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禪院甚爾と伏黒甚爾の話

※単行本19巻までの情報で書いています。

伏黒甚爾(旧姓:禪院甚爾)は恵の父親だが、父親らしい振る舞いを作中ですることはほとんどない。甚爾は有り体に言えば息子を虐待(ネグレクト)し、好き勝手に振る舞ったあげく、息子を放り出して死んでしまったクズの父親である。
ただ、彼に親としての情が一切なかったかと言えば、そうではないのだと思う。人として欠落している彼もまた、ある側面においては「弱者」で、悲劇を演じる一人であった。

禪院甚爾と伏黒甚爾

禪院家における呪術師ではない者

まず、甚爾の生い立ちから。
禪院甚爾の父親は25代当主であり、26代当主・直毘人や扇(真希・真依の父親)の兄に当たる。つまり、甚爾は真希・真依、そして直哉にとって年の離れたいとこになる。
(親族の多い禪院家で側室制度が認められているかは微妙なところですね。直哉にきょうだいがいっぱいいるらしいので、重婚しているのでは?と思っています。法的な婚姻関係を問うなら、結婚と離婚を短期間で繰り返す時間差一夫多妻制でもいいですけど)

能力としては、天与呪縛のフィジカルギフテッドになる。呪力がない代わりに、肉体はきわめて強靱であり、常軌を逸した身体能力を発揮する。
肉体的には作中で最強格だが、呪力が完全にゼロのため呪霊は祓えない。術師相手でも相当に戦えるが、呪霊を相手にすることはできないーーこのせいで、実家ではあまり扱いはよくなかったようだ。

禪院家は「術師にあらずんば人にあらず」を唱えているため、どれほど対人で強かろうとも価値はない。御三家においては忘れられがちだが、呪術師とは呪霊を祓い、人の世を守るのが本懐だ(建前に成り下がっている部分は多分にある)。だから、呪霊を祓えない甚爾は産まれた時点で人間扱いされない。
甚爾にはまぎれもなく才能がある。なのに、その才能が承認されることはない。呪霊を祓えない甚爾は、身ひとつで他の男衆全員を叩きのめすことができたとしても、その強さを認められることはないのだ。

おそらく甚爾は、真希・真依と同じように親に疎まれて育っただろう。愛情を注がれたとは到底思えない。
つまり甚爾は、世間一般的に言えば虐待されて育っていると言っていいだろう。

ただ、甚爾は禪院家の中で完全に無視されていたというわけではないようだ。禪院蘭太の台詞に以下がある。

今の禪院家があるのは甚爾さんの気まぐれだ!
気づいているだろ!真希は今あの人と同じに成ったんだ!

蘭太だけでなく、直哉からも憧れに似た気持ちを向けられていたようだ。初めは「男のくせに呪力がない」と甚爾を馬鹿にしていた直哉は、真希を甚爾と同じ力量がある者と認めることを激しく拒絶する。つまり、それだけ甚爾を「強者」として認めていたということになる。
冷静に能力を判断できる人間から見れば、甚爾の強さは明白だった(もしかしたら、年下から見れば素直に評価できたという意味合いもあるかもしれない。封建的な禪院家では、男尊女卑だけでなく年功序列もあるだろうし)。

甚爾は呪術師として認められなくても、その強さを(一部から)恐れられていたのは間違いない。なにせ、甚爾が本気になったら真希のように禪院家を皆殺しにできたのだ。やらなかったのは、蘭太の言うところの「気まぐれ」――自分に対して利益がなかったからだ。
この事実は甚爾を救わない。むしろ、甚爾を恐れたであろう当主(父親)や他の年長者にはかえってひどく疎まれただろう。力があることを恐れられ、力がないことを蔑まれる――その矛盾の狭間で、甚爾は成長した。

甚爾がもっと弱かったなら、真依のように諦めもついたかもしれない。だが、甚爾は紛れもなく「強者」なのである。成長して(十代後半くらいだろうか?)実家を出奔した甚爾は、外の世界でそれをまざまざと思い知っただろう。
詳しくは描かれないが、家を出た甚爾は孔時雨と知り合って、薄暗い(おそらく非合法な)仕事に手を染めて日銭を稼いでいたようだ。この時、彼の身体能力は非常に役立ったはずだ。それと同時に、自分が「強者」であることを肯定された気持ちになっていてもおかしくない。

