クレイグ・レオン『バッハ・トゥ・モーグ』ライナーノーツ(再録)

 いくつかの革命的出来事によって、20世紀の音楽史は飛躍を遂げてきた。プレスリーの登場、ビートルズの結成など、たった一人が歴史を書き換える功績を果たした例もある。彼もその一人だろう。ロバート・A・モーグ。発明家/エンジニアだった彼は、64年にシンセサイザーという楽器を世に送り出し、今日に至るレコーディングの基礎を作った人物のひとりである。EL&Pのキース・エマーソンの有名な大型パッチシステムも、黒人バンドが使う小型鍵盤ミニ・モーグも、彼が創業したモーグ社の製品。惜しくも2005年にモーグは逝去したが、ファミリーによって会社は運営されており、今年(編注・2015年)が没後10年目にあたる。その記念としてモーグ社の協力の下で作られたのが、本アルバム『バッハ・トゥ・モーグ』。「BACK TO」ならぬ「BACH TO」。原点回帰作の発売元として選ばれたのがソニークラシカルで、ここはモーグの名を知らしめることになった記念碑的作品『スイッチト・オン・バッハ』(68年)を発売したレーベルなのである。

 『スイッチト・オン・バッハ』は、ニューヨークのエンジニア/音楽家、ウォルター・カーロスが制作した、シンセサイザーアルバム第1作。コロムビア大学で電子音楽を専攻していたカーロスが、モーグ社に特注した初期のカスタムシンセサイザーでJ・S・バッハ曲を取り上げた同作は、8トラック録音でありながらクラシックでは珍しい100万枚のセールスを記録。グラミー賞3部門の栄誉を受ける成功作となった。この異例のヒットは業界のトレンドを塗り替え、レコード店に「シンセサイザー」の仕切り板ができるほど、類似の企画アルバムが各社で山のように作られた。『バッハ』のA&Rだったピーター・マンヴスが、RCAに移籍後、カーロスのライバルと呼ばれたハンス・ウールマンや、冨田勲『月の光』のデビューを手助けしたのも有名な話。

 カーロスはそれまでシリアスな現代音楽作家であり、『バッハ』はただの既成曲のシンセサイザー化作品ではなかった。通常、カデンツァ(即興)で演奏される「ブランデンブルグ協奏曲第3番ト長調」の“失われた2楽章”を、カートゥーン風にトイレの排水溝のようなノイズで描写するなど、音楽考証的なアイデアが仕掛けられ、進歩的なクラシックファンに大ウケした。編曲の改編を禁ずる「威風堂々」をパロディ化した際には、英国エルガー協会を怒らせて回収騒動に。『スイッチト・オン春夏秋冬』は今日、THE KLF『CHILL OUT』に先駆けるアンビエント作品の祖と言われている。独グラモフォンほどの歴史を持たないソニークラシカル(当時はCBSレコード)は、意欲的な若いA&Rを抱えるユニークなレーベルとして、クラシック界の鬼っ子的存在。「20世紀最大の奇人」と言われたグレン・グールドと同じカタログの中に、つまりカーロスの諸作品もあったのだ。

 そんな『スイッチト・オン・バッハ』の後継作品に、彼ほどの適役はいないだろう。本作の主役・クレイグ・レオンは、ラモーンズ、ブロンディ、トーキング・ヘッズなどニューヨークのポストパンク勢のデビューを仕掛けた元サイアーのA&Rから、ソニークラシカルの主要スタッフに転じた変わり種の音楽ディレクターなのだ。

