今週の出来事(6/29~7/5)
Thought and Trip [Week 18.]
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今週の出来事を書いていきます。
6月29日(月曜)
今日はいっぱい寝た。
この感覚は久しぶり。
路地裏で猫のように騒ぐ。
6月30日(火曜)
自分からみた自分と他人からみた自分は違う、などというが
そもそもどちらも存在しない。
自分の頭の中と他人の頭の中は違って当然。
7月1日(水曜)
分けるのか分けないのか。
自由なのか安心なのか。
争いなのか支配なのか。
終わりのない問いに風邪をひく。
7月2日(木曜)
そろそろ体を鍛えようかな。
最近時間が流れるのが早いので、何かと飽きてきたのだと思う。
マジで成功法則とか知るのってつまらないな、と感じる。
ストリート感がないよね。
7月3日(金曜)
恐怖というのは自分の頭の中で勝手に構築されていく。
恐怖を感じないためには?
愛が必要?安心できる世界が必要?
必要なのは、破滅的意味不明感への快楽だ。
7月4日(土曜)
理解されることを手放したとき、すべてが動きだす。
もう人だけのコミュニティで生きていくのはやめよう。
7月5日(日曜)
『超主観』が今後のキーワードだ。
知性や正解、成功、ノウハウは消費の対象となり、アルゴリズムで最適化される。
文化の源泉は、超主観でしか見えない。
振り返り
今週はずっと沼の中で生きてました。
最近いちばんの問いは、
「メシを食うため」と「自己を実現するため」という相反する2つの目的を、多くの人はなぜ同じツールで叶えようとするのか?
同じツールとは、「お金」と「人で構成される社会」
メシを食うためにお金を稼ぐなら、必要最低限で良いのではないか?
なぜ自己を実現するためにもお金を稼ごうとするのか?
お金を使わない場合でも、なぜ人だけのコミュニティで叶えようとするのか?
メシを食うためには、自然や動植物などの「自然も含めたコミュニティ」で、お金を使わずに実現すれば良いのではないか。
その上で、自己を実現するためには、超主観的にモノごとをみて、自分のコアの部分を表現していけば良いのではないか。
その行為は、愛であり狂気。
愛情表現としてお金を使えば良いのではないか。
モヤモヤしましたか?
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