見出し画像

01. 五条悟と夏油傑の〝青春〟の話

同人誌『瞼の裏で覚えてる』より再録。
以下の記事の大幅加筆修正版です。(本記事は有料設定ですが、当面の間は最後まで無料公開します)

 五条悟と夏油傑、二人の決裂は、互いの青春の定義がすれ違っていたことが原因のひとつではないかと思う。

 五条は序盤で「若人から青春を取り上げるなんて許されていないんだよ。何人たりともね」と言うように、青春というものに強いこだわりがある。この台詞は〇巻でも同様に見られる(むしろ描かれた順番、時系列から見れば〇巻が先になる)。五条のこの台詞だけを取り出せば、生徒思いのいい教師のように見える。

 翻って、本人の青春はどうだったのか。詳細を説明するまでもなく、惨憺たる有様だ。五条悟と夏油傑は高専時代の唯一無二の親友でありながら、夏油の離反によって二人は決定的に袂を分かった。夏油は非術師を虐殺し、出奔。そのまま呪詛師に堕ちた。五条は対話を試みたものの、既に夏油を止める力はなく、同級生三人組はあえなく崩壊。そのままおよそ一〇年を経た二〇一七年のクリスマス、五条が自らの手で夏油を殺したことで幕が下ろされた。

 五条と夏油の青春は「俺たち最強だから」と何のためらいもなく大口を叩けていた頃のことだろう。しかし、二人が共有できた青春は星漿体・天内理子が殺されたところで終了する。以降の二人は精神的なすれ違いを重ね、後戻りできないほど乖離してしまった。それに五条が気づかなかったのが、悲劇の一端となったのではないだろうか。


夏油の青春とは

 青春とは、字面通り〝人生の春〟のこと。若さと気力に溢れた青年時代(とりわけ学生時代)を指すのが一般的だ。だが時に、輝かしい未来が待っていると無条件に信じてしまうような、若さゆえの視野の狭さを伴う。

 夏油にとっての青春とは、明るい未来を信じられた頃のこと。労基法も真っ青な労働環境の呪術師に〝明るい未来〟と言うのもおかしな話だが、将来に多少なりとも希望を持っていたことに間違いはないだろう。〝よき呪術師〟の理想を掲げ、悪ふざけしながらも理想に向かって邁進する。不良少年じみた外見ながら、根幹では生真面目な性格が見て取れる。

 夏油の理想とは「人々の心の平穏」を保つこと。彼はそれを固く信じ、五条にも言い聞かせる。心底嫌そうな五条の反応を見る限り、普段から口にしていることは想像に難くない。

〝弱者生存〟それがあるべき社会の姿さ。弱きを助け強きを挫く。いいかい悟。呪術は非呪術師を守るためにある。

 しかし、この理想は星漿体の一件で粉々に打ち砕かれる。救うべき弱者の手により、星漿体・天内理子は死んだ。夏油は弱者の醜さを目の当たりにする。おそらく、夏油にとっては初めての大失敗だったのだろう。よりによって、守るべき対象に邪魔されてしまった。しかも理子にはスペアが存在していた。彼女の死や自分の哀しみとは無縁に世界は廻り続け、無力さを思い知った夏油は現実に絶望する。夏油の輝かしい青春はここで終焉を迎える。

 終わってしまった青春をそれでもなんとか手に掴もうとする夏油は、更なる無情な現実に打ちのめされる。親しい後輩は任務で死に、彼らが命を賭して守ろうとしていた非術師は醜悪な感情を剥き出しにして、呪力を持つ子どもを異物として排斥する。

 夏油の生い立ちの詳細が判明していないため推測だが、一般家庭に生まれた夏油は、両親との関係もそれほど悪くないようだった(ゆえに、非術師だからという理由だけで両親を殺した思い切りのよさが際立つ)。つまり、良い意味で〝普通〟の家庭なのだろう。このあたりが五条と対照的だ。というより、おそらくわざとそう設定しているようにも見える。

 呪術など知るよしもない環境にいたにしては、人には見えないものが見えることを気味悪がられて性格がねじ曲がったりしていない。それどころか、弱者(非術師)を守るために呪術師を目指している(呪霊を食って使役するという珍しい術式が判明するには、呪霊が見えるだけではなくて、何かよほどのきっかけがなければならない。おそらく、過去に呪霊に殺されかけた等のエピソードが待っているのかもしれない)。

