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【アンカラ滞在記】火曜日のKorece

Korece
(名)韓国語(朝鮮語)

韓国語。アンカラ滞在の時期に、はじめて学習を始めました。

語学に関しては、かなり浮気性なところが自分にもあるようです。昔からそうだったわけではないのですが、この数年で顕著にそうなったような。自分自身も、周りに簡単に影響されるようになっている気がします。

韓国語にしても、特別な何かがあったということではありません。2017年の夏に、夏休み時期の一時帰国の飛行機を大韓航空で取ったのが直接のきっかけになりました。

イスタンブル発、仁川経由で福岡着にすると実家への長崎行きがすごく楽だなということで大韓航空はよく利用していたのですが(おかげで、マイルがずいぶんたまったことでした)、たまにはストップオーバーでソウルに一泊してみようかなと思ったのです。

当時、偶然日本の言語学関係の知り合いも今ソウルにいるから、よかったら合流してごはんでも食べましょうかという話に。今思えば、これが直接のきっかけになりました。

韓国語で見事に人々とコミュニケーションをとる、その知り合いの頼もしかったこと。うわ、かっこええ…というのと、純粋にうらやましいというのと。その知り合いとは長い付き合いだったのですが、韓国語ができるという側面を知らなかっただけに、かなり強烈なインパクトがあったように思います。

自分がトルコに暮らしてトルコ語を使っていたことなどすっかり忘れて、いいなあやっぱり現地の言語ができたら、楽しさが全然違うんだろうなあと思ったのです。

さっそくその年、アンカラに戻った後同僚の先生と話す機会があったときに、いやあ、韓国よかったです、(共通の知り合いだったその彼)が韓国語すごくうまかったのでいいなあと思いました。韓国語面白いでしょうねきっと…というと、「あ、それいいね。韓国語やろうか」という話になり(なるんですね…)。

アンカラの職場には日本語日本文学科という学科があり、私はそこに所属していました。この学部には他にも多数の言語について学科が存在するのですが、その中には韓国語韓国文学科もあります。関係性が近いということもあって、普段から何かと交流があったのが幸い(?)しました。

さっそくそこから先生を呼んで、週に1回韓国語をならってみようということに。毎週火曜日夕方は、韓国語の日ということになりました。

2018年9月にスタート、ということでしたか。ツイッターは便利だ…

新鮮な経験でした。トルコ語で習う外国語。それがまた、自分の母語(日本語)とは地理的に近い韓国語という。地味ながら、不思議な経験です。

この時、すでにアンカラ滞在で4年目を迎えていたとはいえ、まだまだトルコ語の脳内処理にはそれなりに負担があったように思います。毎週韓国語のレッスンが楽しみではあったのですが、その日はくたくたに疲れて帰宅していたのを思い出します。

アンカラでの韓国語のレッスンは、1年ほど続いたでしょうか。そのうち同僚も私も、また韓国語のその先生(A先生。もちろんトルコの先生ですが、韓国語の発音はさすがめちゃ綺麗だった)もお忙しいということで、ではあとはみなさんで勉強しておいて…ということになり、自然とお開きとはなったのですが。

そう、動機としても緩いといえば緩いですね。でもまあ、今のところはそれくらいの軽い気持ちの方が楽は楽ではあります。

ともかく韓国語、結果としてアンカラでの成果としてはハングルが多少読めるようになった程度で終わってはしまったものの、機会があればいつでも再開したいな…という状態のまま、現在に至るという次第です。

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ところで自分がトルコ語以外の言語をやることで、あらためて気づいたこともいろいろありました。

まずなんといっても、週に1回レッスンを受けるだけではその語学はモノになりはしないということです。自分で時間をとって、レッスン以外の時間に勉強するようにしないと、到底使えるレベルにはいかないなと、改めて。

言うは易く、行うはなんとか、という案件ですね…

もう一つは、自分がまず文法の概略を知りたい、声に出したり書いたりするのはその後で(なければ嫌だ)、という順番が固定観念として身についてしまっているんだなということでした。

一緒にレッスンを受けたトルコ語母語話者の2名は、とにかく何か韓国語でフレーズを聞いたら、メモ書きなりその文の構造を知る前に口に出してみるというところから入っていたし、一度聞いたそのフレーズに対する記憶力がとんでもなく強いのにびっくりしたことを今でもよく覚えています。

この点、この二人がそれはもううらやましくて、この差はなんなんでしょうね…とやや落ち込み気味に聞いてみたことを思い出します。今考えれば、別に何かを競っていたわけでもないからそこまで落ち込まんでもよかったろうにと思うのですが。で、聞いたところでは「個人としての学習プロセスの違いではないの」ということになり…

この辺はちゃんと検証した方がいいのでしょうが、なるほどまず文法から、というのも絶対ではないのだなという発見があったというといいでしょうか。勉強の方法も手順も、人それぞれ。これは忘れないでおきたいところだなと思っています。

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さてさて、昨日久しぶりに書店に立ち寄る機会がありました。ツイッターでもおせわになっている、ゆうき先生が出された新書をゲット。

いい本だこれ…

「高校生からの」と銘打ってはいますが、これから始めたい、あるいは少し韓国語がどんなものか眺めてみたいと思っている人に、バックグラウンドを問わず良質の入門書ではないかと思います。また暇を見て、韓国語を再開したくなりました。再開したくなったところで、アンカラの思い出が蘇ったので今日のこの記事となった、ってわけです。안녕!

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