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医師を目指す児童・生徒に贈る、”国語”を学ぶ理由

はじめに

医師は、将来なりたい職業として、人気のものの1つだと思います。ただ、実際になるのはそんなに簡単ではなくて、まずは受験勉強という形で、たくさん努力しないといけない職業だと思います。その中で、「これ、医者になったときに役に立つの?」と迷いながら学習することも多いでしょう。このNoteでは、そんなお悩みを医師の立場から考えてみたいと思います。

今日の要点

1)患者さんの言動を理解するために、国語はトレーニングになる。

2)患者さんに寄り添うために、国語はトレーニングになる。

3)患者さんに説明する&多職種連携に、国語はトレーニングになる。

1)「入院したくない!」という患者さん

医師として働いて強く感じることの1つは、「病気の治療」が仕事の一部分でしかないということです。例えば、今は命の危機すらあるけれど、一方で入院してこの薬を使ったら、「病気の治療」が成功するということがわかっている患者さんがいるとします。このような状況であれば多くの人は入院するだろうと想像するかもしれませんが、実際の患者さんに入院を勧めると、それでも「入院しない」と答える患者さんというのは結構多いのです。ここで、医師が思いを馳せるのが、「この患者さんはなぜ入院したくないと考えているのか」という問いです。人によって、理由はいろいろです。入院費が払えない、前に入院をした際にイヤなことがあった、数日後にどうしても外せない用事がある、自分が重症だと分かっていない……などなどなど。

「入院しない」と答える患者さんをそのまま入院させずに帰宅させる医師はあまりいません。だって、帰った後に亡くなってしまう可能性がありますからね。だから、インフォームドコンセントなどと言いつつも、医学的に入院すべきだと考えたら、医師は本音では入院してほしいのです。だからこそ、入院したくない理由を知って、クリアできるものはクリアして、入院してもらいたいのです。入院費は、社会保障制度で解決できるかもしれません。前に入院をしてあったイヤな処置は、そもそも今回の入院では不要かもしれません。もし、数日後の外せない用事が本当に外せず、患者さん自身が「自分が死ぬかもしれない」と分かった上で入院しないと決めたなら、医師に止める言葉がないこともあるでしょう。でも、そうでないなら、患者さんの命を守るために、可能な障害は取り払って、最善な道(今回であれば入院)をさせてあげたいのです。

ここで医師が解くのは国語の問題です。患者さんの話という問題文に対して、①この患者さんが入院したくないと言った理由はどれか。②どのような説明と対応をしたら、患者さんが入院するという決断ができるのか。でしょうか。まさに、国語の問題ですよね。ときには詳しく話を聞いていくと「入院して検査したら、自分が癌と分かるのが怖いから、検査をしてほしくない」という本音が心の底にあって、入院したくないと言われていたことが最後に分かったり、と難関校顔負けの問題を解かないといけないこともあります。

2)「もう助からない」患者さんとその家族

次に考えるのは、「もう助からない」患者さんとその家族です。例えば、末期がんの患者さんや、大きな事故にあった患者さんを考えてみてください。残された時間の長短はあれ、現代の医学ができるだけのサポートをしても、「状態が悪く、厳しい。今夜にもなくなるかもしれない。/半年持つか分からない」と告げられる患者さんやその家族がいます。きっと、大きな苦しみや悩みに押しつぶされそうになると思います。

こんなとき、治療という面では医師にできることはほとんどありません。体の痛みや苦痛をとることくらいだと思います。でも、患者さんやご家族の心の苦しみや悩みに寄り添うことは、最後まで医師にできる仕事であり、最も大切な仕事だと思います。そして、もし患者さんやご家族が医師に”医師に分かってもらえた、心を暖めてもらえた”と思ったら、きっと大きな支えとなるでしょう。ただし、寄り添うと言葉にするのは簡単であっても、実際にそうできるのかというと、非常に難しいと言わざるを得ません。なぜなら、医師は患者さん本人やご家族本人ではないからです。きっと、こんな風に苦しんでいる、悩んでいるのだろうと、自らの学びや経験から類推することしかできず、患者さんを真に理解することは究極には不可能だからです。そんな中で医師は、「果たして自分はこの患者さんの苦悩を分かっていないのかもしれない」とふらつきながら、それでも寄り添い続けなければならないのだから、医師は大変です。

このように、困難極まる「寄り添う」という仕事をなんとかよりよく行うには、どうしたらよいのか。その答えの1つが、国語の学習だと僕は思います。国語でたくさん扱うものに小説や詩があると思います。小説は、書いた人の人生が詰め込まれた物語ですから、小説を学ぶことで他者の人生を疑似的に追体験することができます。また、詩は短いコトバの中に心情を詰め込んだものですから、これを紐解くことは、人の感情を学ぶことに他なりません。自分1人の人生を知っているよりも、たとえ疑似体験であっても多くの人の人生に触れたり、たくさんの感情を知っているほうが、どのような足跡を残してきたのかわからない患者さんに適切に寄り添える、つまり適切に類推できる確率は上がるでしょう。だからこそ、国語という学習を通して、小説や詩を味わうことは、ひいては患者さんに寄り添うことに繋がるでしょう。

3)患者さん、メディカルスタッフと協力

3つ目は、ぱっと思い浮かぶ内容かもしれませんが、コミュニケーションに関するものです。医療現場というのは、実にコミュニケーションによる失敗が起こりやすいところなのです。なぜなら、医療に関わる人々が”知っていること”が違いすぎるからです。

例えば、外来で患者さんと医師が話している場面を考えてみましょう。患者さんの症状やこれまでの病気について最も詳しいのは、患者さん自身です。でも、医療について詳しいわけではありません。以下は私が実際にした失敗なのですが……

私「最近、便の調子はおかしくありませんか?変わりませんか?」

患者さん「はい。いつも通りかわりません」

……しばらく経って……

患者さん「関係ないかもしれませんが、便が真っ黒です。1か月以上こうなので、変わりがあるわけではありませんが……」

私「おっと……」

医療者であれば、便が黒ければ出血を疑うので、これは異常ありと考えます。一方で、患者さんがそんなことを知っていることはめったにないので、私の質問の仕方では、「はい。いつも通りかわりません」という答えが返ってくるのはある意味当然なのです。つまり、私の聞き方がよくなかったのです。

医師と看護師やリハビリテーションスタッフでも同じようなことが起こることがあります。当然ながら、医師は治療の、看護師は看護の、リハビリスタッフはリハビリのエキスパートです。ただ、逆に言えば、多領域の知識はそこまで多くない場合もあります。看護師やリハビリスタッフにとって当然のことが、医師にとっては当然ではないという文化の違いもありえます。そうすると、「相手はこれくらい知っているだろうな」と思って専門用語や略語つめつめで話をすると、医師から患者への説明が難しくて分かりづらい!というような問題が医療者の間でも起こりうるのです。

だからこそ、三度国語です。国語を通して、他者を理解したり、他者に分かるように説明を行ったりといった練習をたくさんすることができます。分かりやすい文章の書き方や、分かりやすい話し方などなど。「なんでこんなことをやらないといけないんだ……」と思うことが多いと思います。ですが、医療において患者さん、メディカルスタッフと協力関係を築くためには、まずもってコミュニケーションの土台を気付くことが不可欠です。案外、伝わっていると思ったことが伝わっていない、そういう経験を積むために、是非しっかり国語を学んでいただけたらと思います。

本日の要点:Again

1)患者さんの言動を理解するために、国語はトレーニングになる。

2)患者さんに寄り添うために、国語はトレーニングになる。

3)患者さんに説明する&多職種連携に、国語はトレーニングになる。

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