甚爾は家の中でも外でも、強者であると同時に弱者でもある。
禪院家において、甚爾は「男」という強者であり、呪力がないという「弱者」だった。家の外――一般社会においては、すぐれた身体能力の持ち主という「強者」であり、虐待されて育った「弱者」だ。
その強烈なねじれが甚爾を苛み、どこか自暴自棄にさせていたようにも見える。

自分も他人も尊ぶことのない、そういう生き方を選んだんだろうが。

五条に殺される寸前、甚爾はそう回想しながら、恵を抱いた妻の姿を思い出す。
つまり、彼女と出会うまでの甚爾は、自分も他人も、きっと世界も、どうでもいいと思っていたのだろう。ネグレクトされた自分に価値がないと思うから、セルフネグレクトしていたように(後述するが、これは恵にも引き継がれる)。

恵の母親との出会い、束の間の安息

荒んだ心のままにその日暮らしをしていただろう甚爾の前に現れたのが、恵の母親だった。
恵の母親はほとんど描写がないが、荒んでいた甚爾が彼女と出会ってから打って変わっておとなしくなり、精神的に安定していたようである。
さらに彼女との間に子どもを授かった甚爾にとって、この時期が人生の絶頂だったに違いない。

おそらく恵の母親は呪術界とは無縁の人間だったのだろう。下手に事情を知っているよりも、何も知らないからこそ一人の人間として甚爾と向き合える。詳しいことを知らないからこその救いはある。
ただの推測に過ぎないが、恵の母親はごくありふれた一般人ではなく、甚爾と同じく家庭に少し問題があったのではないかと思っている。どこか欠けた二人が互いの欠けた部分を補い、束の間の幸せを享受していた――そんな日々であったかもしれない(祈本里香を見るに、作者はその手の設定が好きな傾向があるので)。

しかし、三人の幸せな日々は長続きしなかった。病死か事故かはわからないが、恵の母親は甚爾と幼い恵を置いて、あっさり夭折した。
ゴミ溜めの中で唯一光り輝くもの――救いの女神にも等しかっただろう妻を失った甚爾は、再び荒んだ生活に逆戻りする。

伏黒甚爾から伏黒恵への連鎖

伏黒甚爾にとっての息子

甚爾と恵の親子関係はほぼ破綻している。
言わずもがな、甚爾が父親として振る舞うことがほとんどなかったからだ。

妻を失った甚爾が一人で恵を世話できるはずもない。先立たれた先妻に似ていたのか、それとも単に恵の世話役が必要だったからなのか、甚爾は再婚した。恵に義理の母親と姉を与えた。
そしてついぞ、彼が家庭を顧みることはなかった。

虐待は連鎖する。
虐待されて育った子どもは、大人になって親の立場に回ると、今度は自分の子どもを虐待する(もちろん、必ずそうなるわけではない)。
その理由のひとつには、子どもとも接し方がわからないというのがあると思う。

甚爾には「親は子どもを愛情を持って育てるもの」「親は子どもの世話をして守ってやるもの」という意識が希薄だ。それはとりもなおさず、本人がその権利を享受していないからに他ならない(甚爾に限らず、禪院家というか御三家の中ではそもそも無理なのかもしれない)。
自分が経験していなことを――自分の知らないことを子どもに教えることはできない。
愛情の欠けた甚爾には、恵に注ぐ愛情の器がそもそもない。その器を作ろうとし、中身を注いでやっていた妻を失えば、後に残るのは空虚な心を抱えた禪院甚爾だけだ。

