見出し画像

07. 五条悟の〝善悪の指針〟の話

同人誌『瞳の奥に眠らせて』より再録。以下の記事2本を再編、大幅加筆修正。

 五条が「夏油の判断を善悪の指針にしていた節がある」「夏油出奔後の方がしっかりしている」とファンブックで明かされたので、今一度、二人の関係について述べていきたい。

 五条悟には強固に社会規範が枷として嵌められており、それが彼を社会性の生き物として規定し、人外の化け物の人たらしめているのではないか、と今まで推測していた。そこへ〝善悪の指針〟として夏油が存在するとなると、ちょっと話が変わってくる。

 五条にはもとから基本的な社会規範が備わっていたけれど、夏油と出会ってからは夏油に指針を委ねるようになり、そして夏油が人を殺したところで「夏油に頼りきってはいけない」と目が覚めたのではないだろうか。

善悪の指針の依存

 前章で述べたが、高専時代の五条は、夏油を自分と同一視しかねないような危うさもある印象を受ける。まるで、自他の区別が危ういような。
 他者に判断基準を委ねるのはとても危うい。十代半ばにもなってそんなことをするのは不健全きわまりない。思春期はそういう自己主張が激しいお年頃のはずだから、いくら親友といえども、善悪の判断基準を他人に任せるなんてありえない。つまり、五条はそれだけ夏油の判断に重きを置いていたのだろう。「弱者を救うべき」と解いた夏油をポジショントークと揶揄したくせに、正論は嫌いだなんてうそぶいて、まるで試すかのように(おそらく何度も)五条は夏油へ問いかけた。

 なぜそんなことをしていたのか。たぶんそれは、自分の足りない部分を補う夏油への信頼――それと表裏一体の依存のようなものだったのだと思う。夏油もそれを察していて、世間知らずな五条の手を引いているつもりでいたのではないだろうか。

 五条は自分で善悪の判断を行うのが苦手な側面があるように見える。もちろん本人にはきっちり社会規範が枷として嵌められているから、むやみやたらと法を犯すような真似はしない。けれども、法で定められない曖昧な範囲についてはその限りではない。

 基本的に、五条は社会規範を守りながらも、特にそれに意味(あるいは意義)を見出していないのだと思う。社会規範(法の支配や倫理観)の最たるものは「人を殺してはならない」だが、たぶん五条は格別、そういった規範に意味を感じていないように見える。社会的にそうと決まっていて、社会で生きるためには守らないと面倒なことになるから守っている――その程度の認識ではないだろうか。

 五条は規範を知っているし、それに従って振る舞う(人の振りをする)こともできる。五条は結局、自身の意志で人を傷つけたり殺したりすることはなかった。彼は気まぐれで夏油以上の惨事を瞬時に引き起こせるほど強大な力を持っているが、いつも口先だけなのだ。夏油の唱える正論をポジショントークと言って嫌ってはいたし、救うべき人間を数で捉えている節はあるが、非術師を意図的に見殺しにすることはないのだ。ただ、五条は意図的に法を犯すことはないにしても、法で定められていないこと――倫理観で判断しなければいけないことの善悪の判断は苦手なのではないだろうか。

 善悪には大まかに二通りの基準がある。一つは法、もう一つは倫理だ。法は明確に決まっているため、判断に迷うことは少ないだろう。しかし、倫理は別だ。以前流行った『これからの正義の話をしよう』などがそうだったが、文化圏によって異なることもあるし、同じ文化圏でも人によってさまざまな尺度が存在する。五条は人の振りをした人ではないもの――人型の災害みたいなもので、その心がかりそめの代物ならば、この手の判断はとても苦手なのではないだろうか。だから己の欠落を埋めるために、夏油を〝善悪の指針〟としたのではないか。

 本編中ではさほど実例が出てこないが、五条は人格的にはクズであると明言されている。そのクズさというのが倫理観の欠如であり、人の心が備わっていない、あるいは正しく育てられなかった結果なのではないかと思う。自身の善悪の判断能力――心が希薄で人の心がわからないから、他者の判断を指針にしていた。他者に判断を依存することで、自他の境界が曖昧になってゆくのにも無自覚なまま。夏油を信頼していたと言えば聞こえはいいが、自他の境界が曖昧で互いを同一視していたような不健全さも感じられる。

 五条が最も判断を他人に丸投げしていたと思われるのは、理子が殺された直後の場面だ。気が狂っているとしか思えない教団の人間を前にして、五条は「こいつら殺すか?」と夏油に尋ねた。この時、五条の〝人の心〟は機能を停止している。だから何も感じない。人の振りをした人外で、心の未発達な子どものように。夏油に人としての振る舞い方を教わっていたように、何も感じない状態こそが本来の姿のように。

ここから先は

6,618字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?