潔い最後を選択するべきか?

『マチネの終わり』という小説を読んだ。天才ギタリストの恋愛物語だ。たった2~3回しか会ったことがない女性を愛し、また女性側もギタリストを愛しているのだが、さまざまな障壁のせいでふたりは結びつかず……という内容である。

本筋の恋愛部分も面白かったのだが、しかし僕の心に突き刺さったのは、主人公の友人のエピソードだった。

友人もギタリストなのだが、天才である主人公に比べると、いまいちぱっとしない。どこか「お行儀の良い」演奏に留まってしまっている。友人と主人公の関係は良好だが、一方で、友人は主人公の才能に激しく嫉妬している。

その友人だが、物語の後半で、主人公と共演する機会に恵まれる。そこで最高の演奏ができたあと、友人はこれまで胸の内に秘めていた思いを主人公に告白し、自殺してしまう……。

主人公は罪悪感を覚え、なんとか自殺を止める方法はなかったのかと後悔するのだが、僕には、友人の選択が理解できた気がした。

屈辱と嫉妬にまみれた人生を生きてきた。だからこそ、最後に最高の思い出を抱いて死にたかったのだろう。

潔い最後だ、と思った。

僕はどうだ? 苦しみを抱えながら、ただなんとなく足掻いている。生をやりきる覚悟もなく、漫然と死を先延ばしにしている。

それは立派なことなのか?

潔い最後を選択すべきなのか?

僕にとって潔い最後ってなんだ?

たとえば、恋愛を成就したいとか、満足のいく小説を書きたいという欲望は、あるにある。では、そのふたつが達成できたら死ぬのか……?

わからない。

その答えを探すこともまた、人生なのだろう。


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