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五条悟と夏油傑の「親友」の話

サブタイトル:
夏油傑が最初で最後の唯一だった五条悟と、五条悟を最初で最後のたった一人にした夏油傑の話

サマリー:
生まれて初めてらしき友人に大はしゃぎでべったりのように見えて、その実、何にも寄りかからないで立てる五条と、世間知らずっぽい友人の手を引いているつもりが置いて行かれてしまった夏油の悲劇的物語

※一から十まで妄想と幻覚です。
※単行本14巻までの情報に基づきます。

「五条と夏油の友情の定義もすれ違っている」と下記の記事でさらっと書いて、その後、本でも説明しそびれたので、今一度まとめます。
(note記事のまとめ本『瞼の裏で覚えてる』でかなり加筆修正しましたが、また違うことを言っていたらすみません)

五条は夏油を親友と呼び、夏油は五条を親友と呼ぶけれど、二人の「親友」の定義は「青春」の定義と同じく、微妙にすれ違っているように思う。

五条にとっての「親友」

五条にとっての唯一無二の親友は夏油傑であると作中で明言されている。でもこれ、込められた意味が少し重すぎやしませんか?

閉じた世界に生まれ育った五条にとって、夏油は生まれて初めてできた友人ではないかと以前に書いた。そうだとすれば、夏油は「唯一の親友」どころか「唯一の友人」なのではないかと思う。そのせいで、雛の刷り込みよろしく「初めての友だち」に浮かれて舞い上がってしまった部分もあったのではないか。
五条は義務教育をすっ飛ばしていそうな雰囲気をひしひしと感じるので、同じ年頃で話の合う相手という存在自体が今までいなかったのだろう。
そこへ現れたのが、夏油傑だった。

五条は作中で「最強」を自負し、実際、その名に恥じぬ力を見せる。何もかもを持ち合わせた彼にはしかし、決定的に足りないものがある。
――人生の選択肢だ。
強すぎる力と才は、五条に「普通」を許さない。あらゆることを成し得る力を持ちながらも、社会規範という枷を嵌められて(あるいは自ら嵌めて)社会への「奉仕」を求められ続ける。破綻した人格のようでいて、破滅的に振る舞うことはしない。
「友人」にしても同じことだ。

京都校との団体戦で「どうして置いていったの、逃げたの」と真依が真希を詰るシーンで真希が「オマエも高専に来たじゃないか」と言ったことから考えて、御三家はおそらく子どもを家の中で養育している。呪術師になるために高専に入学させることもないのだろう(ファンブックとかで明かされると思うけれど、高専は一般家庭出身の呪術師を育成する場として設けられたのではないかと推測している)。
相伝の術式はなるべく外に漏らさず秘していたいのだから、そうなるのも当たり前ではある。
呪術師としての才能が底辺の真依と違って、数百年ぶりの六眼を持って生まれた待望の子ども――五条家至高の素質を持ちあわせた子どもならば、なおさらだ。五条悟は実家の猛反対を押し切って入学したと見ていいだろう。
(デジモンを知っているあたり、完全に世俗と隔絶した生活をしていたわけではないだろうけど、あまりにも人格に幼稚さが見られるし協調性ゼロなので、金と権力にものを言わせて完全に家の中で養育し、まともに義務教育を受けていないと仮定します。被っていた猫が高専入学と共に爆発四散した可能性もあるけど、あんな生徒がクラスにいたら小中学校の先生が可哀想すぎるので、そうと信じています)

だから、高専は五条にとってモラトリアムだった。
初めて実家を出た全寮制の学校生活、初めての同じ年頃の同性の同級生。加えて、思春期特有の無邪気な万能感と無謀さ。実家の監視から離れて、五条が夏油と親しくなるのも当然の結果だ。
理子の護衛中の様子から、五条は夏油に全幅の信頼を寄せていることがうかがえる。自分の弱みを見せることにも抵抗はない。
同級生が二人しかおらず、同性なのが夏油だけなのを差し引いても、二人は非常に親密だ。実家が好きではなさそうな五条にとって、そういうわずらわしいものとは無縁で、しかも呪術師としての力量も同等な夏油は、人間関係において特別席に座らせるほど格別だったのだろう。
生まれて初めて、同じ視界を共有する「唯一」の相手――それが夏油傑だった。

