「なぜペルシア語を勉強しているか」の本当の答えはね…
前回参加していたペルシア語講座、継続で申し込みをしました。ちょうど先週の今日ぐらいに先生からご連絡を賜りまして、「いつも熱心にご参加くださり」というお言葉をいただいてしまい、恐縮したことでありました。先生ったら、またご謙遜を。おかげで1月から3月は毎週土曜日、楽しみにしておりましたのですよ。
あとは、自分以外に同じクラスの受講生がいるかどうか。たぶん大丈夫なのだろうとは予想しているのですが(前期も数名おられましたから、そのまま私と同じように上がってきてくださるでしょう!インシャッラー)開講の可否を人数調整後に改めて通知してもらえるとのことなので、それを待ちたいと思います。来週末くらいまでには判明するような気がします。
ところで、その新学期ペルシア語講座申し込みの際に、アンケートに回答する必要がありました。その時の自分の回答は次の通りだったのですがね…。
1), 2),あと4)はまあ正直に書いたわけですが、3)についての本音はもうちょっと違いますね…。いや、完全にウソを書いたわけではありません。ありませんが、やや「よそ行き」の回答ではあります。たしか黒田龍之助さんの著書のどこかにも似たようなことが言及されていたと記憶しているのですが、最大のモチベーションは「ペルシア語が(も)出来たらカッコいいから」というところなのだろうと思います。
「トルコ語、アゼルバイジャン語にくわえてペルシア語も話せるようになっている自分がカッコいいと思えるから」とか、書くのも恥ずかしい話ではあるのですが、それだけに正直なところはそれなんだろうと思います。
「カッコいい」の定義はもちろん人それぞれなのですが、なんというんでしょう。外見的なこととはまたちょっと違うところで、語学が堪能だということについての「カッコいい」の価値基準が高いというべきでしょうか。
思えば長崎の片隅で小中高と通いつつ、英語以外の言語にはほぼ無縁の生活を送りながらもいずれいくつかの言語を使いこなせる自分が実現できたらいいなということが勉強するモチベーションになっていたようにも思います。そこからトルコ語専攻を大学に選んで、現在に至るという。
自分の動機というか嗜好というか趣味というか価値観というのかわかりませんが、昔からその辺は変わっていないんだろうなあとふと思う、大型連休半ばのワタクシでありました。さあ、午後からはその語学がらみの査読にとりかかるとしましょう…(泣いてません)
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