 レオンは52年、フロリダ州マイアミに生まれる。幼少期はクラシック教育を受けていたが、思春期にジェファーソン・エアプレインなどのサイケデリック・ロックに衝撃を受けドロップアウト。NYに渡りサイアーレコードのリチャード・ゴッテラーの助手となり、トーキング・ヘッズのデビューに関わった後、ラモーンズ『ラモーンズの激情』(76年)でA&Rとして独り立ちする。後にゴッテラー、マーティ・タウと3人で制作会社、インスタント・レコーズを設立。タウはレッドスターレコード社主としてスーサイド『スーサイド』(77年)をレオンと共同プロデュース。ブロンディ『妖女ブロンディ』(76年)、リチャード・ヘル&ヴォイドイズ『ブランク・ジェネレーション』(77年)、アトランティックの企画盤『Live at CBGB』など、ポストパンク期にレオンは制作者として注目された。ザ・バングルズ『バングルズ』、ドクター&ザ・メディックス『ラフィング・アット・ザ・ピーセス』、ジーザス・ジョーンズ『リキタイザー』など、やがて新人のデビュー作に欠かせない存在に。日本の音楽業界とも関わりが深く、シーナ&ザ・ロケッツのリミックス、少年ナイフ『ゲット・ザ・ナイフ』や、キッド・クレオール&ザ・ココナッツが米米クラブ曲をカヴァーした日本企画『KC PLAYS K2C』などをプロデュース。デル・ジベットの88年のロンドン録音作『ガーデン』ではエンジニアを務め、ドキュメンタリー映像にも顔を出している。

 プロデューサーの傍ら、バングルズのレコーディングでは鍵盤奏者として自らプレイ。アーサー・ブラウン『Speaknotech』でのシンセワークは高く評価され、2人の連名作として改めて再発盤がリリースされた。80年、82年にはソロアルバムも発表。ここで手を貸してるのが、米国の伝説の実験音楽家、ジョン・フェイヒーというからビックリ。有名なピッキング奏法で知られるブルース/フォークギタリストだが、コラージュを多用したアルバムがアメリカ脱音楽史研究の中で注目され、ジム・オルークが賛辞を送るなどの再評価を受けた。晩年には来日コンサートも果たしている。フェイヒー作品のパンクなシンセワークなどは、いかにもレオン仕事と言いたいところだがさにあらず。出会いは70年代後半で、フェイヒーのマネジャーだったデニー・ブルース(元マザーズ・オブ・インヴェンション)にデモテープが気に入られ、フェイヒーのタコマレーベルから第1作『Nommos』(80年)がリリースされたというのが顛末である。

 音楽家レオンのキャリアは70年代後半に始まる。妻で歌手のカッセル・ウェブともに、オースティンにスタジオ・ウィザードを設立。OBX(オーバーハイム)、ジュピター4(ローランド)、アープ2600、リン・ドラムLM-1(プロトタイプ)などのシンセサイザー類を導入して、第1作『Nommos』を完成させる。この作品は、73年にブルックリン美術館で行われた、マリ共和国のドゴン族に関する展示に着想を得たもの。西洋と同レベルの天文学知識を持っていたといわれるドゴン族には、地球外生命体の存在を暗示する歴史的美術品も多く、その研究をまとめた翻訳書も出版されている。ドゴン美術の宇宙観にインスパイアされ、まさに「圏外の民族音楽」として作られたのが『Nommos』。自らのソロの傍ら、タコマレーベルで秘境の民族音楽のレコード化を手掛けていたフェイヒーが、レオンを民族音楽の文脈で発見したとしたら興味深い。同作はデヴィッド・バーンが音楽監督を務めた『キャサリン・ホィール』で知られる、トワイラ・サープの舞台音楽にも使われた。また民俗研究家でもあった米国の音楽家、ジョージ・アンタイルから多大な影響を受けたと語っており、第2作『Visiting』と併せて2014年に2枚組アナログ盤が復刻された際には、『The Anthology of Interplanetary Folk Music Vol. 1』(惑星間の民族音楽アンソロジー第1集)のパッケージタイトルを冠して(デザインはニュー・オーダーで有名なピーター・サヴィル)、スミソニアン博物館のフォークウェイズの民族音楽カタログを編纂する、著名なハリー・スミスに敬意を表している。

 いずれの作品にも共同プロデューサーとして名を連ねているのが、妻のカッセル・ウェブ。テキサス出身のフォークシンガーで、ニューヨークでウィリー・ネルソン、ママス&パパスなどのセッションシンガーとして活動。ソングライターとしての活動初期にレオンと出会い、ロンドンに拠点を移した現在も創作パートナーを続けている。80年代に渡欧し、英ヴァージン傘下のベンチャーレコードから『神秘な憧憬』(87年)などのソロ作を発表。デヴィッド・シルヴィアン&ホルガー・シューカイ作品などを抱える実験レーベル時代のアルバムは、ヴァージニア・アストレイに通じるクラシカルな印象があり、90年代後期のクラシック分野への転身を予見させるものが。近年はレオンと共同で、BBCのドキュメンタリーなどのサウンドトラックのプロデューサーも務めている。元々オールラウンドだったレオンのキャリアも、90年代からはクラシックに比重が傾き、テノール歌手ルチアーノ・パバロッティ、フルート奏者のジェームズ・ゴールウェイ、グラミー賞を受賞したヨシュア・ベルなど、ロック時代を覆すキャリアを築くことになった。