一見すれば、五条が夏油にべったりくっついているかようにも見える。「初めての友だち」と何でも一緒にやればできるのだと無邪気なまでに信じて、少しばかり意見の相違があったとしても、なんだかんだで最後には同じ方向を向いていると疑いもしない。
時にいがみ合う姿を見せつつも、五条と夏油はひどく親しげで、あまりにも距離が近すぎる。互いのすべてを知りつくしていると錯覚するようなレベルで。
思春期まっさかりの格好つけたがりの男子高校生には見えない。まるで、うんと幼くて自他の境界も曖昧な子どもみたいだ。
だから、得たばかりの未分化の感情のありったけを「初めての友だち」に抱いて、距離感を誤ってしまった。

夏油にとっての「親友」

一方の夏油は一般家庭出身だ。高専に入学する前は、ごく普通に友人はいたと見るべきだろう。親友レベルでないにしても、それなりに親しくしていた同級生はいたはず。
夏油にとっての「親友」は、たぶんごく一般的な範囲の「親友」に収まっている。数ある知り合いの中で最も近しい友人、最も視界を共有できる友人。
夏油にとって、五条は今まで出会った中で「最高」の友人だったのだと思う。夏油がどんな小学校、中学校生活を送っていたかは想像にすぎないけれど、きっと、呪霊の見えない同級生に囲まれて、真に胸襟を開ける相手はいなかっただろう。

夏油も五条を己と対等な存在だと、「最強」の片割れだと認識している。今までそこそこ親しくしていた人はいても、まったく同じ土俵に立ち、同じ眼差しを持てる人はいなかった。そこで出会ったのが五条悟だった。そういう意味では、五条が「初めての親友」だったとも言える。
だけど、その「最初」は二人の間では、込められた意味がずれている。夏油は数ある候補の中から五条の手を選んで取った。夏油を「唯一」と断言した五条と違って。

それに加えて、五条のことを手のかかる子どもみたいに思っていた節もあるように思う。
正論を説く夏油は、物わかりのいい大人ぶって建前を言う。五条の反抗的態度と比すれば、たしかに夏油は大人っぽい。
思春期らしい不安定さを剥き出しに「大人」を威嚇するような五条の手綱を握るのは、自分の役割だと思っていたようにも見える。
夏油はバランスを取っているつもりだったのかもしれない。強大すぎる力を子どもみたいに振り回す五条を止められるのは、片割れの自分だけなのだという自負。

夏油はたぶん、五条が「初めての友だち」にはしゃいでいたのに気づいていただろう。時に五条の幼げな振る舞いを諌め、時に一緒になって悪いことをして。
自分になつく、図体ばかり大きな子どもを見るような気持ちがあったかもしれない。優越感とも呼べないほどの、ささやかな得意げな気持ちもわずかばかりあったかもしれない。
夏油は五条を下に見ていたわけではないけれど、心の奥底では、自分が引っ張っているつもりでいた部分もあったのではないだろうか。

二人の定義の違い

微妙にすれ違う二人は、天内理子の一件をきっかけにして、関係に亀裂を生じさせていく。

「俺達最強だし」とさっきまで喧嘩していたのをきれいさっぱり忘れ去って、五条は星漿体護衛の任務を受諾した。
「私達は最強なんだ」と夏油は天元との同化をためらう理子の決断の背を押した。

五条が夏油のことを意識の外に追いやって、新しい玩具――無下限呪術の研鑽に夢中になるまで。
夏油が自分よりずっと子どもっぽい五条の手を引いていたつもりでいて、突然駆け出した五条に手を振り切られ、置き去りにされるまで。

最初で最後の親友――夏油傑。最高で最後の親友――五条悟。
最初に出会った友人を「唯一の親友」と呼んで最後の友人にした五条と、今まで出会った中で最高の友人を「たった一人の親友」と呼んで最後の友人にした夏油。

