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九十九里のそれも

九十九里は長く弧を描いている。
私の馴染み深い海岸は、太東海水浴場だ。
千葉県いすみ市にある。
あれは、いくつの頃だったか。
四つ下の弟が一年生にはなっていただろう。
海水浴場へ行くと、分からなくなるからと学校の水泳キャップを被らされた。
今のようなぴっちりした目の細かいものではなく、西瓜を包むようなざっくりとした網を顎で留めるものだった。
浮き輪は必須。
ビーチの遊び道具はそれ程なく、古い救命用と思われるオレンジの輪っかだった。
泳ぎに自信がないものだから、波打ち際ではしゃぐのが楽しい。
しかし、大切な水着の中に砂がごろごろと入って来て、気持ちのいいものではなかった。
楽しいことは、海に限られたものではない。
父にビールや焼きそばを買って来るよう海の家おおたにに走る。
お腹が空けば、四人家族揃って、そこでラーメンを啜ったり、かき氷で夏を感じた。
美味しいものではなく、楽しいものを食べていた。
棒倒しも砂のトンネルも楽しく、東京でいつも鬱々としていた気分に羽を生やして遠くへやるのが大切だ。
後に分かったことだが、父は夏が繁忙期の為、海へは九月に、父の胃痛を言
い訳に行っていたらしい。
九十九里ならどこでもよかった訳ではない。
ここにある危険な建物、それら全て、父がもしかしたら家族サービスも兼ねて連れて行ってくれたからだろう。
母と来たことがあるが、鍵を忘れてしまい、民宿に泊まったことは笑い話だ。
突然、静江、子どもだけで行って来なさいと、僅かばかりのお金と鍵を渡されて第二の我が家へ旅をしたことがある。
想い出が沢山あって、語り尽くせないけれども、それだけに大切な海だ。
とても別荘と呼ばれることはないだろう。
でも、九十九里のそれも、宝箱を隠した所だ。


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