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試演会オンライン振り返り*「見ないダンス」伴戸千雅子

2021年7月10日、11日に開催した「クサワケテ ユケ ワークインプログレス(試演会)」の研究会メンバーによる振り返りをオンラインで行いました。パフォーマンス、ワークショップ、美術など、創作過程での試みや収穫、ワークインプログレスを経て今後の課題などを参加者それぞれが話しました。

※振り返りは参加者の都合により、2021年8月22日、9月26日、10月15日の3回に分けて行った。

パフォーマンス『見ないダンス』
構成・演出:伴戸千雅子
出演:大歳芽里 川瀬亜衣 伴戸千雅子
音響:甲田徹
フォーマット参照:土居大記「アンケートパフォーマンス」
私は普段「見せる」ことを前提にダンスを作っています。でも、「見せない」という前提でダンスを作ったら、一体、どういうことになるんだろうか。それが出発点です。この作品は「アンケートパフォーマンス」という作品にヒントを得て、ダンサーに様々な質問などを投げ、それに答えてもらう形で構成されています。ダンサーの言語感覚や声というカラダの使い方から、どのような時間・空間がうまれるのか。まだ、声の向こうにどんなカラダを想像できるのか。
目を閉じる、アイマスクや手ぬぐいで目隠しをするなど、「見ない」状態での鑑賞をお願いします。
(試演会当日パンフレットより)


視覚障害のある人のため?

伴戸:今日、慌てて振り返りを書いたので、それを元に話します。「見ないダンス」は、以前から視覚障害のある人のダンス鑑賞で何か工夫が出来ないかなと、ぼんやり考え続けていたのが、研究会という場のおかげで挑戦することが出来たなと思います。研究会という存在が背中を押してくれた。コンテンポラリーダンサーに出演してもらったのですが、一人は視覚障害のある人と会ったことがなくて、いろんな疑問や興味を持って取り組んでくれました。そのことが、逆に私には新鮮で、私のやりたいことやイメージを広げてくれたと思います。ダンサーですけど、独特の言語感覚を持っていて、その部分が作品にとって大きかったと思います。私は最初、視覚障害のある人にダンスを楽しんでもらうためにどうしたらいいか、みたいなことを言っていたんですけど、2人にしてみたら、自分たちが作って面白い、出演して面白いダンス作品を作りたい。視覚障害のある人のためにではないのでは?というようなことを言われて、そうだなと。私は、そう言ってもらったので、ダンス作品として面白いものを作るんだというモチベーションをあげてもらえたなと思います。2人は京都で活動して、それぞれ自分の作品も作っている人なので、この関わりをつないでいけたらいいなと思うし、どうやってつないでいったらいいのかなと思っています。いろんなダンサーと同じテーマで考えると、新しい、面白い発想が出てくるのではないかと思うので、つながりを作って続けていければなと思っています。音響の甲田さん、最初は、作品に音楽や音を入れてもらおうと思って声をかけたんですが、作品がそこまでいかなかったです。でも、リハーサルに来てもらって、音がこういう風に聞こえるとか、動きながら話すとダイナミックになるんじゃないかみたいなこと、音の提案をしてもらった。2階を走ったのも、甲田さんが「ここは2階もあるんですよね」と話してくれたのがきっかけです。この作品をやって、私は「聞く」ことに関して興味を持ったので、そこを広げていくのに、甲田さんともまたつながっていければなと思っています。7回リハーサルをしたんですが、少ない回数の中で、ある程度、まとめられたのは、土居大記さん(美術作家)のフォーマットを参照したり、コンテンポラリーダンサーに出演してもらったり、甲田さんがいたりと、いろんな人と協働できたからだと思っています。それは大きかったと思います。私の「こんなことしたい」を、他の人に実現してもらったという感じだったかなと思います。先に言いましたが、作品をやってみて、聞くということについて興味がわいています。ゲネで光島さんが立ち上がって、からだを揺らしながら作品を鑑賞されているのを見て、聞くことにもっと能動的な楽しみ方があるんだと発見したんです。上演した時に、見える人は見えない状況で聞く状況に慣れていないこともあり、眠くなったり内省化してしまうという感想を聞きました。そのこともあり、聞くことに対して、何らかのアプローチができるのではないかと思いました。例えば、客席を一方向にしたんですが、椅子が必要だったのか、立つこと、移動することも可能だし、からだを動かしたりしながら聞くという鑑賞の仕方も提案できるのかもしれない。聞くことに関する、どんな味わい方があるのか、個別の体験としてあるのかを、シェアするようなワークショップしたい。そういうことによって、作品の受け止め方が変わってくるのではないかと思いました。感想シェア会は、本当にしたいなと思っていました。わけのわけらないことをやって、軽く「面白かったです」「面白くなかったです」と言われると、落ち込んだりするので、どんな言葉でもいいので、受け取られたことを丁寧に聞くことができたら、一緒にその先を考えていけるようなことになるのかな。私が考えていく力にもなるなと思っていたので、言葉にしてもらえて、よかったなと思いました。