 おそらく、ソニークラシカルでのキャリアを決定づけた、ヨシュア・ベル『バッハ:ヴァイオリン協奏曲集』(2014年)が、レオンがバッハに向かうきっかけの一つになったのだろう。先のソロ2作の復刻に関連して、2014年4月にロバート・A・モーグが晩年を過ごしたノースカロライナ・アッシュヴィルで行われるイヴェント「モーグフェスト2014」に出演し、『Nommos』、『Visiting』を初上演。アッシュヴィル交響楽団のオーケストラとシンセサイザーとの共演は好評を博し、アメリカン・コンテンポラリー・ミュージック・アンサンブルに相手を変えて、NYル・ポアソン・ローズ劇場でも再演された。この公演で使われたモーグSystem55が、いわば本作『バッハ・トゥ・モーグ』のもう一人の主役。第1作『スイッチト・オン・バッハ』に敬意を表し、その進化版として企画されたシンセサイザーとオーケストラの共演による記念作品に、J・S・バッハ曲が選ばれた。

 「バッハの電子音楽化」は、このジャンルの原点であり、常に越えるべき課題でもあった。カーロスも続編として『スイッチト・オン・バッハ第2集』、『スイッチト・オン・バッハ・アンコール』、『ブランデンブルグ協奏曲』(ともに74年)を発表。デジタル時代になった後も『スイッチト・オン・バッハ2000』(91年)に再挑戦している。高度な演奏技巧を求められるバッハ作品にとって、シンセサイザーの精密機器のような調べは、バッハの美学の本質に迫るものがあるのだろう。冨田勲も『宇宙幻想』(78年)、『ドーン・コーラス』(84年)でバッハ曲を取り上げ、MIDI時代の12年ぶりの復活作は『バッハ・ファンタジー』(96年)をテーマに選んだ。エイトル・ヴィラ=ロボスの編曲を用いた冨田『ドーン・コーラス』同様、クレイグ・レオン版バッハもウォルター・カーロスほどシリアスではなく、あくまでポップなバッハを求道。組曲形式ではなく、「主よ人の望みの喜びよ」、「トッカータとフーガ」、「G線上のアリア」のような有名曲を中心に選曲されている。

 クレイグ・レオンが音楽監督として指揮し、パフォーマーを務めるのはSystem55ほかモーグ社のシンセサイザー。EL&P、冨田勲などのステージでよく知られるシリーズ900(III-C、III-P)の後継機、System55は、70年代のモーグブランドのフラッグシップ機で、モーグ社からレプリカモデルが受注生産されるニュースが今春発表されたばかり。YouTubeの映像を観ると、本作ではほかに、MiniMoog Voyager Rack Mount Edition、Moog Slim Phattyなどのニューギアも使用されているよう。

 共演オーケストラに選ばれたのは、94年にクラクフ音楽大学内で結成された、ポーランドのシンフォニエッタ・クラコヴィア。クシシュトフ・ペンデレツキ夫妻の支援を受け、ヨーロッパの音楽祭への出演や、BBCなどに放送音源を数多く残している。ソロイストとして作品に華を添えるのは、英国のヴァイオリン奏者、ジェニファー・パイク。2002年に最年少の12歳でBBCヤング・ミュージシャン・オブ・ザ・イヤーに輝いた才媛で、シャンドスと契約しリーダーアルバムを発表している。冨田勲の90年代のコンサートピースに於ける、千住真理子、川井郁子のように、躍動的な彼女のプレイがシンセサイザー演奏に血を通わせ、進化版『スイッチト・オン・バッハ』として、プロジェクトを成功に導いている。

(クレイグ・レオン『バッハ・トゥ・モーグ』ライナーノーツより転載)

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