闘う日本人 4月 黄砂
このショート小説は約5分で読める、ほんとにバカバカしいショートショートの物語です。
毎日、日本人は頑張っていつも何かと闘っている。そんな姿を面白おかしく書いたものです。
今月は4月の闘いで「黄砂」がテーマです。 うららかな春ではありますが、たまにやってくる黄砂は嫌なものです。とくに中古車販売業のような、屋外に商品を出しているところでは黄砂との闘いとなります。そして黄砂は別名『春の使者』とか言われていますが、春の使者は他にもあるようです。
今回はその中古車販売会社で働く山本にも、もう一つの春の使者もやってきたようです。
「とうとう奴らが大挙してやってきましたね」
山本は先輩の加藤に言った。
「そうだな。まあ昨日から結構な量が来るってニュースで言っていたから、わかってはいたが、いざこの光景を目の当たりにすると途方に暮れるよ」
二人が見る目の前には、数十台の中古車の表面には薄く黄色い膜のように、黄砂が積もっていた。
「どうします、先輩」
「どうもこうもないだろ。一台ずつ洗い流すしかない」
二人渋々とマスクをして長靴をはき、ゴム手袋をはめ、高圧洗浄機を手にした。
「いいか。高圧洗浄機の先は角度をつけずに優しく水を出して洗い流すんだ。間違ってもスポンジなんかで擦るなよ」
加藤は山本に説明するように言った。
「どうしてなんですか?」
「山本。お前そんな事も知らないのか」
加藤がそう言うと山本は
「ええ。昨年は黄砂が少なかったし、それに黄砂が飛んできたときも営業で出ていましたから。内勤になったのは今年初めてです」
入社して3年目の山本は、今回のような本格的な黄砂は初めてだと言った。
「いいか。これは埃のように見えるが実はガラス質の小さな砂粒だ。手荒く洗浄すると車のボディーを傷つける恐れがある。だから水流も優しくして、洗い流すんだ」
「そうなんですね」
山本は感心するように言った。
「お前、もしかして黄砂がどこから来てどんなものなのか知らない訳じゃないだろ」
すると山本は
「そうっすね。アジア大陸の方から来るって言うことは聞いたことがありますけど、いくら強い風でも、そんなものが日本まで来るものなんですかね?」
何も知らない感じの山本に加藤はすかさず
「砂は東アジア付近の中央部のゴビ砂漠などで砂嵐によって巻き上げられるんだ。その時の降水量とか大気などの気象条件にもよるが、それが日本上空などに吹いている偏西風にのってやってくる」
「いや、先輩なかなか物知りですね」
「社会人なら普通常識だろ」
「そうっすか?」
「それに黄砂は『春の使者』とも言われているんだよ」
「そんな使者はいりませんよね」
山本の言葉に加藤も頷いたが、とは言ってもこの『春の使者』は早く片付けなければならない。
二人は早速作業に入った。
「なんで毎年、こんなのが春になると来るんですかね?」
「なんでも、向こうの砂漠の方はこの時期ずいぶんと乾燥しているなど気象条件が整いやすいらしい。やがて夏が近づき雨期になり、植物でも生えてくると少なくなるらしいけどな」
山本は加藤の言うことにいちいち感心していた。とはいえ、まだまだ終わりそうもない目の前に広がる黄砂に覆われた中古車の列を見るとさすがに気力が萎えてきた。
二人が概ね三分の一ぐらい洗浄作業が終わった頃、
「あの、すいません。先週来させて頂いた者ですが・・・・・・」
と、山本に春を思わせるような優しい声を掛けた若い女性が立っていた。
山本は一旦手を止め、その声に振り向いた。その女性は上品そうなスッとした鼻筋をしており、優しい笑顔で山本を見ていた。
山本はすぐにマスクとゴム手袋を取り、弾むような声で、
「あ、あの時の内藤様。はい、お待ちしておりました」
山本は満面の笑顔になった。
「覚えていてくれてましたか。先週、車をどれにするか迷って、また返事をするって言ってました内藤です」
さっきまで不満そうな顔をしていた山本だったが、その表情が急に笑顔になった。
すると内藤はまだまだ洗浄されていない車の列を見て
「これみんな洗うんですか?大変ですね」
と山本に言った。
すると山本は
「いえ、これが僕たちの仕事ですから、当たり前のことです。車に傷が付くといけないですから、高圧洗浄機の吹き出し口をこうやって角度をつけずに洗い流すんです。黄砂は小さい砂粒ですから擦ると傷をつけたりするんですよ」
「そうなんですね。さすがプロですね。そんなところまで気を遣われているなんて知りませんでした」
山本はあたかも謙遜するかのように
「いえいえ当然のことです」
と言い、続けて
「黄砂は東アジアのゴビ砂漠付近の砂嵐が偏西風に乗って日本にやってきます。やがて夏が近づくとあちらの砂漠が雨期になります。すると砂も舞い上がりませんから、あまり日本にはやってきません」
内藤は、そんな山本を見て
「よくご存じですのね。山本さんって、博識でいらっしゃいますね」
などと、彼女は徐々に山本を見る目が変わってきたようだった。
それを横で聞いていた加藤は
『なんだいそりゃ。さっき俺が言っていたことをそのまま言っただけじゃないか』と思った。
そして山本は内藤に
「それよりお車は決まりましたか?」
「ええ。やっぱり山本さんが勧められたお車にしようかと」
「それじゃ、中に入ってゆっくりお話を聞きましょう」
と言って内藤を応接ルームのある事務所に案内した。
「いえ、でもまだお仕事が・・・・・・この車を洗わないといけないんじゃないですか?」
内藤が申し訳なさそうにいうと
「いえ、あとはあの人がやるので。さ、どうぞ」と、加藤の方を見て小さく『お願いします』と言うような格好をして、事務所に二人で入ってしまった。
一人残された加藤は
「あっちは違う意味で春が来たみたいだな。俺の方はこっちの春の使者の始末をしないといけないのに」と、高圧洗浄機の出す水しぶきに、小さな虹が架かっているのを見て春を感じた。
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