星漿体の一件で、時雨に「恵は元気か」と問われ、甚爾は「誰だ」と返す。愛した相手との間に授かった息子の名前を、おそらくその存在さえ、甚爾は思い出せなかった。あまりに薄情な父親だ。
この時点で、甚爾は津美紀の母親と再婚している。しかし、恵は父親の顔もろくに覚えておらず、帰ってこないことを不審に思うこともなかった。再婚生活はうまくいっていなかったようだ(あるいは恵がもっと小さかった頃、再婚したての時は「家族」ができていたかもしれないが)。
つまり、甚爾が恵に父親としての顔を見せたことは、恵が自我を得て以降ほとんどなかったということだ。保護者としての責任を放棄し、家にもろくに帰らない――これはまぎれもない虐待、ネグレクトだ。
(一切描写のない津美紀の母親も、事情は不明だが状況的には同罪である)

ただ、甚爾が恵を「息子」として愛せなかったのかと言えば、少し違うのではないかと思う。愛情表現を知らなかったというのもあるし、愛情を育てている最中に妻に先立たれ、すべてを放り出してしまったのではないだろうか。
以前書いた伏黒恵についてのnoteでも言及したが、甚爾が恵を禪院家に売ったのは、金のためだけではない。

俺にとってはゴミ溜めでも、術式があれば幾分ましだろ。

「恵をお願いね」と亡き妻に頼まれたのを思い出しながら、甚爾は直毘人と取引した。
「もう、どうでもいい。どうでもいいんだ」と自暴自棄になりながら。愛する妻を失った喪失感で息子への愛も薄れてしまったように。息子への愛を十分に育てる前に、愛情の器が壊れてしまったように。
恵を自分で育てるという選択を取るには、甚爾はあまりに人として欠損していた。

選択が正しかったかはさておき、甚爾に取れる手段の中では、恵を禪院家に預けることが最適解のひとつだったのだと思う。
それしか方法を知らなかった甚爾は、家から出ても家に囚われていると見ることもできるかもしれない。時代錯誤にもほどがある家を出たにもかかわらず、名字を捨てても、血統に付随する因果と業は甚爾を手放さなかった。

甚爾の生きているうちには判明しなかったが、息子の恵は相伝の術式(その中でもとりわけ貴重らしき術式)を引き継いでいた。
術式を持って生まれてしまったなら、それとうまく付き合わなければならない。
繰り返すが、自分にないものを教えることは非常に困難だ。術式どころか呪力さえない甚爾は、術式を持って生まれた自分の息子の面倒を見ることはできない。
だから、甚爾は忌み嫌った実家に恵を渡すという選択肢を選んだのだと思う。

もしかしたら、恵に術式がない方が一般人として過ごせて幸せだと思っていたのかもしれない。
恵が女の子の名前をつけられたのは、女の子なら禪院家から逃れられるのではないかという甚爾の無自覚の願いがあったのではないだろうか。
直哉の「男のくせに呪力が1ミリもない」から考えると、禪院家では女児であれば呪力や術式は男児ほど厳しく問われないようだ(つまりそれだけ人間扱いされないということでもあるが)。
そして家を出たなら、呪術と無縁な女児はただの子どもだ。

渋谷事変で黄泉返った甚爾は、成長した恵の顔を見て瞬時に自分の息子だと判断した。名前を聞かれて「伏黒」と答えた恵に「禪院じゃねえのか。よかったな」と言って「自殺」した。殺戮を繰り返すだけの人形に成り果てたはずの、甚爾の姿をした亡者は、あっさり自死を選んだ。
そこに、父親になりきれなかった甚爾の爪の先ほどの情が窺える。血の宿業に翻弄された甚爾の――「強者」と「弱者」の狭間をさまよい続けた甚爾の一握りの善性が。
ゴミ溜めのような世界で、ただひとつ光るものになれたかもしれなかった原石が。

伏黒恵にとっての父親

しかし、恵にとって甚爾が「悪い父親」であったことは疑いようがない。
読者の視点で見れば、甚爾自身も虐待の被害者で同情の余地はある。だが、それは恵のあずかり知らぬことだ。だいたい、虐待された「弱者」だからといって自分の子どもを虐待していいわけがない。情状酌量の余地があることは、無罪放免を意味しないのだ。

