを発想し、それを形にする創造戦に変化している。

このことに、どれだけの企業が気づいているだろうか。

まあ、企業のことはどうでもいい。駄目な企業なら辞めればいいだけだ。昔と比べて、今は転職に対する抵抗も減ってきた。

それよりも今、個人でやるべきことは、創造力を身につけることだ。創造力を身につけるためには、やはり自分で創作をしてみるのが一番だろう。

そんなわけで、僕は今日も、少しずつ小説を書くのであった。


サポートしていただけると、生きる力になります。