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03. 夏油傑の差別感情の話

同人誌『瞼の裏で覚えてる』より再録。
この記事の大幅加筆修正版です。

『呪術廻戦』はけっこう丁寧に時代を描写していると感じる瞬間がある。わかりやすい例だと、スマホとガラケー。言うまでもないことだが、小道具としてはとても大切な要素だ。特に夏油の持っていたスライド式ケータイは、ほんの一瞬の流行りだったので懐かしさも格別にある。
(友人が持っていましたね。文化祭の準備中、トラックの荷台から飛び降りた際に買ったばかりのケータイをアスファルトに落として画面を割っていました)
 その時代感覚のギャップは、夏油の差別感情にも反映されているように感じる。

 最初に見た時から、虎杖も伏黒も釘崎も、ずいぶんと大人というか、精神面が成熟していると感じた。虎杖たちは互いの考え方の違いなんかをごく自然に受け入れている。彼らはたぶん、夏油みたいにはならない。伏黒の〝善人〟の定義は少し危ういところがあるが、夏油みたいな極端な道には走らないだろう。なにより虎杖がいるというのもある。虎杖は伏黒をぶん殴ってでも止められるし、逆もまたしかり。

 虎杖たちと五条たちの年齢差は一三歳ほど。ちょうど一回りくらい歳が離れている。五条たちの学生時代も昔というほどではないが、この一〇年余りの間に、ものの考え方や価値観はすさまじい勢いで更新されていったように思う。
 そのひとつが、差別感情をめぐる考え方の変遷なのではないだろうか。


現実の差別について

 差別は〝いけないこと〟だった。もちろん今でも〝いけないこと〟だけれど、現在はもう一歩進んで、差別する感情自体は否定されないようになったと思う。言い換えるなら、差別する感情を抱くことを肯定できるようになったということだ。

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