恵は自己肯定感が低い。自分を「悪人」に位置付けて、「善人」であるところの津美紀を優先する。ことあるごとに、自分よりも津美紀が生き残るにふさわしいと考えている。
恵が自分を「悪人」と思うのは、彼が人間関係に順位をつけて、助ける人間を選ぶからだ。その順位付けは自分自身にも及んでいる。
おそらく恵は、自分が親に順位をつけられ、その順位が低かったから捨てられたと思っているのではないだろうか。

実際には甚爾は恵を完全に見捨てたわけではない。だが、事実を並べれば、恵は「捨てられた」状態にある。小学1年生の恵が父親の生育環境の問題を考慮するいわれもない。
津美紀にいたっては、甚爾に言及されたことは作中で一度もない。そもそも甚爾が再婚相手に愛があったかでさえ定かではない。甚爾が「プロのヒモ」と設定されている以上、恵の世話役欲しさに手頃な女と再婚した可能性は否定できない。

甚爾がクズ男であったことは事実だ。だから恵は父親を嫌っている。顔も覚えていないので、「父親と思っていない」という表現の方が正しいかもしれない。
しかし、血縁関係は消せない。どんな形であれ、甚爾は恵の父親であり、そして恵は父親に捨てられた子どもだった。
だから、甚爾と同じように、恵は自分に価値を見出せていなかった。自分の術式の貴重さに頓着しなかった。醒めた目で世の中を見つめながら呪術師として働き、斜に構えた態度を津美紀に咎められた。

甚爾はついぞ、父親にはなれなかった。だが、恵は最も忌み嫌った父親にどんどん似てゆく。本人の知らないまま、顔だけでなく、性格も父親と近づいてゆく。
悲劇は連鎖する。術式という非現実的要素だけでなく、虐待というきわめて現実的なモチーフで。
(この親子の連鎖というモチーフは古今東西の物語によく見られるが、その普遍性こそがこの悲劇性の強烈さを示しているだろう)

強烈な自負心と五条悟への敗北

甚爾は五条悟に敗れて、恵と津美紀(と生きていれば再婚相手も)を置いて死ぬが、これは父親であることよりも己の自負心を優先させたからだ。

「タダ働きなんてごめんだね」
いつもの俺ならそう言ってトンズラこいた。だが目の前には、覚醒した無下限呪術の使い手。恐らく現代最強と成った術師。
否定したくなった。捻じ伏せてみたくなった。俺を否定した禪院家、呪術界、その頂点を。
自分を肯定するために、いつもの自分を曲げちまった。
その時点で負けていた。

甚爾は「強者」と「弱者」の矛盾で苦しみ続けた。それから逃げるように、何にも執着せずその日暮らしをするような人格になった。困難からは逃げる、自分が生きていることがいちばん大事、無駄に競争などしない――そんな具合に。
だが、己の力への自負が、五条悟と対峙した時に吹き返してしまう。

今際の時になって自分を殺した相手に息子を託したのは、五条を自分よりも「強い」人間として認めたからなのだと思う。
甚爾が禪院家に対してどう思っていたのかは、明確には描写されない。ただ、一人で禪院家を皆殺しにした真希と同等以上の力はあったようだ。
その甚爾を上回る、「現代最強」の呪術師、五条悟。彼ならば、恵にもっとましな未来をくれるかもしれない――そう考えたのかもしれない。

もしそうならば、甚爾も強さにこだわる禪院家の価値観を捨てきれなかったことになる。己の強さだけを拠り所にしていたなら、強さで上回る相手には屈服せざるをえない(だから五条悟に敗れて死んだのは、むしろ甚爾にとっては幸いだったかもしれない)。
価値観を変えるのは難しい。どれほど家を嫌っても、恵の預け先の候補に真っ先に挙げるほどには、甚爾は家を切り離せなかった。1000年以上にわたる血の連鎖は、甚爾ひとりの反抗程度ではびくともしなかった。
それもまた、甚爾の抱える悲劇性なのだと思う。

