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R5.9.16 『告白』の感想少し

昼前くらいに目覚めて、美容院へ行った以外はダラダラと過ごしていた。SNS地獄ばんざい。

『上田と女の吠える夜』のあのちゃんが出ている、つまり最新の回を見てゲラゲラ笑ったりと、だらけきっていた。

明日は同窓会。高校同期たちはどうなっただろうか。私は自分が留年して文転を考えている話をしなくて済んでくれたらなぁと思っている。

さて湊かなえの代表作の一つ『告白』を読んだ。チャプターごとに語り手が1人一方的に話し続けることで進む物語だ。湊かなえは鬱作品で有名であり、この『告白』も例に漏れない。残忍なことが起こるしサイコパスな思考も垂れ流される。もっとも、この作品における得体のしれなさの特徴は、他人に対する判断やレッテル貼りが隠されることなく表現されているところにあるのだが。

まぁ人ってとかこの人ってとかこんなもんだよなとか考えてなんとなく納得してしまう習性。その面倒な習性がこの作品を貫く。
こいつは俺のことをこう思ってるやろが実際はこうだしだとか、こう考えていたがそうはならなくて驚きましたとか、おそらくこれこれなわけでこうしたんでしょうねとか、結果から遡り原因を推測する描写のこと。それは、そこにある表層的なもの、徴候から、人の特性という病を診断しようとすること。そこにある証拠から犯人を仕立て上げる探偵のような習性のこと。
この作品はそれら推測がちょっとずつ噛み合わなくて後味の悪い結末へと繋がっていく。パズルのようなキレイな噛み合わなさが面白いところなのだが、この仕組みを作るのはいい趣味してますね。

読了したあとに感じる居心地の悪さは、きっとどの語り手にも鼻持ちならないものを感じたからだろう。私はこう思っていたんですよで綴られていく物語には傲慢さがついて回る。

それを私は「告白のズルさ」と名付けたいと思う。





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