五条の視点から見れば、生まれて初めての友だちに大喜びして唯一の親友に位置付けて大切にしていたつもりが、他の玩具に気を取られて放っておいている間にどこかへ行ってしまった。
「友だち」は自分とは違う意思があって、自由に行動できる足もあって、お屋敷で与えられるがままの玩具ではないことに、夏油の出奔後に初めて気づくのだ。

夏油にしてみれば、新しい玩具に夢中の五条が一人で勝手に遠ざかっていってしまったようなものだろう。物理的に距離が離れ、それに比例してどんどん心も離れていく。自分も五条にとって玩具のひとつだったのではないかと疑念を抱き、最高の友人だと思っていたのは自分だけなのではないかと心が冷えていって、そうして、擦り切れた心は決別を選択した。

「五条の心はかりそめ」と以前書いたけれど、五条は人の心の動きに鈍いところがある。夏油に「痩せた?」と尋ねる程度には関心があるのに、その心が疲弊しきって、裏切る予兆を感じ取れなかった。現状を認識できても、その後を予測できない。
五条にとって、夏油はいつまでも同じ存在だった。人の心がたやすく変わるのを、五条は想像できなかったのだろう。正しく心を、情を育てられていない五条には、どうして夏油が傷ついていくのかもわからない。

夏油はいつの間にか一人で走り出した五条についていけなかった。同じ視界を共有していると思っていたのに、五条は先に行ってしまった。片割れであると信じていたのに、結局、夏油は片割れでい続けることはできず、五条は一人で「完成」してしまった。
五条の手を引いているつもりで、無知だったのは夏油の方だった。夏油には、腐った呪術界やら社会構造やら理不尽さへの耐性がなかった。少なくとも、五条ほどには。
子どもっぽく振る舞う五条は、夏油よりも社会の何たるかを知っている。夏油の唱えた正論が綺麗事であると知っている。自分の行く末から逃げ出すことをしない時点で。
夏油はそれに気づかず、五条の世話を焼いているつもりでいた。そして自分の手を振り切って五条がいなくなった時、それが一方的な思い込みであったと思い知らされる。
二人は近づきすぎたのだと思う。互いに近づきすぎて崩壊する星のように。

高専が閉鎖空間なのも、二人の親密さを加速させた要因のひとつだろう。
というか、あんな両手で足りるほどの生徒数で全寮制なんて、明らかに教育に悪い。高専は呪術師を育成する場としては最適解の姿をしているかもしれないが、まっとうな人格形成には悪影響だ。
怪物と戦う呪術師にまともな精神なんて不要だし、むしろ邪魔なのは否定しないけれど。

実のところ、二人が互いを過去編で「親友」と呼ぶシーンはない(見落としていたらすみません)。
自分でも混乱してきて原作を読み返したのだが、二人が親友と形容されたのは0巻のラスト、五条の台詞だった。

「あっ、学生証、先生が拾ってくれてたんだ」
「いや、僕じゃない。僕の親友だよ。たった一人のね」

夏油を殺した五条は、乙骨に向かってそう言う。自分が殺したと明かすことなく、乙骨を襲ったのがその「親友」だったと明かすことなく、学生証を返すついでにそっと言い添える。まるで、それだけを誰かに覚えてほしいみたいに。
(キャラクターには明かされない人間関係を、様々な視点から俯瞰できる読者だけが理解できるというここの構図もとても好きです。『呪術廻戦』は構図の組み方が上手いなあといつも思います)

それから、13巻、出奔した夏油が成長したミミナナに髪を梳かれながら言った台詞。
(村から連れ出した幼いミミナナの髪を梳かしてやったのは、このシーンとは反対に夏油であっただろう)

「ねぇ、夏油様。五条悟って何者? 超強いんでしょ?」
「んー。親友だったんだ。ケンカしちゃってそれっきり」

二人の関係は、彼女たちにも明白だった。夏油の寂寥を自分たちでは埋められないことに彼女たちは悔しがり、泣いて、そして負けを認めたのだろう。

夏油様を殺した五条悟を、私達は一生許さない。でもね、これでいいとも思ったの。だって五条悟は夏油様のたった一人の親友だから。

過去編(単行本8~9巻)では、五条と夏油は「俺達(私達)最強だから」としか言ってない。
つまり、夏油が自分の元を去ってから唯一無二の親友だったと定義したのだ。その後10年に渡って、夏油に比肩する者が現れなかったから。もとより閉鎖的な世界に生きる五条にとって、モラトリアムから抜け出したらそんな機会はほとんどない。
出奔した夏油にとっても同様だ。信者(夏油いわく「家族」)に囲まれながらも、自分と肩を並べる者のいない孤独を癒やせなかった。出会いを自ら拒絶したから。ゆえに、五条は「たった一人の親友」になった。