 夏油はたぶん、この力を役立てることができるという希望――将来の夢にも等しい――を持って呪術高専に入学してきたのではないだろうか。そうだとすれば、ずいぶんと〝良い子〟のような動機だ。
 あるいは、強い力を持った自分をそう律していたのかもしれない。夏油も馬鹿ではないし、一六、七歳なら本音と建前くらいわきまえている。それでも建前を大事にしているのだと思う。その後の決断に鑑みて辛辣な物言いをするならば、物わかりのいい、大人ぶった振る舞いを背伸びして演じていたとも言える。

 夏油は人に順位をつけることを嫌っている。それは非術師を峻別して殺すことを決めた後でも変わらない。ただ、術師と非術師を区別しただけだ。自分の親すら例外扱いしないのはとても徹底している。だから、自己中心的な言動を繰り返す五条とたびたび口論になっていた(五条の本質は本当は違うのだけれど、夏油にはそのようにしか見えなかったのだろう。この時点で二人はすれ違っており、そしてすれ違いに互いに気づいていない)。

 夏油はきっと、天秤を正しく持とうとしていたのだと思う。自分が力ある側――天秤を持つ側にいることを自覚して、物事を正しく計ろうとする。そういうポジションに自分を置いている。
 だが、それはもはや人の所業ではない。傲慢なる神の視点だ。ある種の思い上がりなのだが、〝最強〟を二人で名乗っていた頃――二人なら何でもできる万能感に酔いしれていた頃にはわからなかったし、離反した後には傲慢なる神そのものに成ろうとしている。

 夏油の青春は、立派な呪術師を目指して同級生と切磋琢磨する期間だった。普通の学生ならとてもいいことだけれど。それを通り越して聖人君子であろうとするのは、ただの人間には無理なのだ。夏油は神でも仏でもなくて、ただの呪術(ちから)を持っただけの人間だったのに。

 仮に夏油が過去に呪霊が見えるせいで排斥されていたとすると、そんな彼ら非術師を呪霊から救って「ああ、こいつらは下等な生物なのだ、理解できない者を恐れ、排除しているだけなのだ」と見下して憐れんでいたという解釈も成り立つが、この推測に関しては今後の展開を待ちたい。扉絵で菩薩みたいな構図の絵があったし、個人的にはこの線も捨てがたい。そうすると、美々子と菜々子に過去の自分を投影してしまって、一線を越えたのかもしれない。


五条の青春とは

 一方の五条には、呪術師になる以外に道はない。持って生まれた強大な術式と血統のせいで、人生は最初から確定している。しかも、加茂と違って血統でこじらせている様子もないから、おそらく直系として生まれている。立ち居振る舞いからして、ほぼ間違いなく嫡男か、既に当主の座に就いているだろう(あえて言うなら、廃嫡された兄が一人くらいいたかもしれないが、本人は全く気にしていないだろう)。血統も折り紙付きで、文句なしの最強呪術師だ。

 五条にとっての呪術高専は、実家から逃れられるモラトリアムだ。わざわざ京都を出て東京校に入学しているのだから、多分にそういう側面があるだろう。だから綺麗事をのたまう夏油に反発心が湧く。夏油と違って悪しき因習を実家で山ほど見ているから、呪術師の建前なんてものに価値を見出していない。自分の力を磨くことには強い興味があるけれど、誰かを守るために呪術師になるだなんて理想は持ち合わせていない。そう成るよう定められているから、そう成るだけだ。

 夏油(偽物)が言ったように、五条の術式の性質が守ることに不向きなのも、その傾向に拍車をかけている。生まれてからこの方、周囲は非呪術師を猿と見下す連中ばかり。五条本人は非術師を蔑んだりはしないが、視野の外側に置いている(そのくせ、夏油より非術師を優先するような精神構造をしているが、この話は後述する)。

 そもそも五条にとっての青春は、ひどく歪な形をしている。彼の世界はとても狭い。旧い呪術師の家系に生まれて、義務教育も受けていなさそうな五条にとっての青春は、夏油と硝子、七海たちなど一握りの先輩後輩しかいない。

