R5.12.9. 鮎川天理という少女が好き
『神のみぞ知るセカイ』でもっとも好きなキャラクターは鮎川天理だ。次に好きなのが中川かのん。この作品に出会ったのはおそらく中学生のときで、マンガワンかなんかで読んだのが最初のきっかけだった。
当時は「女神編」から先をチマチマとしか読めなかったのでアニメで内容をざーっと追い、そのあとに原作の過去編をチマチマと買った……はず……。
かのんが好きだったのは次のようなのが理由だろう。アイドルへの憧れ……ではなく、それを反転させたアイドルが持つ、普通の人への線引き……このポイントが好きだった。
今ではセカイ系での「キミとボク」の縮小版だと捉えられるこの関係は、多くの人の視線を集めるアイドルが、まったくの普通な存在である男とのランデブー……。これほど惹かれる関係性もない。
しかし大学生になったときに読み直して、鮎川天理というキャラクターに惹かれて、私は変わってしまった。すべてを読み通したあとに、このキャラクターがどのような結末を辿るかを知ったあとに、最初から触れ直してみてわかることがある。
天理にとって、桂馬との再会が、どれほどの重みのある出来事であったのか。そしてそのままエンディングへと向かうことが彼女にとってどのような意味合いがあったのかを考えると、胸が痛くなる。
だからこそ、再会イベントが煌めく。
無茶苦茶な時系列のイベント
そもそも未来からやってきたキャラクターが世界を変容させてしまったのならタイムパラドクスが起きてしまう云々といった語りが創作物において有効である試しがない。
歴史が一度に完成されているのなら、未来のキャラクターが、そのキャラクターにとっての過去に飛んで、イベントを起こして変容させてしまうという、その結果として元いた世界が完成する、という回りくどい設定のものが時に使われている。「神のみ」の過去編はそれに相当することをしている。他の例は「変猫」とか。
「神のみ」は攻略編、女神編、過去編の三部構成の作品である。
鮎川天理という少女が一種のターニングポイントの役割を果たし、世界設定の広がりが見える瞬間である(付言すると、女神編への導入は中川かのんの告白シーン。めちゃんこかわいい)。
これら全編を通すことで、主人公の桂馬がリアルに向き合おうという決意をする話だ。ゲームの世界→現実の世界。
この契機となる過去編は主人公が自分が今まで享受していた世界が、過去から続く多くの人間に支え続けられてきた結果として存在するという結論を得るからこそのものである。独りでゲームをしているだけで満足できていたが、自身が独りでゲームだけできていたのはその世界を支える人がいたから、というもの。
そのために最初の攻略編では、多くのヒロインを相棒のエルシィと一緒に(無理矢理)女の子をたくさん意図的に恋に落とさせて恋愛するという工程を踏む。女神編はそのやり直しである。
その果てに過去編では精神が擦り切れてしまい、ヒロインたちと恋愛するのを、自身の心を殺してでも演じきらなければならない現実に嫌気がさしてしまう。また、その先に成し遂げられる未来は、同時に自分の周囲にいる多くの人を傷付ける未来でもある。
傷付くのは自分だけでいい。
桂馬の世界観はそのままゲーム的な世界観で、自身の力でなんとかできてしまったし、この先も自身でなんとかしていくしかないという、殺伐としたものだ。
それでは生きていけない。
独力で世界そのものを攻略しようとする桂馬に寄り添った少女が鮎川天理であった。
だから桂馬は最初に天理を利用することにした。
彼女が寄り添ってくれるから、みんなが支えてくれた世界を、自分と、自分が好きな人たちで支えることにした。
私が鮎川天理という少女に見た救いは、「ずっと隣りにいてくれる少女」、というところにある。ずっととなりにいてくれる誰かをずっと探している(同じ理由で「ピンドラ」の苹果ちゃんが好きです)。
再会、そして
このとき、小学生でありながら、少年の孤独を救った女神・天理は、その身に本当の女神・ディアナを宿し、桂馬と再会する。
とはいえこの再会した桂馬は独力で世界を支えようとしたときの桂馬であり、天理のことをまったく覚えていなかった。
この関係って、実のところ、桂馬と彼が攻略した少女たちとの関係とパラレルなんですね……。
再会してピンチに陥った天理を、仮初めの攻略によって救い出した桂馬。
このときがもっとも天理にとって幸福なときであったであろう。
すくなくともこの時点での結末は、桂馬と天理が恋仲になるという落としであったから。
だが、その10年前にはすでに天理は「ボクらはすべてが終わったら、別々のルートを歩んでいくんだ。」と桂馬に告げられていた。
中途での終わりでこその幸せである。
天理という少女の幸せはここで瓦解する。
最後は彼女と共に歩む女神ディアナが、天理が幸せに辿り着けるまで一緒にいるという話だ。これで物語全体が締められる。
これは桂馬というゲーマーの物語であったが、全編を通してみると裏のストーリーとして天理の物語でもあったのだ。
天理の物語は、桂馬の物語が終わることで、むしろ始まった。
裏の主人公とでも言うべきこの少女が誰かのためでなく自分のために生きれたらと、祈りを捧げる。
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