多感で移ろいやすい思春期に同じ時間を共有した相手というのは、特別な存在だ。それを上回る相手を、五条も夏油も見つけることはできず、また、見つけるつもりもなかった。
壊れた時の姿のままで、永遠にとどめようとするかのように。

互いを互いの最も親しい友人と認識しながらも、二人は手を繋いだままではいられなかった。
呪術師は孤独だ。強ければ強いほどに。
最強の五条が他者を守るのには不向きなように、強すぎる力は周囲のすべてを等しく傷つけ、目を眩ませる。
自分を強者と定めた二人は、ひとたび違う方向を向いてしまったら、二度と道は交わらない。行き着く果てまでひた走るだけだ。
それでも、互いを唯一無二の位置に置いたままにして、忘れることはできなかったのだ。どんな結末を迎えようとも、大切な思い出だったから。
壊れてもなお、色褪せない永遠にするために。


改めて読み返して気付いたことがいくつかある。

「親に恵まれたな」と甚爾は夏油に言った。その「恵まれた親」を夏油は殺した。非術師だったから。自分に術式をくれたはずの親を、峻別する側に立てる自分に生んでくれた親を、いともたやすく。
術式が遺伝で決まるのなら、その因子を持つはずの人間をも殺してしまうのは、より未来を狭めてしまう。それとも、そう認識していても、もう子どもを産むことのない親は用済みと判断したかもしれないけれど。
甚爾が知ったら、きっと嘲笑するだろう。自分が恵まれていることに無自覚な贅沢さをこそ、恵まれなかった甚爾は嫌っているだろうから。

甚爾は無意識に後継になる男児を忌避して、子どもに「恵」だなんて女の子の名前をつけたのだと今まで解釈していたが、もしかしたら、恵まれなかった自分よりましな人生を与えようと子どもに「恵」と名付けたのかもしれない。
でも呪術の才に恵まれた結果、伏黒恵は「平凡な平和」に恵まれない人生まっしぐらなのでした。ぜひとも頑張ってほしい。


あとすごくどうでもいいことなんだけど、Qの戦闘員をボコボコにしている夏油が「呪詛師に農家が務まるかよ」と発言していますけど、あなた、非術師を皆殺しにしたら農家にならなきゃいけないんですよ。そのあたりを想像できなかったあたり、夏油もまだ未熟だったのでしょうね。
夏油の呪霊にぐるぐる巻きにされているQの戦闘員に「学生風情がナメやがって……!」ってキレられているのは正鵠を射ている。どれだけ強大な力を持っていても、精神面の発達が追いついていない。そこを導くことのできる教師がいなかったのが、彼らの不幸だったのでしょう。
高専はつくづく、教員育成に失敗していますね。万年人員不足のブラック業界だからね、懇切丁寧な指導なんてできっこないね。そういうまともな奴から死ぬか脱落するかの世界だからね。世のブラック企業もそんなんだしね。

名プレイヤーが名監督になれるわけではないのと同じで、強い呪術師が優秀な教師になれるわけではない。ならば「最強」の五条は?
向いていなくとも、諦めることなく「なりたいものになる」のでしょう。有り余る才と金と権力を総動員して(人望に関しては微妙なところだが)、どれだけの犠牲を払おうとも、五条はやると決めたことはやり遂げるのだろう。
はた迷惑極まりないのだけれど、そういうひたむきさは眩しくて、だからこそ、いろんな人を惹きつけるのでしょう。


6/7追記
大幅加筆版はこちら。6月エアブーで出ます。
前回と同じくBOOTHでの通販のみです。
『瞳の奥に眠らせて』/文庫/84p

前回までの記事のまとめ本はこちらです。構成を組み直して7000字ほど増量しました。


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