 硝子は全く詳細が出てきていないけれど、夏油は(生真面目な性格の割に素行が悪そうだが)一般家庭出身で、五条よりもおそらく世俗に詳しい。両親とそれなりに良好な仲のようで、高専に入るまではごく普通に生活を送ってきただろう。実は非術師に排斥されていて、彼らを猿と蔑む原因になったかもしれないけど、少なくとも置かれた環境としては〝普通〟を知っているはずだ(夏油の過去次第でいろいろと解釈が変わるので、早めに明かされてほしい)。
 五条は高専を卒業すれば、呪術師として、五条家の人間として行動を縛られる。生まれた時から引かれた一本道を歩むしかない。それ以外の選択肢は初めらから取り上げられている。世界が閉じているのは、五条の方だ。

 五条を見ていると『とある魔術の禁書目録』の一方通行を彷彿とさせる。繰り返される〝最強〟と、敵意あるものは指一本触れることもできない能力なんかがそっくりだ。一方通行の能力の本質(加速器/アクセラレータ)が現象の観測・解析・再現だったあたりも、ちょっと六眼と似通っているように思う。
 一方通行は孤独のさなかに置かれたせいでコミュニケーション能力の欠如が著しく、人との距離の取り方がわからないところがあったが、五条にもそのような傾向を感じる。そもそも呪術師としてしか育てられていないから、人として欠落している部分もあるだろう。それがある種の冷酷さに繋がる(それにしては伏黒をちゃんと育てられてすごい)。

呪術(ちから)に理由とか責任を乗っけんのはさ、それこそ弱者がやることだろ。ポジショントークで気持ち良くなってんじゃねーよ。

 五条のこの台詞が、夏油との見方の違いをよく表している。力につきまとう責任や立場に関しては、夏油に言われるまでもなく、きわめて珍しい六眼を持って生まれた瞬間から口うるさく言われているのだろう。重荷を勝手に背負わせる周囲に辟易しているから、ポジショントークする夏油と喧嘩になる。
 五条にとっての青春は、そういうめんどくさいことから解放されて同級生と馬鹿やってられる期間のこと。さしずめ、「オマエまでそんなつまらない正論言うんじゃねえよ」といったところだろうか。

 日常的に喧嘩しているくせに互いを「唯一の親友」と呼ぶのだから、「喧嘩するほど仲が良い」を地で行っている。たぶん、五条にとって、夏油は初めてできた対等の〝友人〟なのかもしれない。口うるさい大人たちとは違って、あらゆるしがらみから解放された学生生活で唯一の(硝子も友人にカウントされるだろうけど、やはり異性と同性ではちょっと感覚が違う)。

 大人になった五条の言う〝青春〟とは、〝普通の青春〟への憧れが多分に含まれているのだと思う。だから若人には〝青春〟を与えてやりたくなるのだ。自分の青春――〝五条〟から解放された〝悟〟でいられた期間は、惨憺たる有様で終わってしまったから。ただのモラトリアムとして、何も考えなくて馬鹿げたことができる日々こそが得がたく大切だから。


二人の青春のすれ違い

 五条と夏油、二人は最初から立ち位置も目的も違っており、そのすれ違いが悲劇を生む。
 ここで最初に戻る。夏油の青春は天内理子が死んだ時点で終わる。だが、五条の青春はもう少し続いていたのではないか?

 理子が殺されたのは二年生の時。夏油が離反したのは一年後の三年生時。その間、五条は自分の術式を磨いて「最強に成った」。一方の夏油は理想と現実の齟齬に苦しみ、非術師を守る意義を見失っていった。自分が辛い思いをしてまで守っている人間に、守られるだけの価値があるのか――夏油はこの疑問から逃れられず、最終的に人間を峻別することを決意する。

 五条はおそらく、夏油の苦しみに気がついていない。もしくは、気づいても大したことはないと判断して放っておいたのだろう。元から五条にとって、人を守ることにそれほど興味も価値もない。呪術師の義務として課せられているが、それだけのことだ。理子の一件で、夏油も腐った現実を思い知って綺麗事を言うのはやめたんだな、くらいに思っていたかもしれない。

 あるいは、理子の死後、無下限呪術を完成させて万能感に浸っていたのかもしれない。自動防御の仕組み(これも一方通行の能力の一端である『反射』と驚くほど似ている)を完成させ、有頂天になっている。それが許されるだけの力を、五条は獲得した。

