シェアリングエコノミーが抱える不安。
先日、Uberが発表した2018年度の安全報告書の記事を見ましたが、シェアリングエコノミーを利用した際の、犯罪やトラブルに巻き込まれる危険性が話題になっていますね。
日本の場合でも、犯罪まではいかなくとも利用者間のトラブルはちょくちょくあるようです。
それに対してシェアリングプラットフォーマーの多くは、信用スコア(免許証での本人確認や相互評価レビュー)を導入して対応していますね。
信用スコアを駆使することで、客観的な情報として安全性を担保できる効果が考えられます。
しかし、日本人は特にですが、やっぱり知らない人との関わりは、ちょっとこわい。
どんなに信用スコアがしっかりしている人でも、知らない人とのシェアは緊張感があるし、逆に昔から知っている人なら、信用スコアは関係なく安心してシェアできますしね。
客観的な信用スコアよりも、感覚的な信頼関係を重視するのが日本人の特徴なのかもしれません。
だからこそ犯罪リスクは少ないのかもしれないですが、その「シェアに対しての不安」を解決することが、日本のシェアエコ推進には重要な要素だと感じます。
実際、私の運営しているシェアリングサークル「ごはんシェアLab」でも、ここらへんのことは、よく議論になります。
ということで今回は、シェアの不安を解決する3つの切り口を考えてみました。
切り口① 「サークル」的なコミュニティでシェア
ちなみに、シェアエコのプラットフォームは国や地域によって特徴がるあるみたいです。
アメリカ的なシェアエコは、プラットフォーム資本主義。どんどんスケールしていってオープンにつながっていくあり方。
ヨーロッパ的なシェアエコは、「coop」と呼ばれる組合的なシェアエコ。自分たちでお金を出し合い、シェアする場を作っていく。最近注目されている形ですね。
では、日本の場合はどうなのか?
日本の場合は、もう少し小さい規模でフラットな関係、いうなら「サークル」的なコミュニティの中でシェアするのが向いていると感じます。
自分が信頼できる領域の中だけのシェア。クローズな世界に心地よさを感じる人は多いんじゃないかと思います。
しかし、単にクローズ化するだけだと閉塞感が生まれるし、何か寂しいですよね。なので、ある程度オープンにしておく要素は必要。シェアエコの価値は、インターネットを介してグローバルにつながることでもあるので。
バランスをみながらですが、クローズ化していくのは必要と感じます。
切り口② お金にならない価値の可視化
金銭的な価値は、お金という形で明確に可視化されています。
しかし、それ以外にも、感動や喜び、感謝や希望などの情緒的価値や、SDGsに代表される社会的価値がありますよね。
ここらへんの価値は、お金に比べるとすごい抽象的で、「何か良いよね。」という感覚的なもの。
そして、シェアエコの良いところは、金銭的価値と同時に、それ以外の価値も生み出しやすいことだと思います。
なので、この「お金であらわせない価値」を可視化していくことで、「何か良いよね。」という感覚を明確にでき、より価値を大きくしていけると思います。
すべての価値を総合的に気にかける「価値主義」な考えですね。
あらゆる価値で満たされるのでトラブルが減る、かもしれないと考えました。
切り口③ give(与える)を前提にしたシェア
この切り口が、個人的には最も大事だと思います。
資本主義の文脈ではGive&Takeが基本。シェアする側もシェアされる側も、等価交換を望むのが基本です。
そこに不公平さを感じた時に、トラブルが発生するんじゃないかと思います。
しかし、価値主義の文脈では、価値をより多く生み出すことが基本になります。
価値をより多く生み出すにはどうする?
それの答えが、Giveする(与える)ことだと思います。与えることで、価値の総量は増えていくものなので。
なので、Giveが前提のシェアでは、全員が積極的にシェアしていく。(Give)
そして、巡り巡って自分が与えられる時がくる。(Given)
Give&Givenになるわけです。
その中で考えるのは、ただ与えることだけ。
そこにはトラブルが発生する余白が少ないと感じます。
なぜGiveすると価値が大きくなる?
ここに関しては、感覚的なものなので言語化が難しいのですが、ひとつ例を出してみたいと思います。
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Aさんは、乗れないわけではないけど必要のない自転車を持っています。
そして、この自転車を誰かに売って1万円手に入れたとします。その場合、生まれる価値は1万円。非常に分かりやすい。
しかし、ちょうど自転車を必要としているBさんがいたので、AさんはBさんに無料で贈ったとします。
その場合、Bさんはおそらく喜びや感謝、感動などの感情が生まれると思います。
そしてAさんも、Bさんに良いことをして「何だか良い気分」になっているでしょう。お金を得ることを考えていないので、得した損したもないです。
そして、BさんはAさんへの良い印象は残るだろうし、それはAさんのポジティブな評判につながります。
Bさんは今後、その自転車が不要になったとしても、また自転車を必要とする誰かに贈れば良い。そうしたらまた、この情緒的価値は再度生まれます。
しかも自転車を捨てずに済むし、新しく買う必要もなくなる。それは社会的な価値につながっていくと思います。
また、無料で贈ったことでAさんは金銭的価値を得ることはできなかったのですが、Giveの循環で、いずれ何かしらの金銭的価値を得るかもしれないです。
これがGiveして価値が大きくなる例です。(めっちゃ極端かもしれないですが)
情緒的価値が先に生まれて、社会的価値、金銭的価値につながっていき、価値が大きくなるイメージですね。
ギバー、テイカー、マッチャー
このGiveの元ネタは、アダム・グラントの著書『Give&Take「与える人」こそ成功する時代』からです。
この本の中では3種類の人の属性が描かれています。
ギバー:人に惜しみなく与える人。価値を大きくしていく。
テイカー:真っ先に自分の利益を優先させる人。価値を消費していく。
マッチャー:損得のバランスを考える人。価値を交換する。
ギバーが得られる価値に関しては本に詳しく書かれていますが、Giveするというのは価値主義の文脈で、有効な戦略なのだと思います。
「シェアに対しての不安」を解決する3つの切り口まとめ
①サークル的なコミュニティでシェアをする。
②お金以外の価値を可視化する。
③Give(与える)を前提としたシェアをする。
ここまで色々書きましたが、私自身は無償で何かを贈った記憶があまりないです。
自分自身テイカーなのかマッチャーなのかどちらかは分からないですけど、少なくともギバーではないと自覚しています。
しかし、こんな自分でもギバーでいられる場があったらいいなー、と思うわけです。
そのような場が、上記3つの切り口で作っていけるんじゃないかと思います。
そして、その中で起きるシェアは、信用スコアはいらない、心地よい信頼関係が存在するものになる。
と、思います…!笑
この記事に書いている私の意見はだいぶ妄想はいってるので、今後ごはんシェアLabをとおして仮説検証していきたいと思います。
また何か進捗があれば記事書いていきます…!
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