見える人がアイマスクをする必要があったのか

辻野:ダンサーの2人が「ダンスとして面白いものを作る」と言ったというのを聞いて、なるほどと思いました。「見ないダンス」は、普通に作品として面白かった。でも、ダンスとして作るというだけでは成立していなかったと思うし、伴戸さんの今までの関わりも影響していて、バランスがすごくいいなと思った。見えない人に楽しんでもらわないと意味がないんですけど、誰が見ても面白いものにしたいと、私も思うので、参考になりました。
光島:それと近い話になると思うんですけど、僕としては、なぜ見える人がアイマスクをして見えない状態で見る必要があったのかなというのが疑問なんですよね。もちろん、目を閉じて感じたいという人はそれでもいいと思うんですけど、見える人に見えない状態でいてもらうという意味はどこにあったんですか?
伴戸:最初は、答え合わせをしない状態でやりたいというのがあったんですね。視覚障害のある人が鑑賞する時に、見える人が横で説明したりというのがあるじゃないですか。みんな見えてなかったら、みんな想像するしかない。やってみて思ったのは、繰り返しになりますけど、耳の可能性というか、私は案外、贅沢なことだと思ったんですね。今の世の中で、見ることが大きな割合を占めているので、見える人は見えるものに縛られてしまうところが大きいと思うんです。見ない状態で想像するという時間をもうける、見ないダンスを想像するということは、すごく豊かな、別の価値観として、豊かさみたいなものがあるような気がして、見ないことを価値として考えられるかなって。変な言い方ですかね。わかります?
光島:わかります。見えない人のためというのではなく、普通のパフォーマンスとして、ぶっつけ本番の状態で、音だけ声だけ聞いていてわかるパフォーマンスをされたという今回の取り組みは素晴らしいと思います。でも、(お客さんが)見ないという条件は必要だったのかというのが疑問なんです。・・・でも、(見せないという)モチベーションがないと、あそこまではできないのかな。どうなんでしょう。
伴戸:今後、可能性としてあるかもしれないですけどね。でも、(お客さんが)見ないという条件を作る側が持つことで、初めて生まれること、考えられることがあったと思います。
光島:記録ということで、考えてみたんですが、すごくいいマイクや録音機器で、3D録音ができれば、それを聞くだけでも臨場感のあるパフォーマンスとして、音だけでね、感じられると思ったんです。逆に、そうしてしまえば、見る必要はもちろんないんですけど。小池さんがどういうまとめ方をされているのか知らないですけど、すごくいい録音なら、ヘッドフォンで聞いて、すごくリアリティのあるものが再現されたりするのかなと、ちょっと楽しみでもあるんですけど。
伴戸:甲田さんが天井からとってくれはった音源があって、下で聞いているのとは違う音の質でした。

「聞く」ことへの興味

辻野:私は、リハはすりガラス眼鏡(眼鏡のガラス部分をすりガラス状にしたもの)をかけて見たんです。眼鏡だったのがよかった。あれがアイマスクだったら、私は視覚障害の人の体験をするという感じがしたかもしれない。すりガラスの眼鏡をかけるのは、面白くて、遊園地感覚として、3Dの眼鏡をかけて見るみたいな感じ。本番の時は、撮影していたので、見ていたんです。そしたらもう、全然違う作品なんですよ。見えてない時と見た時は、全然。「え?こんなことしていたの?」って。音だけ聞いていた時は、何かを考えている、何を考えているかわからないけど、何かを感じているんですけど、見た時に「え〜〜〜?」って。普通以上にめちゃくちゃ動いてはって、ビックリするくらい動いてはったから、それがすごい新鮮。2回見るというのも、面白い。全然違うものとして見られるなと思いました。目をつむっていると、限定されないというか、本当、贅沢というのは、すごくわかる。人のからだが見えたら、その人たちの世界観とかいろんなものに影響される、それはそれで素晴らしい体験だと思うんですけど、目をつむっていると、そことは全く関係ない世界にいる、どこかわからないところに。それはそれで、すごく面白いなと思いました。
伴戸:普段は、見て、聞いて鑑賞している。合わさっているので、からだが動いているところも見れば、自分の中の妄想が広がっているところも合わさっているのかなと思うんですけど。耳で聞くということの可能性というか、それが私の身体とどうつながっているのか、想像力とどう交わっているのか、見る世界とは全然違うような気がして、まだ全然わからないですけど。
光島:ダンサーの人は普段、見られているわけですよね。今回は見られていないというところで、からだをさらしているというのは、どんな風に感じられたのかなと。
伴戸:ちょっと伸び伸びと動けたという感想でした。普段は見られる、お客さんの目を意識してやっているけど、耳を意識してやるということで、自分たち自身も音にすごく集中するというところもあったそうです。
辻野:すごく楽しそうに見えた。光島さん、途中で踊ってはったでしょ。聞きながら、からだを動かしてはった。あれは?
光島:あれはね、動きを言葉で説明しているところだったんですよね。それを聞いているだけじゃなくて、聞いているだけではピンとこないので、言われた通りに動かそうと思って、ちょっと動いていた。ついていけないんですけどね。でも、そうすることで、どういう風な動きをされているのかなということを、自分のからだの中に取り込むことができたかなって。ちょっとだけね。
辻野:あれは、非常に美しいシーンで、映画だったら、光島さんの動きを撮影するみたいに、動きが重なる、そこで派生した動きという、素敵なシーンでした。
光島:あとは、ちょっとからだを動かすことで、音の聞こえ方が変わってきたりするので、そういうことも感じていたかな。
辻野:そういうワークショップをやってもらいたい。
光島:僕が?
辻野:「こう聞こえるから、こう動いてみて」みたいな。
伴戸:見ることと同様に、聞くことも本当に個人的な体験なので、どのように聞いているかは、人それぞれなんでしょうね。そういう言葉を聞いてみたい。単純に、低いところで聞く音と、高いところで聞く音は違うとか。ふるえとしての音とか。そういうことに非常に興味を持ちました。

