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「自閉症裁判・レッサーパンダ帽男の罪と罰」を読んで感じたこと

2001年に起きた、レッサーパンダ帽をかぶった男が犯した浅草女子短大生殺人事件を覚えていますか?そのインパクトで事件後すぐに派手に報道されたのに、あっという間に報道がストップした殺人事件でした。
報道しなくなったのは、犯人が養護学校の卒業生で軽度の知的障害がある自閉症だったため。人権に配慮したといえば聞こえは良いけれども、腰が引けただけです。

以前は福祉に携わってたという佐藤氏は裁判を傍聴し、被害者の遺族、加害者の生まれ育った環境や家族、警察の取調調書と弁護団の見解の相違と、多面的から事件を取材していました。

被害者家族の無念さはつらかったです。また、犯人の家族もまた悲惨でした。
特に妹。福祉を受けるにはそれなりの理解力と知識も必要だという現実があります。

コミュニケーションに難がある自閉症の犯人の取り調べはするのもされるのも難しかったであろうと思います。かと言って、警察が自白のシナリオを虚偽作成していいわけではないですよね。

勿論、障害の有無は決して罪を軽くする言い訳にはなりません。
罪は罰せられるべきです。ただ罪の重さを自覚できない犯人なので、罰するだけでは意味を成さない…。

自閉症や知的障害者への日本の警察やマスコミの対応、福祉、司法などを沢山の問題提起をしています。
警察の取り調べの一部可視化はされたようですが、他にはどれだけ改善されているのでしょうか。

「自閉症裁判」

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