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優しい世界

明け方になると、未だに仕事を手放したことへの後悔で目が覚めてしまう。もう退職して四か月が経とうとしているのに。

でも、もうさすがにこの後悔の出所は分かっているから、大丈夫。


10年近く同じ外資系企業の小さな東京オフィスにいて、単なる駒としてはそこそこ優秀だった私は毎年わりと良いパーセンテージでベースアップを果たし、慣れたアナログな仕事に明け暮れる毎日を送ってきた。

子供ができようができまいが、いずれはまたどこかで働くことになるだろうけれど、その時に自分の市場価値の低さを突き付けられることが怖い。それだけなんだと思う。

・・・あらやだ、こうして文字にしてみると、とんでもなくダサい40歳じゃないか。


家に一人でこもって、ネットに溢れる情報に対して受け身でいると、「世界」が自分なんかの入り込む余地のない、得体のしれない怖いものに思えてきて、置いてきぼり感を深めてしまう。

そんな時は、スマホを置いて外に出る。

一人で自分のお店を切り盛りする若いシェフ。颯爽と自転車を走らせるウーバーイーツの配達員。ピシッとスーツできめた会社員ぽい中年男性。カフェで見た、ウェイトレスさんを口説こうと懸命な老人。泣く赤ちゃんを乗せたベビーカーを押しながら、少し疲れた顔のお母さん(話しかけたくてうずうずしちゃう)。

苦労してそう。悩みなんてなさそう。お金持ちそう。ニコニコしてて優しそう。どう見えても、みんなそれぞれ何かしらを抱えて、時に懸命に、時には手を抜いて生きている。きっと、話す機会があれば私はそのひとりひとりに共感を覚えたり、好きになることの方が多いだろう。

「世界」はそんな人たちの集合体。私から拒絶しない限り、スルッと入り込める脇道がたくさんあって、どこかで誰かと意気投合したり、役に立てる場所がある。見慣れた町をぶらぶらと歩いているうちに、そんな風に思えてくる。

会社を辞めなかったら、こんな丸裸ですぐに不安定になる気持ちがあることを知らないまま、いずれ管理職になっていたのかな。きっと、既得権益を守ることに必死で、部下の気持ちが分からないモンスター上司になっていたなぁ。あなおそろし。

40歳で会社をドロップアウトした私にも、次の居場所はある。絶対ある。世界は度量が広いんだ。そして多分、頭で考えているよりも、優しい。

居場所を得たら、次は誰かのために居場所を作れる人になろう。私みたいに、今、不安でよく眠れない誰かのために、「世界は怖くないよ」って言ってあげたい。そしたらまた1ミリ、優しさが広がって、生きやすい世界になるもんね。



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