 夏油を戦力上必要としなくなっても、五条にとって青春はまだ継続していたのだと思う。むしろ力が増して、ますます好き勝手できるようになっている。さぞや楽しかっただろう、お気に入りの玩具を振り回すみたいに、自分の術式を研鑽して。その裏で思い悩み、己の無力さに打ちひしがれる夏油や七海には関心を払わなかった。

 少なくとも、夏油の視点から語られる過去編の五条にそのような描写は見られない。すなわち、夏油(や七海)には五条が彼らの葛藤に気がついているとは感じられなかったということだ。「もう、あの人一人でよくないですか?」と言う七海の絶望も知るよしはない。彼らは己の努力を徒労のように感じ、積み上がる同胞の屍に心を折られていく。どう足掻いても五条のようにはなれない現実が、夏油と七海の希望を砕いてしまう。万能感に酔いしれる五条の視界の外側で。

 五条には、思い悩む〝良心〟や人間関係を円滑に回す〝良識〟みたいなものが欠落している。世界の中心は自分だから。思い上がりも甚だしいわけだけど、なにせ、この時の五条も十代後半の未成年だから仕方がない。最強なのは事実なのだ。誰も五条には敵わない。片割れであった夏油さえも。

 五条はたった一人で何でもできるようになっても、まだ夏油のことは友人だと思って、他の人間より高い位置に置いていた。捨てたつもりなんてさらさらなかっただろう。だが、一人で呪霊を祓うようになってから会話が減り、心の距離が離れていくのに気がつかなかった。夏油は置いて行かれたと思っているはずだ。

 どんな人間関係でもメンテナンスが必須だが、五条にはわからない。あまりにも強くて、一人で完結してしまう五条には。だから、友情(たぶんこれの定義もすれ違っているけど)がメンテナンスしなくても永遠に続くと信じて甘えて、あぐらをかいていた怠慢のツケが回ってくる。

 六眼は、呪術や術式を見通せても、人の心は見通せない。親友ひとり救えないと悟った時、全能感に満ち溢れた輝かしい青春を粉々に打ち砕かれ、五条は己の傲慢さを思い知らされる。
 新宿の雑踏に紛れた夏油を追えなかった時、呪術師としての立場を思い出させられた時、五条の青春(モラトリアム)は終了する。

 夏油は五条の生まれて初めての挫折なのだと思う。何でも成し得る五条が、ただひとつ思い通りにできないもの――親友の心の在り方。心の底から笑えなかったという夏油の本心を――幾重にも建前で覆い隠した寂寥を、五条は拾えなかった。

 二人は心の底から理解しあうことはできなかった。生まれの違いのせいでもあるし、高専に来るまでにたどった人生のせいもある。何よりも、五条には〝心〟が正しく備わっていなかったから。

 助けを求めるという選択肢は五条にはない。誰かに頼ろうとする発想がない。なぜなら、彼は〝最強〟だからだ。彼に成し得ないことは誰にも成し得ない。この世のほとんどは彼にとって弱者でしかなく、何があっても一人で立てる奴に救いなど必要ないからだ。
 夏油にも助けを求める意思がなくて、救われたいと思っていなくて、そういう点で二人は似た者同士だっただろう。どこまでも自分が強者であるという強烈な自意識を持つ者同士で、互いの弱さを支えあうという発想もなく(そういう狭い世界に閉じこもるのが駄目だと感じたから、教師を志したのだろう)。


 五条にとどめを刺される直前に夏油が言った「最期くらい呪いの言葉を吐けよ」は、「オマエも私を嫌ってくれ」という意味だったのではないだろうか。こんなことをしでかした自分をまだ親友と呼ぶんじゃないよ、と。正しい天秤を持て、ということなのかもしれない。
 だけど、夏油がいくら殺人に対する断罪を望んでも、五条はそんなことよりも夏油の方が重要なのだ。なにせ〝たった一人の親友〟だから。大罪人の夏油を――青春の亡霊を殺す役目は誰にも譲らなかった。

 五条と夏油の青春はひどい顛末を迎える。それでも、五条は〝青春〟なるものを諦めていない。だから、五条の青春は虎杖、伏黒、釘崎に託されるのだ。五条たちにはたどり着けなかった輝かしい未来が。


同人誌はこちら。紙版とPDF版があります。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?