「見ないダンス」は高い集中力が必要

川那辺:匂いは記憶に結びつくと言うじゃないですか。線香の匂いとか。聞こえが記憶に結びついた経験あるかなと、ずっと考えていたんですけど。あんまりないなあって。聞くということでも、いろんな楽しみ方があるし、感覚それぞれでも全然違う楽しみ方があるんだろうなと思います。あと、危険なものは鼻、匂いが一番わかりやすいと言っておられた方がいたんですが、耳、聞くことも結構、危険を察知する能力じゃないですか。サイレンが聞こえるとか。
辻野:鼻がつまっていたら味がわからないとか、切り離せないものだから面白いでしょうね。
川那辺:危険なものは匂いが、一番わかりやすい、だから、一番原始的な感覚だと言っておられたんですが。でも、耳、聞くことも結構、危険を察知する能力じゃないですか。サイレンが聞こえるとか。
辻野:死ぬとき、息が止まってからも耳は聞こえていると聞いたことがある。
川那辺:そうそう、心臓が止まっても聞こえるとか言いますもんね。
伴戸:お腹の中で、赤ちゃんがお母さんの声が聞こえるとか。
五島:私はアブが飛んでいる音だけで、子どもの頃に遊んでいた草の匂いとか瞬間的に思い出す。田舎にいた時があったので、すごくつながっている感じはしますね。子どもの頃、田んぼの中で遊んでいた草の匂いとか、パッと思い起こす。個人差はあると思います。さっき、光島さんから、なぜ見えない状態にしてやるのかと質問がありました。本番では、私はやることがあり、お客さんのようには鑑賞できない。リハーサルでもあまり集中できなくて。伴戸さんの「見ないダンス」、もしアイマスクを使っていたら途中で外す人がいたかもしれない。見える人にとっては、見たいという欲求が強いと思うので、ずっと目を閉じているのは苦しかったりするのかなと思うんですね。本番の時は通路にいたので、チラッとしか見えてないんですけど、お客さんの高い集中力が必要なんじゃないかなと思いました。その時の状況によって、できない人もいたかもしれない。個人差があるのかなと思いました。月イチワークショップのかめいさんの回で、アイマスクをしてモノを探したり、作ったりしましたが、あの時は、自分が非常にシンプルな状態だったので、見ないことに集中できたかなと思いますが、体調とか精神状態によって、集中できないだろうなということは感じた。音のことで言うと、今まで見た公演でガンガンに(大音量で)音が出ていて、私は耳が壊れそうだったのに、みんなはなぜこの状態で舞台を見ているんだろうと思ったことがあった。ダンスの舞台をやっている人にとっても聞くワークショップみたいなもの、そういうものがあったらいいのかなと思いました。
辻野:見えた時にあんなに驚いたのは、そういうところもあったかもしれないですね。聞いている時の想像の仕方が、見ている時とは違う。
五島:聞こえ方って本当に個人差あるし、いろんな音が一度に入りすぎて、すごく混乱する人もいっぱいいるじゃないですか。知的の人で。あまりにも聞こえすぎて、ヘッドフォンしているとかね。常にヘッドフォンして音楽聞いている人もいるし、駅のホームで全部の音が聞こえすぎて困ってしまうという人もいると思うんだけど。
(2021年8月22日)

出演者の振り返り

「見ないダンス」の出演者、大歳芽里と川瀬亜衣が書いた振り返り。見られることが「普通」のダンサーにとって、見られないことはどんな発見があったのか。ダンサーの視点が興味深い。

写真:草本利枝

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