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嫉妬というどうしようもないもの

嫉妬というものは本当にどうしようもない。
人間の手に余る感情だ。

一度取り憑かれると、それは心の奥底からじわじわと這い上がってきて、あっという間に埋め尽くしてしまう。
どろどろとまとわりついて、心に重くのしかかって、人間を深く深く沈ませる一方で、首を締められた人が空気を求めて暴れるように、ただ闇雲に動きたくなる衝動をも与える。
「嫉妬に駆られる」とは、よくできた表現だ。

嫉妬というものが、劣等感というこれまた厄介なものと手を組むと大変だ。
どろどろ、ずぶずぶ、ぶくぶく。
どんどん引きずり込まれて、そうそう浮き上がってはこられなくなる。

恋人、好きな人、親友、友人。
自分の大切な人が大切にしているものを理解できないとき、私は苦しい。
その人には才能があって、私にはない。苦しい。
その人の周りには、同じように才能を持った仲間がたくさんいて、一緒に苦しみ、一緒に悩み、一緒に奔走し、一緒に作り上げて笑っている。
私はその輪には入れない。隣に立てない。私とは世界が違う。
その人が仲間と一緒に見ているものを、私は見られない。
苦しんでいることも、悩んでいることも、共感できない。わからない。
一緒に苦しむことも悩むこともできない。
それが苦しい。寂しい。悔しい。
どろどろ、ずぶずぶ、ぶくぶく。
飲み込まれていく。

その人が壁にぶつかっていても、疲れていても、「お疲れ様」だとか「休んでね」だとか「無理しないでね」だとか、そんなありきたりな言葉しかでてこない。
その人が悩んで悩んで血の滲むような努力をして作ったものに対しても、大した感想を言えない。
何が「お疲れ様」だ。
何が「休んで」だ。
何が「無理しないで」だ。
疲れているに決まっている。休めるなら休んでいるに決まっている。無理しないで済むなら無理なんてしてない。
わかっているのにそんな言葉しか出てこない自分が嫌だ。

その人の仲間たちは、どんな言葉をかけるのだろう。
考えたって比べたって仕方ないのに想像してしまう自分が嫌だ。
どんなにあがいたってそちら側にはいけないのに。

考えすぎ、思い込み、あなたにはあなたの良さが、あなたにしか見えないことがある。
そんなの頭ではわかっている。
でも感情では割り切れないんだからしょうがないじゃないか。
言語化できただけマシだ。

ああでも、同じ世界にいないからこそ、戦いから離れた場所を提供できるのかもしれない。
束の間の安息を与えられるのかもしれない。
そう思おう。そう思うしかない。

時々、発作のように嫉妬に飲み込まれてしまうけれど、大切なその人たちの前では笑っていたい。
きっと私にしか見せてない顔もある。
その顔を守るために、私は私にできることを、私にしかできないことを探すのだ。

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