おまけ:甚爾の天与呪縛について

甚爾の天与呪縛によるフィジカルギフテッドは、六眼と少し似ている部分があるように思う。

星漿体をめぐる一連の事件の際、夏油が甚爾に「術師(わたしたち)と同様に、情報の開示が能力の底上げになることは知っている」と言う場面がある。この台詞から考えて、甚爾の天与呪縛も術式と同じシステムの呪術的な代物ということになる。
何かを得るために差し出すのは呪術の基本だ(呪術的に同一視される双子はこの均衡を崩すが)。
本人の意思ではないにせよ、甚爾は呪力を差し出し、代わりに驚異的な身体能力を得た。

五感を極限まで研ぎ澄ますフィジカルギフテッドは、呪霊を見ることができないにもかかわらず、その他の痕跡から逆説的に呪霊の存在を感じ取る。
この仕組みは、五条が目を閉じて六眼のみで世界を観測するのと似ている。
六眼は呪力を詳細に捉える能力だが、呪力を持たないもの(呪具をのぞく無機物)をも、ただよう呪力の流れから存在を知覚できる。
他のものから輪郭を推定し、その存在を感じ取るという仕組みで外界を認識する甚爾と五条は、似ていると言ってもいいのではないだろうか。

そして、能力のオンオフができないあたりも六眼とよく似ている。

甚爾、そして真希の天与呪縛によるフィジカルギフテッドは禪院家全体に対する天与呪縛ではないかと以前に書いたが、もしかしたらそれ自体が禪院家の血に刻まれた術式のひとつでもあるかもしれない。

おまけ②:甚爾の名字の変遷について

名前は呪術的に重要な要素だ。
甚爾が降霊術で呼び出される時に使われたのは「禪院」であった。これは「生まれに近い名前を使うのがセオリー」という理由が作中で提示されているが、より呪術的な能力を強調するためでもあったのだと思う。

甚爾は婿入りして名字が「伏黒」に変わっている。
だが、彼は2回結婚している。つまり名字を変えるタイミングが2回あったということだ。
もう一度原作を読み返してみたところ、そのあたりが名言されていなかったように感じる。また、時雨とのやりとりにちょっと疑問を感じたのもあり、以下に可能性をまとめる。

星漿体の事件の際、甚爾は既に伏黒姓だった。そして、時雨は恵の名前を知っているのに、名字が伏黒になったのを知らなかった。

①「伏黒」になったのは1回目の結婚時

スタンダードな解釈はこれだと思う。というか、今までそうだと思ってきた。
つまり、津美紀の母親が伏黒姓に変えたことになる。
この場合、時雨には名字を教えなかったか、関係が一時的に疎遠になっていたと見るべきだろう。恵の母親と出会って一時的に更生していたなら不思議ではない。

②伏黒は2回目の結婚時

これは津美紀の母親が伏黒姓だった場合だ。1回目は名字を変えなかったということになる。
この場合、時雨が恵の存在を知りながら甚爾の婿入りを知らなかったことにも割とはっきり説明がつく。おそらく甚爾が再婚したのを知ったもこの時だったのだろう。

禪院甚爾のまま妻と子どもを得たが、妻を失って自暴自棄になり、とうとう禪院を放棄したというパターンになるが、やはり甚爾には恵の母親と出会った時に家を捨てて欲しい気もする。

③1回目も2回目も婿入り

この可能性はちょっと低いかなと思っている。
この場合、甚爾は名字が変わったのをずっと時雨に黙っていたことになる。息子の名前は教えたくせに(初めての子どもに舞い上がっていた可能性はちょっとある)。

甚爾が再婚相手である津美紀の母親のことをどう思っていたかは全く描写されない。ただ、本編中にあった描写を見るに、恵の母親は甚爾にとって救いだった。その妻の名字、いわば形見のようなものを捨てるような所業を、はたして甚爾が取るだろうか。

もしかしたら、妻を失って辛さのあまり、妻を想起させるものを捨てたくなったかもしれない。恵を禪院家に売り払おうとしたのは事実であり、自暴自棄さは拭えないので、なくはないかなと思う。
法律的には成立する可能性だが、物語としては、やはり最初の妻の名字を分けてもらい、家から逃れた束の間の幸せを享受してほしい。

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